私(エゴマ)について2
柳さんの話は、実際にはこの文章のように順序だてて語られたわけではない。
私が柳さんの暮らしに興味を持って熱心に聞くようになってからは、なるべく筋道立てて話すようにしてくれたのだが、それまでは世間話の合間に断片的に語られるに過ぎなかった。
私たちが話をするのはいつも検品作業のために派遣された某家具メーカーの倉庫で、それも昼休み、昼食を食べ終えてから午後の労働が始まるまでの短い時間だった。
それ以外の現場でも顔を合わせることもあったが、ゆっくり話をする機会はなかった。
そのため週に二度ほど週刊誌の連載小説のように語られる話は、途中で途切れたり、どこまで話をしたか分からなくなることもあった。
私がいつも興味深そうに聞いているせいか、柳さんの方でも張り合いが出てきて、昼休みが終わりを告げるチャイムが鳴るまで夢中になって語ることもあった。
「今日は君の番だよ」
「え、またですか?」
柳さんは食堂でカップラーメンを食べ終えるとそう言った。
「いつも俺ばっかり話してるから。この前言ってた話の続きも聞かせてよ。なんだっけ。失踪した親友の妹を探すために旅に出たんだっけ?」
他人の口からそうきくと照れくさくなる。自分としては切実なものがあって、そういった行動に出たわけだが、まるで逃避行に出るお題目を探していたみたいだ。
いや、実際、その通りで、川端理央を必要としていたのは私の方なのだ。川端理央本人は私の捜索など期待していなかっただろう。
でも、あらゆる日常を断ち切って失踪した川端理央にファンタジーを見出したことを私は今でも仕方がなかったと感じている。
あのままシステムエンジニアとして働いていたら、いつ通勤途中でホームに飛び降りたか分からないのだから。
「まあ、そうですけど」
「それでまずはどこに行ったの?」
旅に出ると言っても、川端理央を探すという目的上、どうしても近所から始めなければならなかった。
私は昼過ぎに親友の実家を訪れた。
親友の家のインターフォンは押さなかった。両親に無駄な期待を持たせたくなかったし、私がいきなり川端理央を探し始めたのも彼らからすれば異常に映っただろう。
ただ、家の前で、アイスを買いに行くといって家を飛び出した川端理央を想像してみた。
その後、彼女がその晩、アイスを買うために向かったであろうコンビニに行った。
コンビニの店員にも川端理央の写真を見せて質問することはなかった。
あれから五年が経って、従業員も当時とは入れ替わっているだろうし、このあたりは警察も聞き込みを行っているだろう。
なにせ、当時は全国的なニュースになった連続通り魔事件の捜査が行われていた。
無差別殺人事件と時期が重なったこともあり、川端理央もその事件の被害者である可能性が浮上した。
後に犯人である少年が捕まり、川端理央という女性については何も知らない、会ったこともないと供述したそうだ。実際に少年には川端理央が失踪した日のアリバイがあったことから、事件との関係はひとまず否定されたという。
このあたりは親友がしつこく刑事から聞き出した情報で、失踪当時に愚痴の数々とともに聞かされたことがあった。
だから、私はとにかくスタート地点から始めようとしただけで、何か手掛かりがつかめると思って行ったわけではなかった。
私はコンビニの前に立って周囲を見渡してみた。
比較的開発の進んだ住宅街で、夜になっても周囲は明るい。
川端の家は横断歩道を挟んで百メートルほど先にあり、マンションの一画がここからでも見える。
このあたりは治安もよく、距離的にもただコンビニに行って、帰ってきただけなら犯罪に巻き込まれる可能性は低いように思えた。
もし、川端理央が嘘をついて、もっと別の場所に向かったのだとしたら分からない。
あるいはお目当てのアイスが売り切れで、さらに遠くのコンビニまで探しに行ったのだとしたら、話は変わってくる。
が、総合的に考えてみても、犯罪に巻き込まれたと断定できるものは何もなかった。
私の見解は当時の警察のものと同じだった。
犯罪に巻き込まれたわけではなく、自主的に失踪したのだとしたら、どういうわけだろう。アイスを買いに行って、急に気が向いてどこかに行きたくなる。キャッシュカードさえあれば金はどこででも下ろせる世の中だが、それでも家に戻って準備を整えることもせず、そのまま失踪してしまうとは考えられなかった。
私はコンビニの前で当時の川端理央の心境に思いを馳せようとした。
しかし、うまく想像することはできない。
思い浮かんだのは、数日前仕事を辞めようと思った自分の心境だった。
今の私が誰にも何も告げることなく、移動、生活の痕跡を残すことなく同じことをしていたら、私も「失踪した」として扱われたかもしれない。
なにせ、数年前に失踪した親友の妹を探して旅に出るなど、誰の想像にも及ばないのだから。
夕方になった。
私は近くの居酒屋に入って、ビールと焼き鳥を注文した。
仕事をやめて旅に出たのだから、そう贅沢はしていられない。これからはもっと節約しなければいけないと思いながら、酒を飲んだ。
七時までダラダラと居酒屋のテレビを見ながら飲んでいると、川端から電話がかかってきた。
「もしもし」
「なあ、お前、本当に理央を探しに行くの?」
川端は昨日メッセージアプリで川端理央の写真を何枚か送ってくれたところだった。
「うん、そのつもり。実際には旅に出るついでに、ちょっと探してみようって感じだけど」
人からあまり心配されたくないので、あくまでも旅がメインで、捜索はついでだと強調していた。
「そうか。お前、今はどこにいるんだ?」
「近所の居酒屋で飲んでるよ。ダイエーの向かいの焼き鳥屋」
「あそこか。今からいっていいか?」
「良いよ。待ってる」
川端は三十分後に現れた。
安物のスーツにくすんだ色のネクタイをしていた。
一日働いてきたところなのだろう。かなり疲れた様子だった。数日前まで自分も同じか、もっとひどい状態で、自分がそれを手放したことに、後ろめたさを感じた。
「お疲れ」
「おう、久しぶりだな」
川端は打ち解けた笑みを浮かべると、ビールと焼き鳥を注文して、皿に残っていた串に手を伸ばした。
「仕事はもうやめたのか?」
「ああ、やめた」
「有給は?」
「もともと大してなかったよ」
「お前んところ、結構キツそうだったもんな」
私はSNSで仕事の愚痴をよくこぼしており、私のアカウントをフォローしていた川端はそれを読んでいたようだ。
「まあ、辞めたのも僕が初めてじゃない」
「それはそうと、どこへ旅に行くかは決めたのか?」
「いや、まだ決めてない」
私は気まずそうに答えた。自分の中では今日が旅の一日目としてカウントしていたのだが、私はまだどこへ行くかも決めていなかった。
今日、川端理央の実家やコンビニを見て回って決めようと思っていたが、手掛かりを得られるわけでもなく、何か思い当たる節があるわけでもなく、何のあてもなかった。
「それならさ高知へ行ってみてくれないか?」
どうやら川端はそれを言うためにここに来たらしかった。
「高知?」
「ああ、昨日ふっと思い出したんだけどさ、理央は高三のときに受験に失敗して、地元の大学に通っていたんだ。本当は高知大学に行くつもりで、何学部だったかは忘れたけど、とにかく行きたい学部があったんだよ」
「そうなんだ」
「理央が失踪したのは大学二年生の春だろ? もし、学校が退屈で、志望校に合格してたら今頃どんな生活だったんだろうって考えたら、高知へ行った可能性もなくはないなって思って」
「まあ、確かに」
それは納得のできる解釈だった。
誰にでも長い人生の中で一つや二つ悔いがあるはずだ。
「あそこでこうなっていれば」と考えることは誰にでもあるだろう。
誰にでもあると言っても、普通はちょっとした空想で終わることがほとんどだ。
だが、日常への不満が最高潮に達していると、あり得たもう一つの今を本当に覗いてみたくなるのかもしれない。
「だろ?」
「それに、受験に合格してたらどんな人生だったか見に行くなんて、家族には言いにくいもんな」
「うん。誰にも何も告げずに出て行ったのも一応説明がつく」
「でも、そんな理由で旅に出たなら三日四日で戻ってくるだろ」
「さあ、本当にあり得たもう一つの今を生きてみたくなったのかもしれない」
それも納得のできる解釈だ。
日常への不満が最高潮に達して、あり得たもう一つの今を覗くために旅に出る。そして、そこで恋に落ちたり、恋に落ちなくても最高の居場所を見つけたりして、そのままもう一つの今を生きようと思う。
家族はどんなに不可解な失踪でも、今もどこかで幸せに生きていてほしいと思うものだ。だから、こういう風に考えて、希望をつなぐのだろう。
しかし、どうも納得できない。
「そんなことがほんとうにできるかな?」
「それだけ現実世界がイヤになったってことだろ。俺も、できることなら、どこか静かな田舎で小さな畑やなんか耕して、近所のおばあちゃんから電気設備の修理やなんかを請け負ったりしながら暮らしたいよ」
川端は現在電機メーカーに勤めている。そういった知識を買われつつ、田舎で気ままに暮らしたいようだ。
「高知ね……」
「別に良いんだろう? 行き先は決まってないんだから」
「ああ、良いよ。空気も美味しいだろうし、のんびりしてて良いところだろう」
「ああ、絶対、気分転換になるよ」
もしかしたら川端はぐずぐずして、妙な感傷に浸っているだけの私にまっとうな旅行プランを提案してくれたのかもしれない。
自然豊かな場所で地元の料理を食べたり、ゆっくり温泉に使ったりするのは、地元で失踪した女子大生の最後を辿っているより、よほど健全な過ごし方だ。
私たちはそれから酒を飲み、料理を追加し、昔話をして、川端の仕事の愚痴を聞いて別れた。
「じゃあ、楽しんでこいよ。理央を探すのは、本当に気が向いたときだけでいいから」
勘定を終えて外に出ると川端は何気ない様子でそう言った。
外に出ると店の前にはぬるい空気が淀んでいた。
「分かってる。ありがとう」
私たちはそういって別れた。
「って感じで、高知に行くことになったんです」
私はここまでの話を手短に柳さんに語った。
「なるほどまずは高知ね」
柳さんはわくわくした様子で言った。これから壮大な旅行譚が聞けるものと思ったらしい。
「まずはも何もありませんよ。ただ、高知に行っただけです」
私は苦笑した。
「え? でも、かなり長い間旅に出てたんだろう?」
柳さんはそう言った。
「ですね。そのブランクのせいで中々定職に就く気になれないんです」
「じゃあ、ずっと高知にいたの?」
「まあ、そうなりますね」
「そうすると、その親友の妹は見つかったわけだ。そこで、君はすべてを放棄した先に、全く別の人生を見つけた」
私は苦笑した。
自分の繊細な動機は案外柳さんにも伝わっていたらしい。いつまでも高知にいたことから、私がそこで川端理央を見つけて、新しい人生の居場所を教えてもらったと考えたようだ。
私と柳さんが妙に馬が合うのは、彼もロマンチストだからかもしれない。
「いえ、そういうわけでもないんです」
「じゃあ、君は親友の妹が見つかるまで、高知の隅から隅まで探したのかい?」
「いえ、そういうわけでも」
「じゃあ、親友の妹探しは脇に置いといて、高知での生活を楽しんだとか」
「うーん」
正直に言うと私は首をひねるしかなかった。本当のことを柳さんに言うのは我ながら難しかったからだ。特に一言で言ってしまえるものでもなかった。
「じゃあ、とにかく君の高知旅行の顛末を聞こうか」
柳さんは言った。
「ダメですよ。明日は柳さんが話す番です。一体、柳さんはどうして廃墟で住むのをやめちゃったんですか? 日野さんの言うことも聞かずに、いくら不気味なことが起こっても、そのままにしておいた柳さんがどうして引っ越そうと思ったんです?」
「しょうがないな。じゃあ、また俺が話そう」
柳さんはまんざらでもなさそうだった。私の話に興味を持ってくれているのは事実だろうが、聞くより話す方が張り合いが出るようだ。
だから、話はまた柳さんの廃墟生活へと戻る。
私がこのような順番で柳さんの話を書き留めているのは、何も実際にあったことをただ単に時系列順に並べているだけではない。読んでいる人の関心を引き留めておくために、話を小出しにしているのでもない。
私自身が自分の周りで起こったことを整理して、理解するためにこういう順番で書くしかないのだ。
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