私(エゴマ)について4
高知でさびしい温泉宿に泊まることになった私は、とりあえず三日間、そこで宿泊することに決めた。
毎日宿をかえるのは面倒だったし、もうしばらく川端理央が行きたかった大学で、川端理央について聞きまわってみるつもりだった。
私は翌日、朝起きると宿で朝食を摂り、電車を使って都市部に向かう。
そこから大学まで歩き、キャンパスで川端理央の写真を見せ、彼女に見覚えはないかと尋ねて回った。
昼過ぎになると大学を出て、気ままに田舎の風景を歩きながら旅館まで戻った。
目に移る景色はのんびりとしていて、知らない街のほんの些細なものに興味を覚える自分が意外ですらあった。
実際、働いていたころは、自分がその日何を食べるかすら、あまり興味が持てなかったというのに。
線路沿いにアスファルトの道がまっすぐ伸びており、周囲はだだっ広く広がった田んぼの先に、ぽつぽつと集落がある。
それが山のふもとまで続いており、かつての庄屋や地主の家か、立派な家が山の中にくっきりと浮かび上がっていたりする。
目に付いた集落に近づいていくと、ちょっとしたハイキング気分で、立派な家を目指す。
この村にはどんな歴史があったのだろう。
どんな名家があり、どのように村を取り仕切っていたのだろうと考える。
観光客が来るようなところではなかったのだろう。
人と出会うと私はいつも奇異の眼差しを受けた。
二日目に会ったのは、田んぼ沿いの雑草を刈っていたおばあさんで、手ぬぐいをかぶって芝刈り機を握っていた。
地面には芝刈り鎌も置いてあった。
「こんにちは」
私は怪しまれないように自分から挨拶をした。
「こんにちは。珍しいね。どこから来たん?」
「関西の方からです」
「ふーん、そっちおった方が面白いでしょう。こんなところなんにもないよ?」
率直な物言いに私は苦笑した。
「いえいえ、人探しをしてまして……。この子、見たことないですかね?」
私はおばあさんに川端理央の写真を見せた。
「さあ、知らんなあ。これ、お兄ちゃんの彼女なの?」
「妹です。五年くらい前に失踪して……行方不明になったんです」
おばあさんは気の毒そうな顔をした。
「あら……このあたりに来てるの?」
「いえ、でも、この子が行きたがってた大学が近くにあるので、もしかしたら、こっちの大学に行けたら人生どうなってたんだろうって、考えて、こっちに来たような気がするんです」
「ああ、そう……」
おばあさんは改めてスマホの中の写真を見た。
親切な人のようで、かなり顔を近づけて、じっくり写真を見た後、「やっぱり知らんわあ。ごめんね、力になれんくって……」と言って申し訳なさそうな顔をする。
「いえいえ、だめもとですから」
「この村には来てないんじゃないかなあ」
「この辺はかなり大きい村ですね」
私は周囲を見渡しながら言った。山際に建てられた瓦葺の日本家屋がぽつぽつぽつと東西に延びている。
「いや、いや、あっちは違うのよ」
おばあさんは私が見ている方を指さして言った。
「違うんですか?」
「違う、違う。別の村なんよ」
「え、でもずっと家が続いてますけど」
「そう見えるだけよ。今はそこまではっきりしてないけど、あの城田さんの家が建つまでは、結構距離があったんよ。それで山の権利をめぐってもめたこともあったみたいで」
「そうなんですか?」
「うん、向こうの山に入ったら、今でも村境の石が立ってるよ」
おばあさんはムキになって言った。
どうやら二つの村の間では今でも縄張り意識が残っているようで、あっちの村と一緒にされたくないという雰囲気すら漂っていた。
「へー、そうなんですか。あっちの村には妹が出入りできそうな、旅館とか飲食店はありますか?」
「旅館も、飲食店もないよ。この辺はほんまに田舎やから。だから、そもそも旅行とか観光で来る人なんか一人もおらんの。だから、その子も多分、このあたりには来てないと……、あ、……でも……」
おばあさんはそういってさっと表情を曇らせた。
「なんですか?」
「いや、まあ、こんなんいまどきの話じゃないんだけどね、向こうの村の神社には神隠しの伝説が残ってるよ」
「神隠しの伝説?」
「うん、うちじゃないよ? うちはそんな話なんか一つもないんだけど、向こうの村には、昔雷様に嫁いだ娘があったとかって言って」
「雷様?」
雷様に嫁いだ娘。私は興味を抱いた。
「そうそう。昔ね、向こうの村の娘さんが畑仕事をしとったんよ。すると、急に空が真っ黒になったかと思うと、薄暗くなって雷がバリバリって鳴ったんよ」
そこでおばあさんは唇をぺろっと舐めた。
「それで?」
「雷が鳴り終わるころには娘さんが消えてたんよ。その家のお母さんが夕方、娘さんが見つからんことに気が付いて、あちこち探し回ったけど、どこにもおらず、村の人たちも総出になって見て回ったけど、結局その娘さんは見つからんかったんよ」
「その家のお母さんは心配で、心配でしょうがなかったけど、見つからんものはどうしようもない。そのままどうすることもできずにおってんけど、三年後の天気の悪い日に、その娘がふらっと家に帰ってきたんよ」
「帰ってきたんですか?」
意外な展開だと思った。
「そう。帰ってきたんよ。それでお母さんがどうしたんだって聞くと、自分はあの日、雷様に連れ去られて結婚することになりました。雲の上で、長らく暮らしていましたが、お母さんが心配しているだろうと思うと、気がかりで、一日だけお暇をいただいてお母さんに会いに来ましたって言うんよ」
「なるほど」
「それで、私は雷様と暮らしていますのでどうか心配しないでくださいって言って、その晩はもとのおうちで泊ったんだけど、翌日お母さんが起きてくるともういなくなってた。それ以来、娘さんは二度と戻らなかったって言う話で」
「へー、不思議な話ですね」
「向こうの山の上には雷神さまを祀った神社があるよ」
「そうなんですか」
「まあ、だからどうって言うわけじゃないけどね。よかったら行ってみて」
「分かりました。ありがとうございます」
私はそういって隣村まで歩くことにした。
確かに、いまどきの話ではない。
川端理央の失踪から、同じ娘がいなくなった神隠しの伝説を思い出したのだろうが、理央が雷神様に連れ去られたようには私には思えなかった。
川端理央が失踪した晩、雷は鳴っていなかっただろう。
彼女はアイスを買うためにコンビニに向かって、そのまま行方不明になった。アイスを買うという、ただそれだけの用事で家を出たのだから、そう天気が悪かったと思えない。
川端理央の失踪と雷神様の神隠しは、十中八九、関係のない話だ。
ただ連想したことを口にしたのか、少しでも力になればと思って教えてくれたのか、どちらにしても、まさか川端理央が雷神様に連れ去られたとはおばあさんも思っていないだろう。
それでも私はその神社に向かった。気まぐれに足が向いたのだ。
おばあさんが指さした方角に向かって歩くと、少しして家々の間隔が広くなる。
近づいてみると確かに山道の入り口に鳥居が立っているのが見えた。
見上げてみても、神社のあるらしいところは分からない。
私は時計を確認した。
暗くなるまでには帰らないといけない。次の駅まではかなり歩かなければいけないし、電車も一時間に数本しかない。
あまり遠いと日が暮れてしまう可能性がある。
「よし」
私は数秒、躊躇したあと、意を決して山に入って行った。
三十分ほど歩くと、すぐに神社についた。
と言ってもそれほど大きくはない。鳥居をくぐると、石段が続いており、それをあがるとやや開けた場所に出る。
社務所もなく、雑草の生い茂った境内に、小さな祠があるだけだ。
薄暗い。
私はぐるりと祠の周りを一周してみた。
もちろん、川端理央の姿はどこにもなかった。
私は祠の中に置かれた小さな賽銭箱に十円玉を入れた。手を合わせて、目を閉じ、川端理央がまだ生きていることを願った。どこかで幸せに暮らしていることを願った。
私が目を開けて、来た道を戻ろうとしたときだった。
振り返ったその先に、女の子がいた。
正直、ぎょっとした。
村の子どもだろうか。
赤白青のストライプが入った袖なしのシャツを着ていて、膝までの短パンを履いていた。よく日に焼けていて、田舎の少女らしい純朴な顔立ちをしている。
手にはバレーボールを持っていた。
人がいるとは思わなかったし、少女が一人でこんなところにいるのも不思議だ。
田舎のことだから、こんな小さい子でも外で一人で遊ばせておくのかもしれない。 山道は少々険しかったが、田舎の子はたくましいから、このあたりまで登ってきてもおかしくない。
神隠し伝説のある神社で、ふいに女の子と会ったことにひやりとしたが、私はそれを伝説とかこつけて考えるほど迷信深くはなかった。
「おじさん、村の人?」
少女はそう聞いてきた。
「ううん、本州の方から来たんだ」
「ふーん、何しに?」
「妹を探しに来たんだ」
私はそういって少女の隣にしゃがみこみ、スマホで川端理央の写真を見せた。
「あんまり似てないね。これ、本当におじさんの妹?」
「実は親友の妹なんだ」
子どもらしい正直さに苦笑する。
「ふーん、このあたりにはいないよ」
「どうもそうらしいね」
「おじさん、一緒に遊ばない? こっちでバレーボールしようよ」
少女は境内の裏手を指さした。よく見ると、草木の生い茂った中に、獣道のようなものが見て取れる。どこか、開けた場所に出るのかもしれない。
「悪いけど、日が暮れるまでに宿に戻らなきゃ。すごく遠いところまで来てしまったんだ」
「大丈夫。わたし、近道知ってるよ」
少女はそういって獣道の方を指さしたが、どう考えてもそっちから駅の方向に出られるとは思えなかった。村まで戻った方がはるかに近いはずだ。
「ごめんね、今日は朝から歩き通しで疲れたんだ。そろそろ戻らないと電車に間に合わないから」
「そっか」
少女は寂しそうな顔をする。
「村まで一緒に戻る?」
「ううん、もう少し遊んでく」
少女はそういって境内の裏手の獣道に消えていった。
一人で大丈夫だろうかと思ったが、いつもああやって遊んでいるのだろう。
私は少女を置いて、来た道を戻った。
幸い、道に迷うこともなく、線路沿いの道までたどり着くことができた。あとはその道に沿って、駅を目指す。
駅に着くと自動販売機で水を買って飲んだ。
喉が渇いていて、一口で半分ほど飲み干してしまった。
そのうちに電車が来たので、私はそれに乗って駅に戻った。
こんなふうにして二、三日を過ごした。
午前中に大学で理央の写真を見せて歩くほかは、かなり自由で、気が向いたところで昼飯を食べ、気が向いたところに歩いて行く。
ただそんな生活も三日も続ければだんだんと飽きてきた。
成果はまったくあがらず、自分がまったく無駄なことをしている気分になってくる。
なんのためにこんなことをしているのかも分からず、最初は楽しかった田舎の風景もだんだん見飽きてくる。
一度、帰ろうと思った。
川端も期待はしていないだろうが、気にはなっているだろう。理央の行きたがっていた大学で彼女を知る人を見つけられなかったことを報告しようと思った。
川端はもっとほかの候補地を考えてくれるかもしれない。
私は帰りのルートを調べた。
またバスに乗って帰るのも良いが、せっかくなら行きとは違った道で帰りたい。
そう考えながら調べて行くと、しまなみ海道といって、愛媛県から瀬戸内海の島々を歩いて渡れる道がある。
瀬戸内海に浮かぶ島々を見ながら海の上を歩くのは楽しそうだ。
急ぐ旅でもないから、明日は愛媛県に行ってそこで一泊しよう。そこからしまなみ海道を通って本州に戻り、電車で家まで戻ろう。
翌日から私はそのように行動した。
インターネットで調べたときは、しまなみ海道は観光地として整備されていて、自転車も借りれるそうで、ネットで出てきた写真でも海の上をかなり多くの観光客が行きかっていた。
しかし、その年の夏はかなり暑かったからか、あるいは夏休みにはまだ少し早い時期だったからか、観光客はほとんど見なかった。
私はほとんどの時間を一人で、しまなみ海道を歩き続けた。
不思議な感じがした。
瀬戸内海の海は穏やかで、海面には白い波が小さく立つ。
正面には水平線の先に本州の稜線が見え、振り返れば、四国の山々が霞の中に浮かんでいる。
私は物事についてどちらかと言えば淡白な方なのだろう。
あるいは一日中パソコンと向き合っている生活に慣れきってしまったせいか、感情の揺れ幅が小さいように思えた。
最初は海の上を歩いているということに感動していたのだが、すぐに退屈に思えてきた。
その年はとにかく暑かったから、そんなことに感動している余裕はなかったのかもしれない。
とにかく何度も自動販売機で水を買い、ごくごくと勢いよく飲みながら歩き続けた。
私は歩き続けた。
とても長い時間歩いていたような気がした。
ただそれも着いてみれば一瞬の出来事だったように思えた。
私は本州に着くと、電車に乗って地元の町まで帰ってきた。
それから川端の携帯に電話をかけた。
「もしもし?」
電話に出た川端の声は心なしか動揺しているように思えた。
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