冷えひえカヘル侯の巨石事件簿(三)アリニュマン/列石群で抱きしめて

門戸

プロローグ:永遠の恋は列石のあいだに

 

――なあ、憶えてるかい。


 あれは夏の終わりだった。長く続いた甘黄黍あまぎきびの収穫がとうとう済んで、俺と兄貴たちはようやくお役ご免になってな。久し振りに賑やかなところへ行ってさ、泡酒片手に音楽でも聴こうとしたんだよ。けれど何でか、俺は兄貴たちに置いてけぼりにされて……。


 ≪はじめの町≫を過ぎた頃だったよなぁ。いいや……この≪石坊≫の軍隊整列が、曠野あらのの向こう側からぽつぽつ見え始めたところ、だったかな?


 お前は驢馬ろば手綱たづなを引っぱってた……俺ぁしっかり憶えてる。夏の明るい宵の口だ。俺の横を通り過ぎる時、お前はものすごく警戒していたっけ。気の毒なくらいに緊張していたね、そりゃわかるよ。見渡す限り何にもない野中の一本道で、若い男にからまれちゃぁたまんねぇ、って思ってたんだろう?


 俺のほうでもさ、そのくらいは想像ができたんだ。だからそのをおどかしたくない一心で、俺ぁ明るくあいさつした……。


 福ある夕をこんばんは、お嬢さん。ってな。


 そしたらお前は、はっとした。警戒も緊張もずいっと横にやっちまって、ぐーっとまっすぐ俺の顔を見てきたんじゃないか。



≪まさか、あんたなのかい? ……≫



 聞かれて呼ばれて、俺の方がびっくりだ! 何でこんな美人が、俺の名前を知ってんだよって。


 お前は立ちどまった、驢馬ろばも止まって俺も立ち止まった。


 やわらかい薄明の中で、お前の瞳だけがはっきり青く光っていた。俺をまっすぐ見つめてるその瞳が。


 今でもしっかり思い出せる、その時その瞬間のお前の姿。


 お前の後ろには、ぼんやり淡黄色が揺れていた……。あれはぱら宵待草よいまちぐさが、月を見て一斉にほころび始めたところだったんだ。


 月の花をいっぱいに背にして、おどろいて……次に笑ったお前に、俺は恋したんだよ。永遠に。――――



「わたしも、憶えてる」


「……そうかい」


「これが本当の物語だったら、どんなに良かったか」


「何だよ、本当だよ。信じないのかい、かわいいお前」



 男の口に、柔らかい布がかぶせられた。



「わたしがあなたに出会ったのは、春の朝だった。石坊たちの間にまじって、曠野あらの綿帽たんぽぽがいっぱいだったの。忘れちゃったの?」


「……」


「黄色かったのは綿帽たんぽぽの花よ。宵待草よいまちぐさなんかじゃあない」


「……」


それ・・は、誰との物語だったのよ?」



 もが、……布の下でくぐもった声がうなっている。



「わたしの瞳は、あなたのと違って青くなんかない……見える? もう、見え……」



 涙に濡れそぼった女の嗚咽おえつが、言葉にかぶさる。



「さようなら。……もどってきて、わたしの大切なあなた。たった一人の、……わたしの大好きな、あなた」



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