怪談⑤

タイトル:「森の匂い」


(採取日:2021年 8月14日 「××町百物語」というイベントにて、話者:三十代 フリーターの男性)


 夏の夜の森の匂いって分かります?

 森じゃなくて山でも良いんですけど。

 夏の夜に森の中に入って行くとですね、甘いような、こもったような、土の匂いっていうか、何とも言えないもわっとする香りが、澱のように地表付近に溜まってるんですよ。

 なんなんですかね、あれ。

 冬の森だとそうでもないから、やっぱり何かが発酵した匂いなんでしょうか。

 昼間だとそこまで感じないんですよね。

 多分、昼間は光合成が行われているからマイナスイオンというか植物のフレッシュな空気が濃いんでしょうね。それが夜になると、光合成が行われなくなって、植物も呼吸してるだけでしょう?

 だから、甘いちょっと変な匂いが濃くなるんですよ。

 田んぼの匂いにも近いんですよね。何もしてない休耕地じゃなくて、何か育ててる田んぼの。

 肥料とか撒いたあとのような匂いだから、腐葉土の匂いなんでしょうね。

 都会だと地面がアスファルトでしょ? だから、発酵するものが全然ないから、そういう匂いって感じないじゃないですか。

 ぼく、匂いには敏感なんですよ。

 別に臭いものが苦手ってわけでもないですし、ワインの銘柄をかぎ分けることもできないんですけど、鼻自体は効く方なんです。

 それで今嗅いでる匂いが何の匂いに近いかとかはよく分かるんですよね。


 ぼくは今日の会場から電車で三駅くらいの場所に住んでるんですけど、○○って駅。

 行ったことある人なら分かると思うんですけど、このあたりにしては結構栄えてる街で、駅の回り二キロくらいはけっこう都会なんですよ。

 田んぼとか森とか山もなくて、住宅街ですけどね。

 それでもこの辺にしては結構活気がありますよ。

 生まれたときからそこで暮らしてて、学校もすぐ近くの学校に通ってましたから、自分で言うのもなんですけど、都会っ子なんですよ。

 だから、夏の夜の森の匂いってぼくからしたら結構珍しいんですよね。

 三年か、四年前くらいかな?

 とにかく、だいぶ前のことなんですけど、ぼく、夜になってコンビニに行くために家を出たんですよ。なんか、急にカップ麺が食べたくなって、そしたらむわーんってさっき言ったような、夏の夜の森の匂いが漂ってきたんです。

「変な匂いだな」って思って、いつもはこんな匂いしないのに。

夏の夜の森の匂いみたいだなーって、思って、そのときは全然怖くもなんともなくて、むしろちょっと風情を感じてましたよ。

 でも、なんか他の匂いにも似てるんですよね。

 なんの匂いだろうって思いながら、道歩いて、コンビニに行ったんですね。

 それで春のことだったから、外で過ごすのも気持ちいいなって思って、コンビニでカップ麺にお湯を入れて、公園に向かったんですよ。

 ちょうど家に戻る途中に公園があって、なんか市営か、県営のちょっとぼろいマンションの一角が公園になってるんです。

 そこのブランコに腰を下ろして、カップ麺を啜ってたんですよ。

 カップ麵の匂いが濃いから、もうさっきの夏の夜の森の匂いはしなくなってたんですけど。

カップ麵を食べ終わって、公園のゴミ箱にごみを捨てて、帰ろうかなと思ったんですけど、過ごしやすい気温だったので、もう少しぼうっとしていようと思ってブランコに座り直したんですよ。

買ってきたお茶を飲みながら、ゆっくりブランコをこいでるとまた、ふわんって夜の森の匂いが漂ってくるんですよ。

でも、その公園の土は真っ白の栄養なんてほとんどない砂利ですから、普段はそんな匂いなんかしないんですよ。

草なんてほとんど生えてないですし、ぐるりと囲ったフェンスの周りに少しだけ植え込みがあるんですけど、それも手入れする人がいないのか、もう全部刈っちゃってるんですよね。土も白っぽく痩せてて、雑草がぴょろって生えてるだけなんです。

その公園、フェンスなんかも錆びまくってて、寂しいだけのところなんです。

ぼくはその匂いを嗅ぎながら「春の匂いってこんなだったけなあ」って思ってたんです。

でも、春なんてもう終わりかけてて、そのうちに梅雨がくるような季節で、春の匂いともちょっと違う。

なんだろう、なんか以前に嗅いだことがある匂いだなあと思って、考えたら思い出したんですよ。

ほら、布団を干したあとの甘い匂い。あれに近いんですね。

「思い出した。布団を干した後の匂いだ」ってちょっとすっきりして、そうだ、あの匂いに近いんだってすごく納得してたんですけど、みなさん、布団を干したあとの匂いって「ダニの死骸の匂い」だって聞いたことありません?

 それをぼくも思い出したんですよ。

「え、じゃあ、夏の夜の森の匂いって死体の匂いなの?」なんて思ったんです。

確かに森には色んな生物がいて、無数の生物が息絶えては地面に倒れて、微生物の働きで土にかえってるんだよなあって。

そんなことを考えながら公園を出ようとすると、ふっと植え込みの方に目が行って、見ちゃったんですよ。

ネコの死骸です。

しかも、誰かが埋めたのか、半分土に埋まってて、なんとなく頭と胴体の輪郭が土の表面から浮いてるんですよ。

 その途端、甘い匂いが急に濃くなって「うわ、これだ!」って思っちゃったんです。

 多分、誰かが埋めたんでしょうね。

 埋めてすぐは腐って酸っぱい嫌なにおいの方が濃かったんでしょうけど、甘い匂いになるまで発酵が進んでるんですよね。

 ネコの死骸の匂いだったんだって思ったら急に怖くなったんです。

 だって一匹死体が埋まってるだけでそんな臭いがしますかね?

 うちの近所では最近、よくネコがいなくなってるみたいなんですよ。

 駅前とか駐車場のフェンスとか、ブロック塀とかに迷いネコの情報を書いたポスターがべたべた貼ってあって、みんなネコを探してるみたいなんです。


 一体、あそこの市営住宅の公園には何体のネコの死骸が埋まってるんでしょうか?


 それで、誰がどういう経緯でそんなところに死体を埋めたんでしょうか?

 ね? 怖いでしょ?

 それ以来、都会で夏の夜の森の匂いがすると怖くなるんですよね。どっかに死体が転がってるんじゃないかって。

 僕が今日話そうとしていた話はこれで終わりなんですけど、僕の前に怪談を話してくれたお姉さんが住んでるところ。

 ××駅の北側。

 あそこ、ぼくもよくとおるんです。

 幽霊が見えたって話してたでしょう?


 ぼく、あそこのあたりでも、夏の夜の森の匂いを嗅いだことがあるんです。


 もしかしたらさっき言ってた歯並びの悪い男の人。

 お姉さんが幽霊を見たすぐ近くで埋まってるのかもしれませんねえ。

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