柳さんによると
こんな場所には誰も寄り付かないかと思えば、そうでもないから世間はおもしろい。
実はこの廃墟には廃墟マニアや地元の不良とは別に複数の人物が頻繁に出入りを繰り返していた。
彼らは毎晩あるいは毎週のごとく「〇州極楽ホテル」を出入りしていたのだが、不思議なことに事件が起こるまで互いの存在をほとんど知らなかったという。
唯一全員の存在を把握していたのが、柳さんで、自然、柳さんが一番事情に通じていた。
柳さんは近くのドヤ街で暮らすいわゆるホームレスで、月々の障害年金と派遣労働で暮らしている。
私(エゴマ)は去年の夏に、一時期派遣のバイトをしており、そこで柳さんと知り合った。
私は自慢ではないが、学歴は比較的高く、学生時代は勉強ばかりしていたし、社会人になってからもパソコン相手の仕事ばかりだったため、肉体労働に関してはかなりどんくさかった。
そのうえつい思案に沈み込むくせがあり、よくぼーっとしていると叱られた。
派遣のバイトのときも、事務所の撤収作業に軍手を忘れて、責任者の男性にひどく怒鳴られた。
実際、鉄製の事務机はあちこちが尖っていたり、平たい鉄板が手に食い込んだりして、手を切りそうになる。こっちの力が入らないと、同じ机を持っている人が負担を強いられる羽目になる。
顔を真っ赤にしたおじさんが怒り始めるまでそう長くはかからなかった。
こっちが恐る恐る事務机をもっているのを見つけて、
「お前軍手してねえじゃねえか!!」と怒鳴りつけてきたのだ。
私が軍手を忘れたことを告げると、ペアの男性は責任者に告げ口をした。
「お前、何しに来たんだよ!!」
「すみません……」
子どものころから大人しく、怒られ慣れていない私は目をぎょろぎょろさせて謝った。
「舐めてんのか。お前だけが怪我するんじゃねえんだぞ」
私は体格のいい中年男二人に詰め寄られて、汗をびっしょりかいていると、柳さんが近づいてきた。
「この手袋でよければ貸してあげようか?」
柳さんが持っていたのは指の部分に穴があいた手袋で、軍手とは別に細かい作業をするときのために持ってきたという。
指の部分は露出しているものの、素手よりは断然いい。
「おう、それ使え」
責任者の男性が私より先に言った。
「すみません……」
柳さんは短い白髪がぱらぱらと頭の上に散ったおじいちゃんだ。ホームレスと言えば服装も変で不潔なイメージがあるが、柳さんは黄ばみのない白いシャツの上に作業着を着ていた。
私が想像していたホームレスよりももっとずっと普通の人だった。
むしろ、あの中ではガリガリで頼りなさそうな体格で、ピカピカのジーンズ姿で作業をしていた私が一番の異端者だったと思う。
私は柳さんから軍手を受け取って作業を続けた。
仕事が終わって軍手を返すときには何度もお礼を言った。
「気を付けるんだよ。危ないから」
柳さんはそういって笑っていた。
それ以来、柳さんとは複数の派遣先で顔を合わせるようになった。柳さんの方が私に気をかけてくれてよく話しかけてくださった。
某家具量販店の倉庫にある食堂で、一個三百円のカップラーメンを食べながら柳さんは「エゴマくんは賢いんだからもっと楽なバイトがあるだろう」と言って笑った。
塾講を何度も勧められたのは、私が使えないのを見かねて声をかけてくれたのかもしれない。
そうして私と柳さんの間にはいっときの親交が生まれた。
そのときに柳さんから聞いた話が「〇州極楽ホテルの怪異」だ。
事件の性質上「〇州極楽ホテル殺人事件」と言ってもいいのかもしれないが、ミステリー小説のような題名をつけてしまうと、綺麗なトリックやひざを打つようなオチを期待されるかもしれない。
でも、現実はそうすっきりとは片付かないものだから、「〇州極楽ホテルの怪異あるいは廃墟の案内人」とさせていただく。
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