6:好奇心は幽霊をも 呪いのビデオ

「呪いのビデオ? ははあ、そりゃまた随分と胡散臭いものを見つけたんだね」


 目の前に座った一年生は、にたにたと気味の悪い笑顔を貼り付けて俺を見つめていた。

 噂に聞いていた新聞部とやらはどうやらこの子しか所属していないのか、他に生徒の姿は見当たらない。勧められたから来てみたものの、こんなちびっ子に一体何ができるというのか。


「一応聞くけれど、中身はもう見たのかい?」


 当然だろうと睨みつけてやる。しかし眼鏡の向こうの暗闇は全く動揺を見せない。それがまた気持ちが悪い。普通は自分よりも大きい男に睨まれたら少しくらいはビビるだろうに。


「はは、それもそうか。見たから、呪われたと思ったからここに来たんだよね。わかってるわかってる。──さて、話を詳しく聞こうか」



 映画を見るのが趣味だ。洋画、邦画、コメディ、恋愛、スプラッタにホラー。なんでも見てきたし、これからもたくさん色々なものを見るつもりでいた。

 レンタルビデオ店に行き、気になるものを適当に手に取る。それが毎週末の楽しみだった。

 その日も適当に何枚かを手に取っていて、ふと、恋愛ものの棚にそれに相応しくない雰囲気を放つDVDを見つけた。パッケージの背には黒いテープが貼られており、とてもレンタル用のものには見えない。けれど、これも借りることができるのだ、と。俺はすぐにピンと来た。ピンと来た、は正確ではないかもしれない。

 これを借りるべきだと、そう思ってしまったのだ。

 早速手に取ってパッケージを眺める。どの面も真っ黒に塗りつぶされている。本来のパッケージは違うもののはずだ。黒いペンで塗りつぶされたようなそれの隙間から、白い何かが覗いている。細く赤い何かがその白の上を這っている。何か、はその時は結局わからなかったけれど、あれは多分、いや、いい。それがなんであろうと、その時の俺には何の関係もなかった。今だって、別に関係はない。それよりも、そう、そのDVDについてだ。

 レジに通してもタイトルは結局わからなかった。タイトル不明。店員に聞く気にもなれず……俺はこれでも人見知りだから、気軽に店員に声をかけることが難しかったんだ。そういうわけで、大人しく選んだDVDたちを手に真っ直ぐに家へと帰った。

 選んだDVDたちを次々に消化していき、最後、そう、とっておきは最後に残しておくべきだから、一番最後にそのDVDを見た。


「……なんだこれ」


 初めに映し出されたのは真っ黒な画面。まだロードが完了していないのかと一瞬思ったが、どうやら違うらしいということはすぐにわかった。

 黒い何かがゆっくりと画面から遠ざかっていく。次に、白いものが画面に入ってきた。正確には、丸い黒とその周りに白い何か。そう、人の目が映っていた。人の目が、じっとこちらを見つめていた。

 ひっと思わず声を漏らす。でもその時はまだ、映画の演出だと思ったんだ。

 おかしいと思ったのは数秒経ってから。だって何秒経っても、何分経っても画面は目のアップから変わらない。意味がわからなくて、とりあえず無くなっていた飲み物を取りに行くために僕は立ち上がった。

 ……その動きに合わせて、目も動いた。

 その目は僕を捉えていた。じっと、ただ僕を見つめている。僕が右に動けばそれを追いかけ、僕が左に動けばまたそれに合わせて目は動く。

 ──生きている。

 このDVDは、このDVDの中に居る何かは生きている。意思を持った何かが、いまテレビの向こうに存在している。

 恐ろしくなって、急いでDVDを取り出そうとプレーヤーのボタンを押した。だけどDVDは出てこない。違う、そもそもボタンが押せなかった。だって、だってボタンを押そうと伸ばした僕の手に、白い何かが、人の手がしっかりと、画面から伸びた手が僕の手を掴んで──。

 画面に目を向ける。そこに映っていたのは、ホラー映画によく登場するような女の人だった。長い黒髪の隙間からぎょろりとした目が覗いている。手足は細く、枯れ木のようだ。死装束と言えばいいのだろうか、白い和服に身を包んだそれが、 ゆっくりとテレビから這い出そうとしている。


「────っ、────!」

 叫び声すらあげられない。喉が引き攣って声が出ない。だけどこのまま、このままじゃまずいって、それだけはわかっていて。

 だからまず動かせる左手を使ってテレビの電源コードを引き抜いた。画面は暗くなったがまだ僕の右手を掴むその手は健在だ。

 わからない。幽霊だの怨霊だのなんだのに物理的な攻撃が効くのかとか、そんなことは何にも考えられなくて、だけど残された手段としてはもうそうするしか。

 だから、思いっきりその手首を本来曲がるはずの方向とは反対方向に曲げてやった。


「!」


 ごぎり、と。明らかに人体から聞こえてはいけない音が聞こえた。僕の手首からその手が離れる。か細い悲鳴のようなものが消えた画面の向こうから聞こえる。これで終わらせたら負けな気がして、僕はさらに人差し指を無理矢理捻じ曲げた。か細かった悲鳴が大きくなる。枯れ枝のような手が、画面の向こうに引っ込んだ。

 すぐさまDVDプレーヤーのボタンを押す。DVDを取り出して入れ物に片付ける。

 まだ安心できない。このDVDからテレビに乗り移った可能性だってある。

 確かめなければと、テレビの電源を再び入れた。

 そこにはいつも通り適当なバラエティ番組が映し出されていて──。



「あははははは! なに? 幽霊だかなんだか知らないけど、そいつの手首と人差し指の骨を折ったのかい!?」


 ひいひいと苦しげに喘ぐ一年生に思わず眉を寄せる。眉間の皺はどんどん深くなるのだが、一方の一年生はというと笑い声を大きくするばかり。


「ダメだ、流石にそれは面白すぎるよ君。いや、笑い事ではないのはわかっているけれど、これじゃあホラーというよりはただのコメディじゃないか」


 こっちは真面目に相談してるんだぞと怒鳴ってやるも、彼女の笑みは未だ止まらず。それでも俺の言葉でようやく本来の相談内容を思い出してくれたようだった。


「はは、ダメだ、お腹が痛い、は、ああ、うん、そうだったね」


 こほんとひとつ咳払い。それだけで目の前のチビは落ち着きを取り戻す。ぞっとするほどの静かな瞳を。


「君は別に呪われていないよ。そのテレビとやらも無事だろう。呪われていたとしたら、すぐさまそいつが君にやり返すために這い出てきていただろうしね」


 それが事実かどうかもわからぬまま、それでも安堵の息がこぼれた。ほっと胸を撫で下ろした俺に、それで、と一年生は言葉を続ける。


「DVDはどうしたんだい? ああ、返さずにここに持ってきたんだね。うん、それでいいと思うよ。新たな被害者が現れずに済む。お手柄だ」


 はいと手を差し出される。渡すかどうか、躊躇いはなかった。それでもDVDを差し出すのが遅れたのは、単に触れただけでまたあの白い手に掴まれることを恐れたからで──それに、このチビは気がつかなかったらしい。


「それはこちらで預かろう。引取り代は、そうだね、2500円程度でどうかな。お得だぜ?」


 金を取るのかと一瞬言いかけるも、すぐにそらよと押し付けてやる。こんなものに関わり続けるなんざごめんだった。こんなものにもう二度と出会わなくて済むのなら、2500円程度痛くも痒くもない。


「っと、そんなに簡単に払ってくれるとは。まあ、引き取ってもらえるならなんでもいい、って感じかな……はい、確かに。それじゃあ気をつけて」


 どうもとぶっきらぼうに言い捨てて腰を上げる。ああ、と。座ったままの一年生の声に振り返れば、彼女はにこやかすぎる笑みを俺へと向けていた。


「もしまた面白いビデオが見つかったら持ってきておくれよ。またこちらで引き取るから。なに、値段を上げたりはしないさ」


 ──冗談じゃない。幽霊なんざもう懲り懲りだ。


「ははは。ま、それもそうだね。次も物理攻撃が効くとは限らない。これに懲りたと言うのなら、怪しいビデオには手を出さないことだ。特に、ホラーとアダルトには気をつけるといい」


 出口へと向きかけていた足が止まる。

 どうして。

 恐る恐る、座りっぱなしの一年生の顔を見た。

 にんまりと、口を歪めたその様は幽霊よりも恐ろしい。

 どうして、と。

 震える声は、勝手に俺の口からこぼれ落ちた。


「ん? はは、わかるとも。君は恋愛と言ったけれどね、実際に見ていたのはアダルトビデオの棚だろう? 大方、掘り出し物……規制なしのとびっきりのもの……が見られるかも、なんて馬鹿な期待をして借りてきたんだろう」


 いやあ、愉快だねえ。

 なんて、本当に心底愉快そうな声で言うものだからますます震えがひどくなる。

 ところで、と。


「君、まだ一年生じゃなかったっけ?」


 悪戯っぽい顔をした同級生が、俺を指さしていた。

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