私(エゴマ)について1


「ところで君はどうして派遣なんかやってるんだい?」

 昼休みに、廃墟について柳さんに話を聞く間、ときおり柳さんは私の方に質問を向けた。

 柳さんから見れば、私が検品や事務所の撤収作業などの日雇いの仕事についているのが不思議らしい。

 私の学歴が就職するにはさほど困らないことを柳さんは知っていたし、いかにも細く頼りないことは見ての通りだ。

 几帳面で会社勤めに馴染まないようにも見えない。ギャンブル、酒、女に身を持ち崩すタイプに見えないことから、探せばもっといい仕事はいくらでもあるだろうというのが柳さんの意見だった。


「実は前までは別の仕事をしていたんですよ」

「なんの仕事をしていたの?」

「プログラマーです」

「大した仕事じゃないか」

「それほどでもありませんよ」

 柳さんのような人からすればプログラマーやシステムエンジニアと聞けば、とてもすごい仕事に見えるらしいが、プログラマーと言ってもピンからキリまである。

 画期的なマクロを作ったり、まったく新しいプログラムを書いたりするのは、ほんの一握りの人間で、大勢の人間は既にあるコードをどのように見つけ出して、いかに組み合わせるかというのが仕事の大半だ。

 中にはインターネットで調べたコードを何がどうなっているのか分からないままコピペして、エラーの修正は上司に頼りっきりという新人もいる。

 このあたりのことは柳さんに説明しても仕方ないので、私は黙っていた。


「それで、どうしてやめちゃったんだい?」

「どう説明すればいいのか……、親友の妹を探すことにしたんです」

「親友の妹?」

「はい。六年くらい前に親友の妹が急にいなくなったんです」

「それをどうして君が探すことに? 好きだったの?」

「いや、そういうわけじゃないんですけど……」

 実を言うと私はこのことについてうまく説明することができない。自分でもなぜ、こんなことになったか分かっていないからだ。

 私には高校、大学と同じ学校に通った親友がいた。

 川端という男で、高校時代はよく彼の家に遊びに行ったものだった。

 そのため妹の理央とも面識があり、挨拶は当たり前のように交わしたし、時々短く世間話をすることもあった。

 私が大学三年生のとき、川端理央はコンビニでアイスを買ってくるといって家を出たきり、居場所が分からなくなった。

 朝起きて、理央がいないことに気が付いた母親は、家族に理央はどうしたのかと尋ねた。

 昨晩までいたし、朝が早いとも言っていなかった、などと話し合っているうちに、そういえば、昨日アイスを買いに行くと言ったきり、戻っていないことが分かった。

 それは普通のことではなかった。

 反抗期はとっくに過ぎていたし、黙って何日も家を空けるタイプではない。

 コンビニでアイスを買ってくると言って出て行ったのだから、荷物もほとんど持っていなかった。

 理央のスマホにメッセージを入れてみるも、連絡はつかない。

 どうしたんだろうと心配しているうちに日がくれ、連絡を待っているうちに翌日になった。

 家族は、事件や事故に巻き込まれたのではないかと周囲を探し回り、理央のクラスメートにも居場所を聞いたが、結局理央は見つからなかった。


 両親は警察に捜索願いを出し、SNSで目撃者を募った。

 川端の母親は相当取り乱し、落ち着きなく家の前をうろうろし、「本当に変わったことはなかったか?」と同じことを何度も質問した。

 一週間が経った頃には母親は気が狂わんばかりに憔悴し、取り乱し、急に泣きはじめたり、長い時間ぼうっとしているありさまになった。

 川端はそのことに関して、よく私に相談を持ち掛けた。

 私は話を聞いていることしかできなかった。


「え、でも、それって大学生のときなんだよね?」

 私がここまでのいきさつを柳さんに話すと不思議そうに首を傾げた。

「はい」

「きみが親友の妹を探すことになったのは社会人になってからだ。つまり、親友の妹はその間ずっと行方不明だったってこと?」

「そうです。あのときですでに三年はたっていました」

「三年も行方不明か……。失踪したときも一緒になって探したの?」

「いえ、そこまで親しかったわけじゃないんで、僕にできることはほとんどなかったですよ。繫華街に行ったときにふいに思い出して人混みの中で、彼女の姿を探したり。その程度ですよ」


 私は川端とは親友だったが、妹の理央とは特に親しかったわけではない。

 そのうえこう言うと冷たい人間に思われるかもしれないが、私には私の生活があった。単位を取るために授業に出たり、レポートを書いたりしなければいけなかったし、せっかくの大学生活なのだから、羽目を外して遊びまくりたかった。

 それに当時は私にも彼女がいて、そっちの方が何倍も大事だった。


「まあそうだよね」

 だから、私は親友と会って話をするとき以外は川端理央のことをほとんど意識しなかった。

「それが何で、社会人になってから彼女を探そうと思ったの?」

 そう。そこが問題だった。

 私は結果的には仕事を辞めてまで川端理央を探し回ることになったのだが、その理由が上手く説明できないのだ。

「多分、仕事が辛かったのが一番の理由だと思います」

 私の所属している会社は小さなIT会社で、よく大手企業と契約してIT業務の下請けをしていた。

 要するに派遣とそれほど変わらない。

 大手企業の工場に出向いて、そこでプログラムを書くのだ。

 ここで派遣労働の問題点を並べ立てるのはやめておく。搾取の実態や日本経済低迷の一因を説明することは可能だが、そんなことはもう周知の事実だろう。

 ただ現場目線で言えば、取引先で仕事をするのはとても気を遣う。

 自分の職場でありながら、そこが顧客のものだという状況はかなり悲惨だ。

 もし、下請けを使えば人件費を削減できると真剣に思ってる人間がいたら、それは間違いだ。労働者の能率が悪化し、士気も忠誠心もあったものではない。

 私がイヤだったのは冷暖房についてだ。

 自分の会社だったら冷房が効きすぎているときも、暖房が暑すぎるときも気軽にリモコンを操作して、調節することができる。

 しかし、職場はお客さんのものであり、設備の使い方に関しては顧客が決めることだ。

 そうすると勝手にエアコンの温度をあげたり下げたりすることができない。

 エアコンくらいならタオルケットを持ち込んだり、涼しいシャツを買ったり、こちらで調節することができる。これはまだ些細な方だ。

 私が出向していた企業は節電対策の一環で、昼休みになると室内の照明をすべて落としていた。

 朝から働き、やっと一息つけるはずの昼休み。

 薄暗い工場の中で、さらに照明が落ちた中、ぼそぼそと昼食を食べる。


 これで病まない方が不思議だ。

 私は何度も昼休みには照明をつけてほしいと同僚に愚痴ったのだが、そのたびに同僚は私にこう言った。

「俺たちにはどうしようもないよ。ここはお客さんの会社だ」

 自分の会社なら上司に掛け合うこともできるし、ときどき顔を見せる社長に直談判することもできる。

 しかし、ここでは私たちの声は届かなかった。職場の些細な不満や不備でさえ、改善されることはなかった。

 そんな中、私が会社をやめ、親友の妹を探すきっかけとなる事件が起こった。

 それは本当に冗談みたいな話だった。

 システムエンジニアはプログラムを書く際にコメントアウトと言ってソースコードの中にメモを残す。

 特にこういった大勢の人間で一つのプログラムを作っている間は、誰が何をした。これから何をしなければいけないかなど進捗を書きながら進めて、プロジェクトの状況を把握できるようにしておくのだ。

 例えばC言語なら

/*×月〇日。どこどこのエラーを修正した。(tanaka)*/

という風に書く。

 あるいは、これから絶対にしなければいけないことがあった場合には

/*(to do)どこどこのエラーを修正する*/

 To doとはするべきことという意味で、忘れてはいけないことをこういう風にメモするのだが、あるときこんなことが起こった。

 私が働く職場には東堂さんという人がいて、東堂はローマ字で表記すると(todo)になる。納品日間近、連日の残業で疲れていた私たちは、普段は絶対にしないはずのミスを犯した。


/*(to do)どこどこのエラーを修正する*/

 という絶対にしなければいけない仕事を東堂さんがすでにやってくれたものだと勘違いしたのだ。

 結果的に致命的なエラーを残しながら、プログラムを納品してしまい、それに気が付いたときにはもうプログラムがすでに動き始めたときだった。

 私たちは上司と顧客にこっぴどく叱られ、徹夜でエラーを修正することになった。

 私は徹夜での作業を終え、夕方の五時に何週間ぶりかに定時で帰ることになった。

眠くてたまらなかった。

 もう何もせずに、今すぐこの場で眠ってしまいたかった。


 ホームに電車が入ってくるとき、ここに飛び込めばそのまま眠られるのになと真剣に思った。

 そんなことを考えている自分が恐ろしくなり、このままではいけないと思ったとき、ふいに川端理央のことを思い出した。


 彼女もそんな感じだったんじゃないだろうか。

 何か悩み事や辛いことがあり、それが心の中で積もり積もっていた。アイスを買いにコンビニ行ったとき、このままどこかに行ってしまいたい。そうすれば何もかもが救われると感じたのではないだろうか。


 彼女は今どこで何をしているんだろう。

 悩み事や辛いことを手放し、家族や友人、自分の身分を完全に放棄し、それでも生きられる場所があるのだろうか。


 日本では年間に約八万人が行方不明となり、捜索願いが出されると言う。

その中には認知症の老人や、遭難者、自殺者も含まれているが、中には何年かしてふらりと戻ってくるものや、新たな人生を歩んでいるのを、まったく別の場所で発見される人もいる。

 私はふいに川端理央に会いたくなった。


 今どこで何をしていて、すべてを放棄した先にどんな居場所を見つけたのか。彼女が幸せに生きられる場所を知っているなら私にも教えて欲しかった。

 私は翌日に退職届を出して、仕事をやめた。そして、川端に電話した。


「久しぶり。どうしてる?」

「おお、久しぶりだな!! ぼちぼちやってるよ」

 久しぶりに聞く川端の声は明るかった。

 少しの間当たり障りのない世間話をした後、私はこう切り出した。

「ちょっと時間ができてさ、急に大学時代のことを思い出したんだよ。理央ちゃんはあれからどうなった?」

「理央か……まったくどうしてるんだろうな。まだ戻ってきてないよ」

 川端の表情が強張ったのが分かった。

 突然、旧友から連絡がきて、喜んでいたかと思えば、行方不明になった妹の話を持ち出されるのだから気分はよくないだろう。


「そうか……。ちょっとさ、最近仕事をやめて時間ができたんだよ」

「そうなのか。大丈夫なのか?」

 私の性格からして仕事を辞めたのにはそれなりの理由があったと判断したらしい。川端は私のことを心配してくれた。

「なんてことないよ。仕事を辞めるのくらい普通だろ?」

「まあな」

「ちょっとさ、旅に出ようと思ってるんだ。一か月くらい、気分転換をしてこようかと」

「それがいい」

「そう思ったときに、ふっと理央ちゃんのことを思い出したんだ。急にいなくなって、どこで何をしてるんだろうって。せっかくあちこち旅してまわるからさ、彼女のこと探してみようかと思って。写真かなんかないかな?」

「写真はあるけど、良いのか? せっかくの気分転換なのに」

「良いよ、良いよ。必死になって探し回るわけじゃない。旅先で出会った人に写真を見せて聞いてみるだけだよ。見覚えのある人がいたらラッキーくらいな感覚だ。だから、あまり期待しないでくれよ」

「分かってる」


 私は川端とそんなやり取りをして、スマホにいくつか写真を送ってもらった。それから昔話をちょっとだけして電話を切った。


 これが会社を辞めたときに起こったことだ。

 何が一番の原因で、何が私を動かしたのかはよく分からない。

 仕事が辛くて、会社を辞めたかっただけなのか、それとも川端理央が家族やそれまでの生活を捨ててまで、手に入れた新しい居場所に興味を持ったのか。

 それとも彼女を探すこと自体に大袈裟に言えば人道的な使命を感じたのか。


 私の話を柳さんはうん、うんと静かに聞いていた。

 私としては自分の話よりも、柳さんの廃墟での生活に興味があったのだけど、柳さんのプライベートな話を聞きだすからには、こちらもそれなりに自己開示をしなければいけないような気もしていた。


「なるほどね。そういう話だったんだ」

柳さんはそれで納得してくれた。

システムエンジニアの仕事をしていた。やめて、日本各地を旅してまわった。戻ってきて派遣労働をすることになった。

柳さんはこの説明で一応納得してくれたらしい。

時計を見ると、十二時五十分だった。一時までにはまた倉庫の作業所に戻って、検品作業開始しなければいけない。

「そろそろ行きましょうか」

「もうそんな時間か」

 柳さんはそう言って笑った。

「俺、トイレ行くから。先に戻ってて」

「分かりました」

 私は先に作業所に戻る。

 こうしてその日の昼休みは終わった。

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