ある日ある時デリアド市庁舎

 

 石造り市庁舎の一画。


 人の入りの多い施設なのに、そのへやは妙に静まりかえっていた。だから逆に男は落ち着かなくて、腰掛けの上でもぞもぞと身体を動かす。狭いところだ、窓もやたらに小さい。午前中だと言うのに外光が十分に入ってこない。


 そっけない作りの卓子の上には、男の持参した書類が置かれていた。壁際、手燭に挿された蜜蝋みつろうにも火はない。



――何でぇ。これじゃまるで、取り調べじゃねえかよ……?



 かた、と音がして扉が開く。若い男が二人入って来た、どちらも黄土色の毛織外套を着ている。この国の軍属、デリアド騎士のしるしだ。



「お待たせしました、どうぞ楽になさって下さい。いくつか簡単な質問をさせていただきます」



 腰を浮かしかけた男に慇懃いんぎんに言うと、ひげのない坊ちゃん風の騎士は卓子の反対側にかける。その脇に毛深いもう一人の騎士が、大きな身体を縮めるようにして座った。頭髪とひげ同様に明るい栗毛が、手の甲にもうっすらとふわついている。そんなむくつけき両手を意外な器用さであやつって、もじゃい騎士は厚い筆記布の束をめくり始めた。



「……あのう。俺は婚姻届を出しに来ただけなんですけど? 何なんですか、質問って」



 ふざけんじゃねぇぞと怒鳴り散らしてやりたいところを、ぐっとこらえて男は問う。毛深い方が腰に長剣をさげているのを、先ほどちらりと見ていた。帯剣しているからには正規の騎士なのだろう、腕っぷしはあなどれない。一応は下に出ておかないと後がまずい。


 しかしつるりとした方の騎士、よいとこ坊ちゃん風のほうは得物えものを持っていない。ここ市庁舎の文官なのだろう、と男は見当をつけた。やたら身ぎれいに金髪を後ろになでつけたりして、きざな野郎だ……いけ好かねぇな、とも男は思う。



「ええ、もちろんその婚姻届に関する質問です。受理する前に確認したいことがありましたので、こちら別室にお越しいただきました」



 淡々と答える若い騎士の手には、先ほど男が窓口に提出したはずの届があった。



「ご婚約者のべリシアさんとは、いつ頃知り合われたのですか?」


「えっ? ……春の終わり頃だったから、だいたい四月よつきほど前ですが……」


「会って、すぐに交際されたのですか」



 平らかな口調で、騎士ははっきりと聞いてくる。男はどうも居心地が悪かった。



「まあ、そうです」


「失礼ながら、お二人の年齢はずいぶんと離れていますね」


「だから何ですか? 俺はべリシアがくて一緒になるんだ、年齢としは関係ないでしょう」



 さすがにむっとして、男は騎士に答える。



「本邦デリアドにおいては、婚姻者当人たちの間に二十歳以上の年齢差がある場合、公官による精査を通過できなければ届は受理されません」



 冷々淡々とした態度を変えずに、坊ちゃん騎士は男に向けて話し続ける。



「これは元々は児童婚対策として、未成年者保護の観点から導入された制度です。本人間にまったき同意と誠意があるのなら、もちろん精査を通って成婚となるでしょう。拒否をするための過程ではないので、その点はご安心ください」


「……」



 流れるように説明されて、男は妙な気分になってきた。結局、届を受け付けてくれるのかそうでないのか……。イリーのお役所仕事なんて、どこも日和見ひよりみのんべんだらりだな……と改めて思う。


 ちょっとした沈黙がある。毛深い騎士のる筆記布の書類ずれだけが、さらさら・ぱらぱらと耳につく。さら……、その音が止まった。



「また近年では、」



 坊ちゃん風騎士が再び口を開く。



「イリー市民籍の不正取得、および婚姻者の財産不法搾取といった犯罪の抑止対策としても、大いに効果を発揮しています」


「はぁ……?」


「あなたは一年前ガーティンローでも、同様の≪白い結婚≫をしていますねー」



 緊張感のないのどかな声で、毛深い方の騎士が口を挟んだ。



「名前は当然変えてありますが、生年月日と年齢、外見記述がまるきり同じ。暗色ちぢれ髪に褐色の瞳、左口元に大きなほくろ二つ」


「ッ……、東部系の男なんて、どいつも俺みてぇに見えるんだろうが!」



 男は、かッと激高しかけた。



「……デリアドは、従順な外国人を積極的に受け入れると聞いたんだぞ。その裏で見た目差別をしてると知れたら、世間さまが何というかな!?」



 しかし男は何とか抑えて、正々堂々と反論してやった。



「それは仰る通りなのですが。あなたの場合は、すでに前科を有して指名手配されていますからね」



 全然びびる様子もなく、坊ちゃん風の騎士はじいっと男を見すえ始める。淡い青の瞳だった――ぞくり! 得体の知れない悪寒が、男の全身をとらえてゆく。



「こちらは、ガーティンロー市庁舎から送られてきた婚姻届の精密複写です。本日あなたが提出した届と、筆跡が一致していますねー」



 やはり動じた気配もなしに、毛深い騎士が二枚の筆記布を男の手前に並べて置いた。



「結婚直後、あなたは配偶者の大方の預金を小切手に換えて、とんずらしたんじゃないですか。彼女が家に所有していた貴石類も、一番高価なものだけをより抜いて持ち出したでしょう?」



 男は膝の上で握ったこぶしを、ゆらゆら震わせる。もじゃついた顔の中、毛深い騎士の若い目が悲しそうな色を帯びた。



「この方は、あなたに受けた仕打ちにうちのめされて衰弱し、年明けに亡くなられたそうです。六十一歳のご婦人には、あんまりひどい最期と思いませんか?」


「……言いがかりですよ、騎士様。そんなの、たまたま似たような男がやらかしたことでしょう? 俺はべリシアと結婚したいってだけです。難癖つけるのはやめて下さい」



 男は低く、むしろしおらしく言った。



「それより、べリシアはどこなんですか? あの人もこんな風に、誰かから質問ぜめになってるんですか。早く俺が行って、安心させてやらなけりゃ……べリシアは、参っちまう――」


「たまたま似たような東部系の男性が」



 哀れっぽさを含ませた男の懇願を冷えびえと無視して、坊ちゃん風騎士は言った。



「たまたま似た筆致の婚姻届を、数か月おきに四枚も提出している。じつに奇遇ですね」



 すらり……。


 数札かずふだを横に並べる要領で、騎士は四枚の筆記布を卓上に大きく広げた。



「いずれの件でも、結婚相手は六十代前半の富裕な女性。婚姻の成立直後に、夫は金品を持ち逃げして失踪……。ガーティンロー、ファダン、マグ・イーレにオーラン。国が違えば、わからないと思いましたか?」



 ぎいーん!!


 今や氷のような騎士の青い眼光がんが、男にまっすぐ突き刺さってきている。全身をかけ抜けるその超常の冷気に、男は本能的に危機を感じて戦慄した。


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