柳さんによると2

 柳さんがなぜホームレスになったのかを私はよく知らない。

 そのあたりのことは私の方でも聞きにくかったからだ。

 ただ、日常会話の際に聞いた断片的な情報を繋ぎ合わせると、どうやら以前は派遣とは別の仕事をしており、給料もずっと良かったという。

 どうも包丁を使う仕事だったようだから、レストランや居酒屋の厨房か、精肉店、魚屋の従業員だったのかもしれない。

 それがあるときから、右目の視界がかすんでよく見えないようになったらしい。

 病院に行くと白内障と診断された。そのときでさえ不便な思いをしていたのだが、進行していくと目が見えなくなることもあると医者から言われた。

 それでもすぐに仕事を辞めたわけではなかった。

 慣れ親しんだ道具と経験があれば、右目が見えづらいことくらいカバーできると考えたのかもしれない。

 しかし、目が見えにくいことで今までにはなかったミスが起こるようになった。

 具体的には分からないが、仮に魚屋の従業員だったとしたら、市場での競売りの際に、大したことのない魚に高額な値をかけたり、逆に魚の品質を見極めかねて、狙っていた魚で競り負けることがあったのかもしれない。

 そういうことが続くと自信もなくなってくる。周りの評価が落ちるまでには至らなくとも自分で自分が嫌になってくる。


 何がきっかけになったのかは分からないが、最終的には仕事を辞めてしまった。

 収入は大幅に減り、生活の質を落とさざるを得なくなった。

 柳さんには助けてくれる家族や恋人がいなかった。友だちもまったくおらず、そのため周囲に対して最低限、体裁を保つ必要はなかった。

 そのうえ身の回りのことには元々無頓着な性格だった。

 あれも諦め、これも捨てとしているうちに、ついにアパートも捨ててホームレスになった。

 私は同じ現場で働いていたから、柳さんの給料も大体想像がつくが、アパートを借りられないほど稼ぎが低いわけではない。

 とはいえ、安くない家賃を払って狭いアパートに住むなら、そのお金を別のことに使った方が快適だと考えたのだろう。

 それに病気で仕事が続けられなくなったのだとしたら、家賃に関してもなんらかの控除が受けられただろう。

 しかし、そういうシステムがあることを教えて、煩雑な手続きを一緒にやってくれるひとが柳さんの周りにはいなかった。

 ホームレスになった柳さんは当初、川沿いにある遊歩道の休憩スペースで寝起きをしていた。壁はないが屋根はあり、ベンチに毛布を一枚敷けば快適に寝られる。

 そのうえ水道とトイレはすぐ横にあり、飲み水には困らないし、洗濯もすることができる。

 中々快適なところだったそうだが、そう長くは続かなかった。

 柳さんがいつくようになり、近隣住民が市に苦情でも入れたのだろう。

 ある日、夜中に寝るためにそこを訪れると、休憩スペースのベンチがとり変えられていた。

 ベンチの中央にはひじ掛けにもならないような仕切りがあり、どうやっても寝そべることができない。

ここに居座るなというサインだった。

 ホームレスの界隈には詳しくないが、その場所が駄目になったからといって、別の場所で暮らすことはできないらしい。

 ホームレス界隈にも縄張りがあって、あの河川敷はだれだれさんのシマだとか、あそこは何々さんの家だとか、決まっていて、それを犯すことはできない。


 困り果てて寝床を探してさまよい歩いているうちに、柳さんは「〇州極楽ホテル」に行きついた。


 入り口はガラスの破片だらけ。不良が頻繁に出入りしている跡があり、地面には謎に打ち捨てられた金属バットや、タバコの吸い殻が散乱している。

 柳さんからすれば、幽霊よりもホームレス狩りの方が恐ろしかった。しかし、えり好みができる状態ではない。

 柳さんは「〇州極楽ホテル」に侵入した。

 入ってみると中は外よりも酷いありさまだったという。


 廊下の塗装は剥がれ落ち、あちこちに憂さ晴らしに破壊された跡が目立つ。

 面白半分に立小便をしたやつがいるのか、トイレが近いわけでもないのに小便くさく、天井裏ではネズミの走る音がする。

 しかし、これだけ荒れていればすぐにリニューアルを進めることはできないだろう。


 まともな人間は近づかず、ここから自分を排除する人はいない。

 不良や怖いもの見たさで来る若者は、隠れてひっそりとやり過ごせばいい。

 柳さんはこうして「〇州極楽ホテル」で暮らすことになった。


「あんなところに住んでるの? 大丈夫かよ」

 そう反応したのはホームレス友だちの日野さんだった。

 雨の日は仕事にあぶれるということがある。そんなときにはホームレスが集う公園で酒盛りが始まったりするそうだが、そういうホームレスの友だちに日野さんという男がいた。

「不気味だけど、それを我慢すれば快適だよ。誰も寄り付かないから、嫌がらせをしてくるやつもいない」

「誰も寄り付かないから危ないんだろ。そういうところに来るやつってオカシイやつばっかりだぞ」

 私は直接会ったことはないが、日野さんはホームレスの中ではかなり頭脳派で通っているらしく、彼は数万円の入学金を払って放送大学に通っている。

 学問がしたいのかと思えばそういうわけではなく、学生という身分を買っているのだ。

 学生証があれば、飲食店、カラオケ、新幹線やホテルなどでも学割が利くし、散髪だって安くなる。

 日野さんの頭のいいところは、その学生証を一日百円とかでホームレス仲間に貸し出したりもしているのだという。

「確かに僕には気が知れないな。肝試しとかいうの。わざわざ怖いところに行って何が楽しいのかね」

「やなさん、そうじゃないんだって。肝試しに来るやつもオカシイけどさ、もっとヤバい人が来るんだよ」

 日野さんは真剣な目つきで言った。

 日野さんは数万円で学生証を買っているだけでなく、放送大学の将棋部に所属している。地元の公立大学が放送大学のキャンパスを受け持っており、日がなそこに行っては将棋にふけっているという。そのうえ、体育館にあるシャワーも使えるのだから、中々いい暮らしである。

 そういう人だから、柳さんに比べれば世情にもよく通じていた。

「何がヤバいの?」

「住んでる本人には言いにくいんだけどさ、本当に知らないのか? ほら、何年か前に起こった通り魔事件の少年。彼があそこでネコを殺してたって言うんだよ」


 これこそ全国ニュースにもなった事件で調べればすぐに特定できてしまうため、意図的に嘘を混ぜながら話そうと思う。

 日野さんが言っているのは五年前にあった殺人事件で、心の壊れた少年が興味本位で人を殺したというものだった。

 少年は昔から共感性にかけており、生き物が傷ついたり、壊れたりしてもなんとも思わなかった。

 それどころか、生物が死んでいくということに異常な興味を覚えるようになり、最初は虫や魚を殺していたのだが、そのうちにもっと大きなものを殺したいと思うようになった。

 この件に関しても地元ではこんな噂が広まっていた。

 少年はある夜、家を抜け出して××神社に行ったという。

 思春期によくある深夜徘徊というやつで、それほど深い意味はなかったのだろう。それでも夜の神社を訪れるというのは、気まぐれにしても悪趣味ではある。

 そこで少年は御神木に刺さった藁人形を見つけた。

 何者かが丑の刻参りをしていたようで、御神木の幹にヒトデのように手足を伸ばした藁の塊が、太い和釘で打ち付けられていた。


 少年は不思議な魅力に取りつかれて、その藁人形に触れた。

 そして、打ち付けてあった和釘を人差し指で撫でた。

 その途端、少年は雷に打たれたような衝動を覚えた。少年Kはその頃になるとただ虫や魚を殺すだけでは物足りなくなっていた。

 生き物が死ぬとはどういうことなのか知りたい。

 常日頃から心の底にくすぶっていた残酷な衝動を満たす方法を思いついたのだと言う。

 少年は藁人形に打ち付けられた和釘を引っこ抜くと、それを実行する方法を考えた。

 それは、ネコの身体に和釘を打ち込み、ネコが死んでいくさまを観察するというものだった。

 どれくらいの時間を経て死に至るのだろう。その間、どのような経過を辿るのだろう。撃ち込まれた釘にどのように抵抗し、自力ではどうにもできないと悟ったネコはどのような行動を取るのだろう。

 そして、どんな最期を遂げるのだろう。

 少年は通り魔事件を起こす前に、そのような“実験”を行っていた。

 そして、その実験の場所に選ばれたのが、「〇州極楽ホテル」だというのだ。

 そこなら誰も寄り付かないし、人に見られる心配もない。

 少年は夜になると家を抜け出し、「〇州極楽ホテル」に向かった。

 駐車場のあたりでエサを使ってネコをおびき寄せて、なつかせるとそのまま捕まえてしまう。それを持って廃墟の中に侵入し、数々の実験を行っていたのだと言う。


 日野さん曰く、××地区に伝わるこの噂は大きく前半と後半に分けることができる。

 前半は、少年が××神社を訪れて、藁人形に打ち付けられた和釘を手にする部分で、後半は少年が「〇州極楽ホテル」でネコを釘打ちにしていたという部分だ。

 前半はやや信憑性を欠き、後に付け加えられた感もある。そのためか前半部分がなく、単に「〇州極楽ホテル」でネコを釘打ちにしていたという話だけが伝わっている場合もある。

 最もそれはよくある都市伝説や噂の類で、実際に少年がそこでネコを殺していたという証言はないらしい。

ただ、少年犯罪ということで事件の報道も規制されており、未だによく分かっていないことが多い。

 だから、地元ではそういった噂がまことしやかに囁かれていた。

「噂だよ、そんなの。第一、その子はもう捕まってるんだろう?」

「そいつが捕まってたって同じことだろ。そういう人間が出入りするっていう話だよ」

「ホントかなあ」

 柳さんはあまり気にしなかったという。それくらいのことを気にしないからこそ住んでいられるわけで、柳さん自体がちょっとオカシイと思えば、自然な反応だともいえる。

「その話には後日談があるんだよ」

「後日談?」

「何匹もネコが殺されたわけだろ? だからさ、あの辺は出るんだって。ネコの幽霊が」

「まさか」

 柳さんは笑った。

「マジだぞ。例の少年はさ、ネコを五寸釘ではりつけにしたあと、手足を切り刻んだりしてたそうなんだ。それ以来、肝試しにあそこを訪れた若い子が、誰もいないはずのホテルで、夜中にカーン、カーンと釘を打つような音が聞こえてくるんだ。それと同時にギヤーってネコの叫び声が聞こえてくるんだって」


 調べてみると確かにそういった話があるらしい。

 私(エゴマ)はこの文章を書くにあたって、「〇州極楽ホテル」を含むこの地域一帯が怪談の非常に多い場所であることに気が付いた。

 そして、まるで磁場のように広がる怪異の連鎖に興味を持った。

 私は地元で行われる怪談イベントにたびたび参加し、この地域のものと思われる怪談を記録するようになった。

 そのイベントで参加者が語ってくれた怪談も、順次、なんらかの関連、類似が見られる話に付け加える形で紹介していきたいと思う。

 それだけでなく、私は怪談本を読み漁った。


 商業出版されている怪談本の中にも読者や怪談ファンが寄稿した地元の怪談にこれと思わしきものを発見できる。

 その語り口によると、ネコの恐怖と絶望の瞬間をホテルは今も覚えているらしく、いまだにその場面が何度も繰り返されるのだという。

 もちろん、それが少年が実際に「〇州極楽ホテル」を出入りしていた証拠にはならない。

 だが、恐怖が怪を引き起こすこともある。

 とにかく、何が起こるか分からない場所なのだから、近づかないに越したことはないだろう。

「それで、実際どうなんだ? そういう音とか、聞こえるのか?」

 日野さんは顔をゆがめて聞いた。

「いや、それがよく分からないんだよ」

「分からない?」

「音はしょっちゅうするんだよ。ネズミが這いまわっているし、窓ガラスが割れているから風もよく通るしね」


 柳さんはいつもの飄々とした様子で言う。

「カーン、カーンって釘を打つような音は?」

「そんな音もするかもしれないなあ」

「ネコの鳴き声は?」

「まあネズミがいるくらいだから、ネコもどこかにいるんじゃないか?」

 柳さんはそういう人なのだ。なにも気にしない。

 例えば、私なら派遣のバイト先で昼飯を食うのに、スーパーで買った弁当を持っていく。コンビニよりもスーパーの方が安いからだ。

 しかし、柳さんは家具屋の倉庫の中にある食堂で自動販売機で売っている三百円のカップラーメンを食う。カップラーメンなんかスーパーで買えば百円くらいのものだ。

 ほとんど最低賃金で搾取されながら、昼飯代でもマージンを取られるなんてばかばかしいと思うのだが、柳さんにはそういう感覚はない。

 おおらかと言えば聞こえはいいが、実際はおおらかの範疇を超えていて、不気味なくらいなのだ。

「怖くないのか?」

「怖くはないよ。実際に何かあったら考えるかもだけど」

「とにかく、犯罪にだけは気を付けろよな」

 日野さんはそう言ったそうだ。

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