流麗な魔術師アリエル・ノヴァ。お腹にぜい肉がついてしまう

 今日も、魔法学び舎の一角で、師匠がなにやら難しい魔法の書を開いているだろうな、と思いながら、青年マルクスは師匠の部屋に向かった。

 久しぶりに顔を見せようと思ったのだが、最近、長期休暇で師匠が姿を見せることが少ない。


「どうしてるんだろうな……」


 師匠アリエル・ノヴァは、ただの魔法使いではない。


 魔法学び舎でも有名な、数百年の歴史を持つ魔法使いであり、その魔力と知識の深さは、彼女に教わった者なら誰もが畏敬の念を抱いていた。

 ただ、そんな師匠にしても、休暇くらいは必要だろう。

 数百年も生きていれば、魔法の使い過ぎで疲れも溜まるってもんだ。


 マルクスは目を閉じ、過去の記憶に浸った。あの厳しい日々が、まるで昨日のことのように甦る。


「マルクス、集中しなさい!」

 アリエル師匠の声が耳に響く。彼女の冷徹な視線が、いつもより鋭く、まるで鋼のように感じられた。

 師匠は決して容赦しない。

 魔法の基礎から応用、すべてにおいて厳格で、ひとたび失敗すれば、その厳しい言葉が容赦なく降り注ぐ。


「魔法は理論ではない、感情だ。お前の思いが魔力に干渉するんだ、もっと冷静にしかし、熱くなれ!」


 その言葉通り、マルクスは必死に手を伸ばし、魔力を扱おうとしたが、思い通りにはいかない。集中力が欠けると、呪文が言葉にすらならない。


「集中できないなら、やり直せ」


 その冷たい一言が、彼をさらに焦らせる。

 だが、その厳しさこそが、師匠の真剣さを物語っていた。

 魔法使いとしての成長を願う師匠の眼差しが、何よりも重く、胸に刻まれている。


 その回想が終わると、マルクスは軽く息を吐いた。

 師匠があれほどまでに厳しかった理由を、今は理解できる。



 マルクスは、アリエル師匠を思い浮かべると、いつもその優雅で威厳ある姿を想像する。

 鋭い眼差しと端正な顔立ち、長い赤色の髪をいつも整然としたポニーテールにまとめていた。

 そして何より完璧に引き締まった体型が、彼女の厳格さを象徴していた。



 部屋に着くと、マルクスはノックすることなくドアを押し開けた。



「師匠、お久しぶりです!」

 元気よく声をかけると――


「うわぁっ!?」


 そこには、信じられない光景が広がっていた。

 部屋はだらしなく散らかっており、テーブルの上には魔法の炭酸水や魔術転送ピザやパフェのケースが散らばっている。

 さらに床の上では、アリエル師匠が、低反発マットレスにゴロンと寝転がり、紫の薄く小さいショーツ一枚で、大の字になって昼寝をしているのだ!


「し、師匠!? 何してるんですか!?」


 マルクスはあまりの驚きに声が上ずった。

 アリエル師匠は目を見開き、慌てて顔を赤くして飛び起きた。


「な、何を見ているのです、マルクス!?」


 慌てて前かがみになり、紫の薄く小さいショーツの部分を右手で、胸を左手で隠そうとする師匠。

 そこを隠すのは大事だが、いまの問題はそこではない。

 マルクスは、アリエル師匠の腹部に目が行ってしまった。

 

 彼女の腹部にほんの少しの膨らみが――いわゆる「ぜい肉」がついてしまっていたのだ。以前は無駄のない引き締まった体をしていたはずの師匠が、ここにきてちょっとだけポテっとしている!


 その膨らみ具合があまりにも愛らしく、少しクッションのようにふんわりとした感じが、思わず笑いを引き起こした。


「マ、マルクス! 笑うでない!!」


「いえ、でも……すみません、師匠、ちょっと、あの……可愛くて」

 マルクスは何とか顔を隠すように手を振って笑いを堪えるが、やっぱり、ぜい肉の乗ったお腹を見てしまうと、笑いが止まらなくなってしまう。


「何を言っている! こ、これは…研究が忙しすぎて、運動不足で…その…」

 アリエル師匠は言い訳をしようとするが、顔が真っ赤だ。

「見るなマルクス……あ、いや! 本当に恥ずかしいんだ、そうだ……ちょっと魔力をため込んでいるだけだ」


 その顔の赤さに、マルクスはついに耐えきれず、肩を震わせて笑い声を上げた。


「ほんとうに、師匠って、恥ずかしがり屋なんですね! いや、でも、だいぶ……あ、いや、ちょっと、立派な魔力ですね…!」


 マルクスは思わず言葉がもつれ本当のことを言ってしまったが、アリエル師匠は何とか顔を覆い隠そうとしながら、必死に説明しようとした。


 笑いが収まると、マルクスは頑張って呼吸を整えた。

「まずは師匠、服を着てください」

 

 マルクスは無理につくった笑顔でそう言うと、訓練の進み具合を報告し、その他の連絡をした。


 部屋を出ようとしたところで「あっ!待ちなさい、マルクス!」と、後ろから声がかかる。

「はい?」


「皆には、絶対に行ってはいけないぞ!」

 アリエル師匠は必死に表情を作り、しっかりとした声で言ったが、今日に限っては何の迫力もなかった。


 その言葉に、マルクスはうなずきながらも、また、可愛いなと少し笑ってしまうのだった。

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