第5話・・・『樹嶺長』/一番槍・・・
「はあ…寿命が三年は縮まったぜ…」
「俺は五年…」
「あれが『
「噂以上にとんでもない奴だったわね…」
「……籠坂さん…可愛かったなぁ…」
「ていうか、あの『退学』云々って本気だったわけ…?」
「あんなのが『四神苑』にはまだいるのか…」
「……でも、
周囲の生徒達は鯨井帯土に感謝の眼差しを向けていた。
今、この状況においては澪華や黛より鯨井が一目置かれている。
「鯨井くん」
澪華は鯨井に手を差し伸べた。
「ありがとう。貴方のおかげで何事もなく済みました。……さすが、『
そう。
鯨井帯土は以前、とある『翳麒麟』のグループに属していた。
その『翳麒麟』は他の学園の上級生であり、今は既にグループ自体は抜けているという話だ。
しかしまだ連絡を取り合っているようで、鯨井帯土にも色々と黒い噂は絶えない。
……それでも、柊閃の暴走を鎮めたのは事実だ。
澪華は嘘偽りない感謝を真っ直ぐに伝えると、鯨井が目を丸くした。そして澪華の手を握り返した。
「礼には及ばない。適材適所だ。……ああいう手合いは、俺達が思っている以上に刹那的に生きている。今、この瞬間の満足度を十分にさせれば、案外あっさりと身を引くんだ」
そして鯨井がふっと笑う。嫌な笑みではなかった。
「まあ最も、多少下手に出ないと成功率は上がらないから……白鳥には難しいかもしれないが」
「そうですね」
澪華は肩を竦めた。
「目上の人間に対しては腰を低くすることも大事と心得ていますが……あのような明確な敵に対しては一歩も譲るつもりはありません」
そして澪華は周囲の生徒を見回した。
「皆さんにも伝えておきます。今、私は皆さんに退学の危険が迫っても断固として柊閃と戦う意思を曲げませんでした。結果としては鯨井くんのおかげで無事に終結しましたが、……私のやり方が間違えてるとは思っていません。
『四神苑』に入った以上、皆さん危険に晒されるリスクは常にあると承知の上だと認識しています。
……当然、今の鯨井くんの見事な手腕から吸収できるものは吸収し、反省すべき点は反省しますが、この先、同じようなことがあっても私の基本スタンスは変わりません。
…それだけ、よく覚えておいて下さい。そしてどうぞこの場にいない生徒にも白鳥澪華がこんなことを言っていたと話して下さい」
支持を失う覚悟で、澪華は言葉を紡いだ。
ほとんどの生徒が瞬きを繰り返し、澪華の言葉を呑み込むのに時間を要しているようだ。
今すぐ澪華の意思に対して
それでいいと思う。ある程度時間をかけて自分の考えを
「では、全く活躍のなかった僕はこの辺で失礼します」
そこで黛蒼斗が軽く頭を下げた。
「僕が言いたいことは既に伝えました。もし質問があれば学園共用のSNSでも通じてメッセージを送って下さい」
黛は背を向け、澪華の返事を待たずに「白鳥さん」と続けて言った。
「『翳麒麟』のインパクトの所為で僕の印象などすっかり薄くなってしまったかもしれませんが、どうか僕が貴方のことを狙っていることはお忘れなきよう」
恭しい忠言を残し、黛も去っていった。
それを合図に落禅康弘、雹堂莉音、詩宝橋胡桃、鯨井帯土も解散した。
『首席』白鳥澪華VS『次席』黛蒼斗の噂は瞬く間に白虎学園全体に広まった。
さらにそこへ『翳麒麟』柊閃も何やら興味を示しているという付加要素も相まって、生徒達の心に恐ろしさが浸透しつつも、どこかで何かを期待する高鳴りも潜んでいたことに、生徒達は薄々自覚していた。
■ ■ ■
白虎学園から離れた『四神苑』領内。
身長145センチ。今年で16歳になるが、それ以上身長が伸びる気配はない。頭に二つのお団子を結び、ピンクをリボンを垂らしている。着用する制服は緑を基調としたデザインに黒い線が走るものだった。
ぬいぐるみを抱えたその姿は下手すれば小学生にも見えるが、その瞳は高校生相応の無気力で面倒くさがりな感情が表れている。
麗峠るるは屋上に出て、そこでとある人物が望遠鏡を覗き込みながら謀略に満ちた笑みを浮かべる姿を薄目で見つめた。
「くくくっ! 早速『白虎』で面白いことが起きてるなぁ…!」
膨れ上がった筋肉が制服の下からくっきり形が見える巨躯。ジムトレーナーにも負けない素晴らしい肉体美だが、異常なほどに折れ曲がった猫背が魅力を完全に反転させている。隆起した筋肉と、度を越した前傾姿勢は今にもこちらを襲う妖怪のような奇怪さがあった。
緑を基調としたデザインの制服をパツパツにして着ているその生徒に、るるは呆れたように口を開く。
「何言ってんの?」
るるはぶっきらぼうに続けた。
「立地的に『
るるがその生徒の苗字を呼んだ。
本名、
二人は『四神苑』の一つ、情報を専門に扱う玄武学園の生徒である。
そしてるるの言う通り、玄武学園から白虎学園の校舎は見えない。『四神苑』の四つの学園は四つの山を一つずつ丸ごと敷地としており、各学園は山の丸みの外側に建つ。
距離以前に立地的に他の学園が見えるはずがない。
確かに白虎学園で面白いことが起きているが、それ今し方携帯にその情報が届いただけだ。望遠鏡など一ミリも役立っていない。
「そんな無粋なこと言うなって」
石不二響悟が前傾姿勢によって前に突き出た顔をぐいってるるの方へ向ける。
その石不二の顔は闇を含みながらも心底楽しそうな笑みだった。
「こういうのはイメージが大事なんだ」
とんとんと石不二がこめかみを叩く。
「向こう側で起きていることを想像するんだ。脳を活性化させ、想像を膨らませる。……やがてその想像は情報を得る手掛かりを手繰り寄せ、そこから徐々にベールで覆われた情報を丸裸にしていく…! …
「ほんとキモいよね、石不二」
るるが隠さず言う。
石不二が歯を鳴らして笑った。
「キモい上等! 最後に笑うのはこの俺よぉ!」
ひゃっはー、と突然雄叫びを上げる人間だとは思いたくない生物を眺めながら、るるは心の底から思った。
(…
玄武学園『
『情報』の扱いにおいて、一年次トップの称号を持つ男だ。
■ ■ ■
『
白虎学園が建つ山をそう呼ぶ。
そしてこの山には校舎や各部活棟だけでなく、幾つかの『家』が建てられている。
質素な一軒家から華やかな豪邸まで。
その家のことを『
生徒達はグレードに応じた家賃を払うことで『住家』を借りることができ、寝泊まりも自由である。
「入学式前にも覗いたけど、ほんとすごいよね〜! これで『四等住家』ってほんと!?」
栞咲紅羽が広いリビングでくるりと回る。
5LDK。控えめな華やかさのプチ豪邸。
白鳥澪華の名義で借りている『住家』である。
「あまりはしゃがないでよ」
「わかってるよっ」
紅羽がソファーに座る。
「これだけ広いと掃除とか大変だよねぇ。家賃もバカにならないし」
「それでも」
澪華は少し溜息を吐いた。
「こうして白虎山内に『住家』を持つことは成績上位者の責務だからね。もちろんメリットもあるし」
「メリットのことはボクも理解してるよ。『白虎山』内に自由な拠点があるのはすっごい便利って」
公共の場で大事な話をする場合、どうしても周りの目が気になる。しかもここは老若男女様々な人々が行き交う街中ではなく、全員『四神苑』の生徒なのだ。敵対派閥の目と耳がいつすぐ傍までやってきているかわからない。
自分と仲間しか出入りできない家屋はこれ以上ない
「でもそのメリット以上にさ、」
紅羽が目を伏せる。
「暗黙の了解にもなってるよね。『住家』を持たない生徒はトップ争いには加われないって」
「…それがこの学園だからね」
「あ、ごめん、暗いこと言っちゃった!」
紅羽がソファーから跳ねるように起きる。
いつも太陽のような笑顔の紅羽が暗めの話をするのを澪華はむしろ嬉しく思っていた。
それは紅羽が素を見せてくれているということだから。
「気にしないで。私の前では繕う必要はないんだから」
紅羽が「えへへ、ありがとう!」と笑う。
「それじゃ、早く必要なものリストにまとめよっか! ……と、その前に」
紅羽が携帯のロック画面を見てから澪華に視線を移した。
「もう
「そうね。あと十分」
澪華も携帯のロック画面で時間だけ確認する。12時50分だ。
「二階の一番南の部屋を使うといいよ。そこだけ備え付けでモニターがあるから」紅羽が言う。
「ありがとう」澪華が頷いた。「そうさせてもらう」
リビングのドアを開ける澪華に、紅羽が言葉をかけた。
「『
「ええ」
◆ ◇ ◇
二階のまだ簡素な部屋。
澪華は携帯と部屋に備え付けのモニターを繋ぎ、携帯のホーム画面にあるアイコンをタップしてパスワードを入れる。
その後もいくつかの操作をすると、リモート通話の待機画面になった。
入室しているのは自分だけで、他の誰かを待っている状態だ。
現在の時刻は12時53分。
あと七分ある。そうして時間を気にしながら部屋の内装をどうするかなど考えていると、
ピロンっとリモート画面への入室音が鳴った。
予定の時間より早いが、澪華は即座に背筋を正した。
『お待たせ、澪華。相変わらず早いのね。今日こそは先に待ってようって思ってたのに』
「とんでもございません。
画面いっぱいに映し出された人物は初老の
静かにまとめた白髪混じりの金髪。歳月を経て僅かに色褪せたその髪には、なおも陽光を湛えたような輝きが残り、柔らかく波打つ毛先が彼女の気品を物語っていた。碧眼の瞳は深い湖のように澄んでおり、知性の光が宿っている。
若い頃はさぞかし男共の視線を釘付けにしただろう。
画面の中の彼女は出身である欧州の調度品が並ぶ部屋の中心に優雅に座っている。座っているだけで空気を支配するかのような見えぬ力を感じさせた。
威圧ではなく、静けさの中に潜む何か大きな力。その力をもって、万人の目を奪う存在感を放っている。
澪華もまた相変わらず、と思った。
(相変わらず人間離れした存在感を放っていますね、この御方は)
心の中でも礼儀を忘れず讃える澪華。
「本日はお時間作って頂きありがとうございます」
『そんな畏まらないでっていつも言ってるでしょう?』
『樹嶺長』と呼ばれた欧州人女性が流暢な日本語で言う。
「大切な生徒の為ならいくらでも時間を作るわよ」
澪華は今一度姿勢を正し、深く頭を下げた。
「無事白虎学園に『首席』として入学することができました。これも全て貴女が創設『
……何度も言いましたが、何度でも言わせて下さい。…本当に、ありがとうございます」
『
完全オンラインの学習ツールであり、一般的には超難関フルリモート塾のように認識されている。
カリキュラムを全て達成できる者は極僅か。しかしその極僅かの生徒達は政財界で猛威を振るっている。
この『
澪華はこの『
『貴女の感謝はこれで何度目かしらね、ふふっ』
微笑む『樹嶺長』は「でも」と瞳が穏やかに揺らめく。
『私からも感謝を言わせて。貴女があの「四神苑」に「首席」入学という快挙を遂げてくれたおかげで、「
……私の魂の分身とも言える「
「お力添えができたのなら、大変光栄に存じます」
澪華がまた深く頭を下げる。
『ねえ、澪華』
慣れ親しんだ口調で『樹嶺長』が澪華を呼ぶ。
『お互いの感謝もこのぐらいにして、ぜひ学校でのことを聞かせてちょうだい』
そこまで言って「あ」と『樹嶺長』が口に手を当てる。
『でもまだ入学初日だから大掛かりなことなんて起きてないわよね』
澪華は頭が痛くなった。
そうだ、まだ初日なのだ。初日でああれだけ濃いことが起きたのだ。
「実は…」
そう切り出して、澪華は今日起きたことを伝えた。
全てを聴き終えた『樹嶺長』は両手で顔を隠し、小刻みに肩を揺らしていた。
笑いを堪えているのだ。
『ごめんね…! 笑うのは澪華にとても失礼だとは思っているのだけど…! ちょっとこれは…!』
「構いませんよ」
澪華が苦笑する。
『ふーっ』
目尻をハンカチで押さえながら『樹嶺長』が息を吐いた。
『これまでも「
「私は行動力がある人間だと自負しておりますが、今回の件に関しては完全に後手に回りました。不覚です」
『そればっかりは仕方ないわよ』
反省する澪華に『樹嶺長』が首を横に振る。そして目を細めた。
『…現時点においては澪華が「勝者」であり、他全員が「敗者」。…「敗者」は敗北を糧にとてつもないエネルギーを生み出すからね』
『樹嶺長』の言うことは最もだと澪華は感じた。『勝利』に飢えた獣は侮れない。
「それにしても」
笑っていた『樹嶺長』の瞳に聡明な光が宿る。
「…その『次席』の子もよく考えてるわね。確かに『首席』の権限は移動できる。獲られちゃったら目も当てられないわ」
「はい」澪華が頷く。「『四神苑宰盟会』の末席参加権など失うとかなり痛い権限もあります。……それに、」
澪華は固唾を呑んで続けた。
「目に見える大きな変化で言えば、……私は、
そっと、澪華はブレザーの襟元に手を添えた。
そこには白虎学園の校章ともう一つ、風をモチーフにした疾走感のあるデザインの小さいバッチが付いていた。
『ああ、そう言えば』
思い出したように『樹嶺長』がに言う。
『独特なランク付が「
そう。
『四神苑』にはランクシステムがあり、生徒達は八段階でランク分けされている。
下から
各ランクごとに待遇・特権が変わり、生徒達はこのランクを上げることを大きな目標の一つとしている。
入学直後の一年生は基本的に
(『首席』の権限を奪われれば、
澪華は冷静に最悪の展開を考えた。
(『四神苑』は功績に応じてランクが上下するシステム。もし『首席』なのにいきなり
そんな無様を晒すつもるはないが、決して楽観視できる状況ではない。
『特に「翳麒麟」の子は要注意ね…』
大きな懸念点の一つに『樹嶺長』が触れる。
『価値観がかけ離れた人間は本当に何をしでかすかわからない』
澪華は沈痛な面持ちで「はい」と同意を示した。
「他の生徒の前では毅然とした姿勢でいましたが、仰る通り『翳麒麟』の相手は特に神経をすり減らしました。…しかしっ」
澪華は瞳に力強い意思を込める。
「……断じて怖気付いてはいません! 勝負を仕掛けてくるというのであれば、きっちり捻じ伏せてみせます」
澪華の強い眼差しを真正面から受け止め、『樹嶺長』は優雅に顎に手の甲を添えた。
『さすが、「最界種者(ノヴァ・シード)」にまで到達した自慢の生徒ね。……期待しているわ』
『樹嶺長』のその鼓舞とも煽りとも取れるような笑みに、澪華は挑戦的な笑みで返した。
「ありがとうございます」
そして『樹嶺長』が「一応、」と言葉を付け加える。
『…入学前にも伝えたけど、もし越えるのに困難な壁が立ちはだかったら、いつでも相談していいんだからね? …貴方にはその権限があるんだから』
「はい」
澪華は忘れていないことを誇張するように即座に頷いた。
「『最界種者(ノヴァ・シード)』に到達した生徒は『樹嶺長』にいくらでもアドバイスを求めることができる。無論、覚えています。
…もちろん、『最界種者(ノヴァ・シード)』の権限は大いに
澪華がはっきりと主張すると、『樹嶺長』は小さく笑って背もたれに寄りかかった。
「やっぱり、貴女はそういう子よね。……助言は無粋だったわ」
そして『樹嶺長』は優しい笑みを浮かべた。
「頑張って。応援してる」
「ありがとうございます」
その後も少しだけ雑談をしたり、『樹嶺長』の近況や澪華の今後の目標についても話して通話を終えた。
◇ ◆ ◆
澪華は階段を下りながら、己の内から湧き出るエネルギーを感じていた。
基本的に冷静に振る舞い澪華も、最も尊敬する恩師との会話に体が喜んでいるようだ。
澪華が心臓の高鳴りを覚えながら紅羽が待つリビングのドアを開けた。
「あ、戻ってきたね」
ところどころ外ハネした濃い茶髪を揺らしながら紅羽が振り返って出迎えてくれる。
「…?」
澪華は紅羽が何かの紙を持っていることに気付いた。
「それは?」
「ある人から手紙だよ」
それだけ聞いて、澪華は「なるほど」と薄い笑みを浮かべた。
「誰からかしら?」
少し畏まって澪華が聞くと、紅羽は「わかってる癖に」と笑みを浮かべた。
「
先程『次席』の黛蒼斗と共にいた『特世科』の中でも特に注目されている人物の一人。
入学時点でランク『
『
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