第6話 僕は、生家を、超越している。

自分を育ててくれた両親の人生を全肯定すると、両親の子供としての仕事は、終わりになると言う。しかし、まだ、僕には、それができない。

僕には、父親が亡くなり次第、一家は、墓じまいする予定なので、僕に入る墓はない。だから、障害者施設に住む僕は、もう、実家とは、縁を切ってもいい。

僕を、ついに、人間として、認めないし、僕を、いつも、家族の犠牲にしてきた両親であった。生きた心地がしなかった。

子供時代、僕が、自分で決めて実行しようとすると、必ず、出しゃばってきて邪魔をする両親だった。

そして、両親の言うことに従うと、両親は、とても喜んだ。

僕は、よく、両親に否定された。常に、我慢してきた。

50歳になるまで、僕は、孤独で無口だった。

僕がやった前半人生の会社勤務は、社会では、全く、評価はされなかった。僕の前半人生は、暗かった。

ずっと仲のいい両親の犠牲になってきた。

現在母親は、亡くなり、実家は父親が独裁している。

いまだに父親は、一家を丸め込み監禁している。

僕の母親からの共済年金は、僕が、結婚ができないことを条件に支給され、

父親からのいずれ受ける国民年金で、僕は、一生、父親の敷いたレールの上を走らなくてはならない屈辱の人生を味わう。

僕の後半人生は、共済年金と国民年金暮らしで、一生、両親のすねかじりなのだろう。

僕は、一生、国からの支援で生活しなくてはならないのだろう。

僕が、この先、社会で、働くことは、可能だろうか?失敗すれば、また、僕は、精神病院に入れられる。とても、怖い。

そして一家は、僕の代で、絶滅する。

我が一家が絶滅することで、社会にメリットはあるのだろうか?


先日、僕の施設の製パン作業所MのNさんが、亡くなった。

みんなにそのことを告げる女性管理者のAさんは泣いた。

僕も、みんなも、かなり、ショックを受けた。

スタッフに言われたことを、文句も言わずに、やりこなし、せっせと誰もが嫌がる洗い物を一日中やっていたNさんだった。うんともすんとも言わないのである。また出席率がとてもよく、たまに休むと、「えぇっ、Nさんが、今日は休みなの?」とみんな驚いた。やさしくて、人柄もよく、製パン作業所Mでは、とても、存在価値の高い人だった。Aさんの告知の後に、全員が、Nさんのご冥福を祈った。


僕は作業所Mで、最初の3年間は、暗く狭い物置小屋で執筆していた。僕が、2度入院しても、誰も心配していなかったのだった。僕は、みんなをかなり気遣っていたのだけど。現在は、僕は、みんなの作業所の隅で、孤独に、執筆している。みんなは、施設の作業に打ち込んでいる。

僕が、孤独に文学を施設でやって、施設に認められて、作品代として、工賃が出るまで、5年かかった。夜の街を歩くにも、苦しくて、よくへたり込み、よく嘔吐した。

現在は、パソコンとスマートフォンを買い、小説投稿サイトで、友達ができた。ずっと孤独だったから、有り難く思っています。


去年、僕が、施設のベンチで読書していたら、施設のキッチン部署の、女友達のSさんが、僕に、「あんた、天才でしょう。あたしは、ばかよ。」なんて言う。僕は、彼女に、惚れていた。今は、彼女は、施設を、辞めて去ってしまった。あれは、彼女の恋の誘い文句を意味していたのかもしれない。マリア様みたいに、美しい彼女でした。

今、僕は、生家から、離れて、この街の障害者施設のグループホームに住んで、11年たった。これが、僕の物語なのかと思います。

人間は、幸せになっても、自分は、幸せにはなれない世の中みたいですね。

今、僕は、若者の世界のために、生きたい。生きること、これを、今流行りの言葉、「自己肯定」というのだな~。

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なぜ人は自分にこだわるのだろう? トシキ障害者文人 @freeinlife

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