第4話・・・『翳麒麟』/鯨の大口・・・

 柊閃ひいらぎ せんルビーエメラルドの瞳を妖しく輝かせながら小首を傾げた。

「一応自己紹介しておくべきかな? 僕は…」


「それ以上喋るな」

 白鳥澪華しらとり みおかが毅然と言い放った。


 柊閃は「んー?」と怯まず何か言おうと口を開きかけたが、「黙りなさい」と澪華が先んじる。

「……この場に貴方は相応しくない。構ってほしいのなら別の機会に相手してあげますから…、」


 澪華は嫌悪の感情を剥き出しにして、続けて言った。

「…立ち去りなさい、『翳麒麟かげきりん』」



「『翳麒麟』じゃないって。…僕には柊閃ひいらぎ せんって名前があるんだから。よろしくね!」


『翳麒麟』。

 言うなれば、鳳凰財閥が『四神苑』の生徒を育てる為に敢えて招き入れた『厄災』だ。他にも『害悪』『悪魔』『疫病神』、考えうる限り最悪な呼び名がある。

 全国各地で大勢の人々を絶望へと陥れた者達。一人一人が中高生だけでなく実業家や政治家など『成功者』『権力者』と言える大人達を破滅させるほどの思想と才覚を有する心根が歪んだ麒麟児『翳麒麟』。


 過去には破滅させられた『四神苑』の生徒も沢山存在する。



 今、澪華の前に立つエメラルドルビー両眼オッドアイが忌々しいほどに綺麗な黒髪銀メッシュの少年、柊閃は『翳麒麟』の一人だ。

 制服は『特世科』と同じだ。


 澪華の拒絶を全く意に返した様子もなく、マイペースに自己紹介する姿は同じ常識や教養があるとは思えない。


(この男が『翳麒麟』の一人、柊閃…ッ。埼玉の都市の一つを滅茶苦茶にしたという…ッ)


 当然、澪華は事前に柊閃のことを調べていた。


 そして例に漏れず、柊閃も危険な信条を持ち、多くの者達を絶望へと叩き落としていったことを知っている。

 こうして相対してみると、やはり『翳麒麟』から感じ取れるオーラはありふれた悪党とも違う。


 善悪の外側にいる、人間の皮を被った全く異なる生命体・・・・・・・・のような気持ち悪い感覚だ。


 澪華を含め、この場の全員がどう相手をしたものかと手をこまねいてる。


「よろしく!」

 柊閃は澪華の前に歩み寄り、手を差し出した。

 友達になりましょうと言わんばかりに握手を求めているが、澪華は応じるどころか…、


 パンッ、とその手を強く弾いた。


 柊が「いたっ」と片目を瞑る。


「本当に理解できない」

 澪華は一定のトーンで言う。

「どうして握手に応じてもらえると思ったのか」


「言っておきますが」

 そこへ黛も加わる。

「貴方からの質問は一切受け付けませんので」


 黛も共に柊を拒絶してくれている。刹那の共同戦線だが、心強い。


「もう〜」

 柊はぼやきながらくるっと後ろへ振り返った。


 その柊の視線の先に、一人の女子生徒がいた。


爛々らんらん〜」

 柊が女子生徒の名を呼ぶ。

「『首席』様と『次席』様がすごい僕のこと邪険にしてくるんだけど…」


「あはっ!」


 その女子生徒が満面の笑みを浮かべる。


「今の閃、めっちゃ輝いてるよ!」


 そして脈絡のないことを口にした。


 ツインテールにした濡れ羽色の瑞々しい黒髪、フリルのカチューシャ、ブレザーの下のブラウスは支給品の制服とは違うものを着ており、胸元からフリル、袖口からはレースのカフスがのぞいている。


 ゴスロリ趣味を全面に押し出したあざとく可愛らしい少女。


 澪華はその少女のこともよく知っていた。


(…彼女が籠坂爛々かごさか らんらん…。柊閃に魅入られた少女…)

 諦めるのは好きではないが、事前調査通り、籠坂爛々は既に取り返しのつかないところまで堕ちてしまっているようだ。


 籠坂からただの感想をもらった柊は「はあ」と溜息を吐き、目を少しだけ細めた。


 眼光の鋭さが増したように見える。


「まあ、僕のこと嫌う気持ちはよ〜くわかるよ。わかるけどさ、」

 柊が大げさな仕草で周囲の生徒をぐるりと眺めた。

「周りの同級生諸君は、もう少し『翳麒麟』である僕と、『首席』『次席』、ついでに『五位』の君達との絡みをもう少し見たいんじゃない?」


「「「……っ」」」

 周囲の生徒達が口をぎゅっと締めた。


 少なからず図星の生徒はいるだろう。

 強者同士の争い。怖いもの見たさで興味を示してしまうのも理解できる。


 ちなみに『ついで』扱いされた落禅は「ちっ」と舌打ちをしている。


「だからさ、もう少し話そうよっ」

 柊がにっこりと、親しみすら感じる笑みを浮かべる。


「黙りなさい。私から貴方に伝えることは変わらない。…とっととこの場を去れッ」


「冷たいなぁ」

 柊が肩を竦める。

「入学式で『宝』と呼んだ『普凡科』の生徒達の気持ちを汲んであげなよ」


 澪華は予想通りと心の中で嘲笑した。

 入学式の時の澪華の言葉を持ち出せばこちらが怯むとでも思ったのか。


「勘違いしてるようね」

 澪華は眉間を寄せて言った。

「確かに私は『普凡科』の方達を『宝』と呼んだけど、もしこの場で『「翳麒麟」と私の争いが見たい』などと傍観者気取りで楽しもうとする輩がいるなら……その人は『宝』でもなんでもない。

 他人事として片付け、当事者意識を持たない者など私に言わせれば『翳麒麟』と同じくらい『不必要な存在』です」


 ぴしゃりと澪華が言い放った。


 今の澪華の言葉はどれだけの生徒に響いたかわからないが、何人かの生徒の顔付きが変わったのは見えた。


「じゃあさ」


 だが柊は尚も引かなかった。


「多数決取ろっか」

 ぴんと柊が人差し指を立てた。


「…多数決?」


「そう」

 柊が頷き、またぐるりと周囲の生徒を見渡した。

「周りの『普凡科』の人達に多数決を取るんだよ。……僕と君達の絡みを『見たいか』『見たくないか』」


 この男は何を言い出しているのか。


 澪華達の気持ちをよそに、柊が説明を続ける。

「もし手を上げない生徒、つまり『僕と白鳥さん達の絡みを見たい!』って生徒が多かったら、僕は同級生達からの期待を胸に、君達にウザ絡みしまくる!」


 無邪気な笑みを浮かべた柊が「でも」と続ける。


「もし手を上げない生徒、つまり『柊閃なんか見たくない! いなくなれ!』って生徒が多かったら、僕は大人しく引き下がるよ」


 しょんぼりとしと柊は「……そして、」と妖しく薄目を開いた。




「支持してもらえなかった悲しみを胸に、手を上げなかった生徒全員・・・・・・・・・・・・を、全力で退学・・させる」




「「「なッッ!!?」」」

 生徒達が青ざめた。


(…何を言い出すかと思えば…ッ!)


 柊の言う多数決は要するに『柊を敵に回すか』『澪華を敵に回すか』を選べという地獄の二択だ。


 

「ふざけてるのですか?」

 澪華が低い声で澪華を睨む。


「本気だよ」


 柊は穏やかな笑みで答えた。


「本気。僕は本気だよ。超本気」

 柊はオッドアイをキラキラ輝かせた。

「…せっかくの場だから本気で試したいんだ。……この場にいるどれだけの人が、死線を潜り抜ける崇高な魂を持っているか」


 澪華は周囲の生徒達の表情を確認した。


 各々が顔色を悪くして胸の鼓動が速くなっているようだ。

 徐々に理解してきたのだろう。


『翳麒麟』と呼ばれる生徒達の理屈を彼方に置く悍ましい狂気を、ようやく身を持って実感し始めたのだろう。


「いいですよ。やりたければお好きにどうぞ」

 澪華は怯える生徒達を尻目にそう言った。


 助けを求めるような目を向けていた『普凡科』の生徒達の顔が更に青ざめる。


「でも、覚悟しなさい」

 澪華は拳を握りしめた。

「もしそのふざけたゲームをした瞬間、私が貴方を『退学』に追い込む! 何を置いても! 最優先で!」


 全身全霊の殺気を柊へ向け、声を張り上げた。


 これは冗談でもハッタリでもない。


 真剣だ。



「OK! じゃあ多数決をしようか!」

 だが柊は引かない。


 澪華の言葉を嘘だと思っているわけではないだろう。いやそもそも気にしていないのか。


「どうぞ。私の意思は変わりませんから」

 澪華も引き下がるつもりは一ミリもない。


 周囲の生徒達はきょろきょろと戸惑っているようだ。


 澪華が柊への『退学』の布告をすることで『普凡科』の生徒達に『貴方達をこんなくだらないことで退学はさせない』と伝わったとは思うが、それでもどうするべきか迷ってしまうのだろう。


(……『四神苑』へ足を踏み入れたなら、貴方達も覚悟を決めることです)

 澪華の厳格な心は本物だ。伝わる者には伝わるはずだ。


「それじゃ、」

 と、柊が息を吸ったところで………………………………………………………、



「柊閃」


 野太い声が響いた。



「…?」

 こてん、と柊が首を傾げて、自分呼んだ人物を見た。


「何? 鯨井くじらいくん」


 黛が連れてきた仲間の鯨井帯土が、おもむろに前へ出た。

 

 大きな体が柊と対峙する。


 そして鯨井は胸ポケットからある物を取り出し、口を開いた。

「プレゼントを差し上げるから、この場は勘弁してくれないか?」



 言いながら鯨井が見せたのは……一枚のトレーディングカードだった。


 可愛い女の子の絵が描かれている。



「……?」


「「「「……?」」」」


 柊を始め、場の空気が疑問符で埋め尽くされた。


「これは…?」


 柊が聞くと、鯨井は流暢な言葉で説明した。

「大人気TトレーディングCカードGゲーム万物擬人ザ・インカーネーション』のSURスーパーウルトラレアカード『腰包こしづつりゅう上忍じょうにん 秘伝ひでん至福落しふくおとし柔念没やわらねんぼつじゅつ 女忍者くのいち胡那女こなめ』だ。大人気イラストレーター鎌倉かまくら先生の…」


「ちょっと待ってちょっと待って情報量多い情報量多い!」

 柊が鯨井を手で制する。


 澪華も同じ気持ちだった。鯨井がこんな言動は事前調査にもなかったはずだ。


「ええと」

 柊が鯨井の持つカードを取った。ローダーで歪まないようにがっちり固定されている。

「『ザ・インカーネーション』だっけ? …なんか聞いたことあるけど…えと…」


「あれだよね。この世の全ての物を擬人化したトレーディングカード」

 すると柊の後ろからひょっこりと籠坂爛々が顔を出した。柊の肩に手を置いてカードを覗き込んでいる。


「爛々、知ってるの?」


「うん! SNSでよく見かける!」


「へー」

 柊がそのカードを興味深そうに凝視する。

「じゃあこの忍者も何かの擬人化ってことだよね?」


「そうだ」

 鯨井が頷く。


「絵だけじゃよくわからないな…。所々のパーツが引っかかるけどパッと思いつかない…っ。……ていうかこのネーミング何!?『腰包み』!『柔念没やわらねんぼつの術』! もう言いやすいのかどうかもよくわからない! 爛々、わかる?」


「あたしにもわかんない。そんな詳しいわけじゃないし」

 頭を悩ませる二人に、鯨井が口を開いた。


「教えてやろうか?」


「うん! 教えて」


「そいつはゲーミングチェアの擬人だよ」


「「ゲーミングチェア!?」」

 柊と籠坂が揃って大声を上げた。


「ああでもそっか! 確かに言われてみればこの忍者の衣装のよくわからない装飾、椅子のパーツだ! しっくりくる!」

「え〜!? でもこのネームングセンスどうなの!?『腰包み』は百歩譲っていいとしても、『柔念没』って何なのよ!?」

「あとせめて『座』の一文字使ってよ!」


「それについてはな」

 鯨井が二人の疑問に答えた。

「『柔念没』は『柔軟な思考で集中』という意味のようだ。ゲーミングチェアは抜群の座り心地でパフォーマンスを上げる役割があるからな。

 そして『座』という文字を使っていないことに関しては『直球過ぎる単語を使わずに何の擬人化か表現する』というのを『万物擬人ザ・インカーネーション』の製作陣が美徳の一つとしているみたいなんだ」


「「ほえぇ〜!」」

 柊と籠坂が同じ顔でこくこく頷く。


 柊がもう一つの疑問を口にした。

「ゲーミングチェアを擬人化したのはわかったんだけど…なんで忍者になってるの?」


「そこはわからない」

「そこはわからないんだ!」


「ちなみに」

 鯨井がそのカードを指差す。

「それ一枚で8万円する」


「「うそ!?」」

 柊と籠坂の体が強張った。


 しかし同時に興味心も膨れ上がったように見える。


「柊閃、籠坂爛々」

 鯨井が二人の名を呼んだ。

「このカードをプレゼントしよう。だからこの場はこの辺にしておいてくれないか?」


「「「……っ」」」

 鯨井の提案に、その場の全員が息を呑んだ。


 ついに本題の交渉に切り込んだからだ。


「いいよ!」


 そして体を固まらせる面々を嘲笑うかのように、柊はすんなり応じた。


「僕もごめんね! 入学早々これ・・はさすがに酷だったよねっ。白鳥さんや黛くんの熱に当てられちゃって冷静さを放っぽり出しちゃってた」


「構わないさ。入学早々テンション上がってしまうことは誰にでもある」

 鯨井が紳士的な答えを返す。


「ありがと!」

 柊が踵を返す。

「それじゃ、お邪魔な僕は退散しますね〜」


 柊が歩き出し、籠坂も続く。


 周りを囲む生徒達は慌てるように道を開いた。


「あ、そうだ」


 柊が思い出したように口を開いて、再度振り向いた。


 まだあるのか、という周囲の気持ちをよそに柊は鯨井を見る。


「鯨井くん、例の人・・・に伝えておいてよ。『いつか話しましょう』って。…今でも連絡は取り合ってるんでしょ?」


「…ああ」

 鯨井は特に表情を変えず、苦笑した。

「わかった。伝えておこう」


「よろしくね〜!」

 柊はそう言い残し、今度こそ去っていった。


 だがまだ柊と籠坂が見える内は誰も無闇に話そうとはせず、廊下の奥の角で曲がったところでようやく場の空気が緩和した。




 ◆ ◇ ◇




「上手く丸め込まれちゃったねぇ〜。せーんっ」


「面白かったからなんでもいいさ!」


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