怪談①

 怪談の絶えない場所がある。

 瀬戸内の地方都市にある「〇州極楽ホテル」というのがその場所だ。

 〇州の部分にはその地方の旧国名が入る。その時点で摂州か播州か備州か、かなり絞られるわけで、事情に通じた人ならすぐにピンと来るかも知れない。


 有名な場所なので今さらぼかす必要もないのだが、「昏夜、鬼を談ずるなかれ。鬼談ずれば即ち怪至る」ということがある。

 ただでさえ不気味で不愉快な話をするのだから、何か悪いものを引き寄せないとも限らない。因縁のある場所に関しては直接の言及を避けようと思う。


 この「〇州極楽ホテル」は地方都市から少し離れた場所にある。

  あのあたりは一帯が山岳地帯なので、開発の進んだ都市でも数キロ歩けばすぐに山に至る。坂が多くなってきて、山肌に沿うように住宅が建てられている。目の前の家にたどり着くのに坂道を一キロも迂回しなければならないということがある。


 そんな都市部から一段高くなった山際に「〇州極楽ホテル」はあった。

 現在は廃墟になっていて、二〇〇六年を最後に営業していない。

 広い駐車場に囲まれているため偶然前を通ることはなく、知らない人はまず立ち寄らない。知っている人はなお近寄らないというところだ。

 「〇州極楽ホテル」というのはこのホテルの北側に極楽寺という寺があることに由来する。

 この寺がまたいわくのある寺で、創建が一九八〇年代とかなり新しい。

 一応、真宗系の団体が建てたものらしい。


 かなり広い敷地に三十三間堂があり、三重塔があり、鐘楼もあり、資料館もある。そして、不思議なことに観覧車まである。

 資料館は歴史ある仏像仏具が展示されているわけではない。

 子ども向けの博物館のようなところで、展示物と言えば、窓がついており、子どもがそれを開くと中の人形が動き出して劇が始まるものや、三角、四角、星型の積み木に仏像の絵が描かれており、同じ形の枠にはめ込むと解説文と絵が一致するというものなど、知育玩具のようなものが並んでいるらしい。


 観覧車に関しては特に変わった点はないが、寺の中に観覧車があるのがまず異様だ。

現在は動いていないが、風の強い日にはゴンドラが大きく揺れて悲鳴のような音をたてる。

種明かしをすると、ここは普通の寺ではなく、仏教系のテーマパークのようなものだった。バブル時代に地元の資産家が租税回避のために宗教施設を作った。

 当時はテーマパークブームで日本全国に様々なテーマパークが乱立していた。そのブームにあやかって収益をあげつつ、節税効果を見こしたようだ。


 開業当初はそこそこの収益をあげたものの、アトラクションに目新しさはなく、展示物も地味だ。

 唯一の目玉は三十三間堂だが、これもプラスチック製の観音菩薩像が千体並んでおり、京都の三十三間堂のレプリカと言った代物だった。

 プラスチック製の観音菩薩が安っぽい光沢を放ちながらずらりと並ぶ姿は、京都の三十三間堂にはない俗悪な光景を作り出している。

 そんな場所だからバブル崩壊とともに顧みられることはなくなり、極楽寺の参拝者(入場者)の減少とともに「〇州極楽ホテル」も倒産した。


 ただ極楽寺と「〇州極楽ホテル」はその経緯も含めて異様な魅力を放っており、別の資産家が「〇州極楽ホテル」を買い直し、リニューアルを進めていた。

 こちらも節税効果を狙ったのかもしれない。


 しかし、資産家のメイン事業そのものがうまく行かず、リニューアル事業は難航。現在はホテルの所有権を買ったまま放置されているという状況だ。

 持ち主が何のやる気もないのだから、建物はすぐに荒れる。

 泥棒が金目のものや、建築資材、電気の配線設備を盗っていく。

 地元の不良が夜に忍び込み、窓ガラスを割ったり、ホテルの中にある発泡スチロール製の観音菩薩像を引き裂いたり、やりたい放題だ。

 床にはカビが生え、ガラスの破片が飛び散り、引き裂かれた観音菩薩像の頭が転がっている。そんな状況だから怪談が絶えないのも無理はない。

 初期に語られた怪談は、菩薩の慈悲にあやかって天国へ行こうとした自殺者が、ホテルの一室で首を吊ったという噂に由来するものだ。

 近隣住民のAさんは犬の散歩のために度々「〇州極楽ホテル」の前を通っていた。

さんはそんな不気味なところは通りたくないのだが、飼い犬がどうしてもその場所を通りたがるのだから仕方ない。

 飼い始めた当初は夏場で、仕事から帰ってきて明るいうちに散歩に行けるから、それほど怖くもなかった。

 駐車場は広々としていて、車が通る心配もない。犬と一緒に駐車場を走るのも気持ちよく、一日に一回しか散歩に連れて行ってやれないさんは、駐車場で犬を存分に走らせるのが習慣になった。

 しかし、冬になり日が傾いてくるのが早くなると、仕事から帰ってきたときにはすでにあたりは真っ暗だ。

 そんな中、「〇州極楽ホテル」の周辺を散歩させるのは最初から気味が悪かったという。

 その日は特に風の強い晩だった。

 いつもはホテルの周りをぐるりと一周して、駐車場を抜けてそのまま家に帰るのだが、その日に限って、犬がぐいぐいとリードを引っ張り、Aさんをホテルの前まで連れて行く。

 散歩の時間は犬の楽しみの時間だと割り切って、犬の行きたいところに行かせるのがAさんのスタイルだったが、さすがに気味が悪くなってリードを引っ張った。

 ホテルの目の前まで近づくと、割れたガラスが散っていて危ないのだ。

 しかし、犬はどういうわけかホテルに至る階段の手前で座り込んで動かなくなってしまった。

 声をかけても、リードを引っ張ってもまったく動かない。何を見ているのか、ホテルの方をぼうっと眺めている。

 何かあるのかと思い顔をあげたとき、Aさんは思わず「あっ」と叫んでいた。ホテルの三階に人影がある。

 それもどうも様子がおかしい。人影は三階の部屋の奥の方に立っているはずなのに、頭から胸元まではっきりと見える。よほど背の高い人でもそういう見え方はしないはずだ。

 変だなと思った瞬間、ぐらりと人影が揺れた。

 その瞬間、色んなことがいっぺんに悟られた。すると、輪郭がはっきりしてきて、今まで見えなかったものが見え始める。

 暗いのでよく分からなかったが、人影は男のもののようで、首の角度が奇妙な方向に曲がっている。首から天井に向けてすらりとロープが伸びている。

 次の瞬間、生臭い匂いが鼻をついた。


 それが恐ろしかった。

 仮に本当に人が死んでいてもこの距離では匂いがするだろうか。窓が開いている様子もない。

 それに、本当に死んでいたとしても、幽霊が見えたにしても、離れていればどうということはない。

 死とは本来静かなものだとAさんは知っていた。

 それよりも、何かよくないものが周囲を満たし始めているのが恐ろしかった。

 ただ魚を焼いただけではこんな匂いにはならない。

 激しく感情を揺さぶる生臭さだった。

 Aさんは無我夢中で犬を引っ張った。Aさんの恐怖を悟ったのか、犬のリードが軽くなった。全速力で走れば犬もそれについてくる。

 ホテルから逃げ帰ったAさんはその晩は怖くて寝付けなかった。


 翌日、〇州極楽ホテルで検索してみると、廃墟マニアのブログは出てくれど、自殺者がいたなどというニュースは出てこない。

 ただあれが何だったのか分からないままにしておくのも気持ちが悪いと思い、仕事場の同僚に頼んで一緒に見に行ってもらった。

 そのときにはもう首を吊った男の姿はどこにもなかったという。

 それ以来、Aさんは〇州極楽ホテルには近寄らなくなった。

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