第14話 予期せぬ騒乱

 鳴は地面に落ちた札を見つめ、わずかに息を吐いた。光の余韻がまだ空気中に漂っているような感覚が残る。法獣が消え去ったことで、森の中には再び静寂が訪れていた。

 

「……やったのか?」


七彦が弓を下ろしながら、周囲に目を配る。その声にはまだ緊張が含まれていた。


「うん、これで一体目は終わり。」


鳴は淡々と応じ、落ちている札へと歩み寄った。その指先が慎重に札を拾い上げる。


肩の上からふわりと黒い毛が揺れる。泳が首を伸ばし、鳴の手元を覗き込んだ。その瞳が興味深げに札をじっと見つめている。


「……気になる?」


鳴が小さく問いかけると、泳は短く「にゃあ」と鳴いて応える。

鳴は無言のままその姿を見つめ、再び札へと視線を落とした。

 

 

「おお!鳴、やるじゃん!」


郁之助が嬉しそうに声を上げ、槍を軽々と肩に担ぎながら笑った。その無邪気な声が、張り詰めていた空気を少しだけ緩ませる。


「なんとかなったね!」


貴音が三人を見渡しながら、明るい声を上げる。


七彦はその言葉に一瞬眉を寄せた後、思い出したように貴音を鋭く睨みつけた。


「それよりも、お前さっきのはなんだ!」


詰め寄るように声を上げる。


「なぜ戦いの最中にあんなことをしていた!?」


しかし、貴音は七彦の怒りなどどこ吹く風といった様子で、軽い調子のままだ。


「だって、紙人形を作らないと戦えないでしょ?」

「なぜ事前に用意しておかないのか、と聞いているんだ!」


七彦は青筋を立てながらさらに詰め寄る。


「なんでって言われても……忘れてた?」


貴音は軽く首を傾げ、無邪気な顔で答えた。

 

「……はあ?」


七彦は額に手を当て、さらに何か言おうと口を開いたが、その前に郁之助が間に割り込む。


「まあまあ、落ち着けって。」


郁之助は笑いながら七彦の肩を軽く叩いた。


「こういう奴にマジで説教しても疲れるだけだぜ?」

「それは俺が決める。」


七彦は眉を吊り上げたまま言い返すが、どこか半ば諦めたようなため息をついた。


「護符もちゃんと使えたし、次もサクッと行こうよ!」


貴音が無邪気な笑みを浮かべ、手を軽く振りながら歩き出す。あたかも今の戦闘など些細なことだったかのような軽快さだ。


「そうだな。」


郁之助も槍を担ぎ直し、肩を軽く回しながら調子を合わせる。気楽そうな表情の裏には、少し戦い慣れた自信が漂っていた。


その二人の態度に七彦の眉間が深く寄る。


「おい、反省しているのか!」


声を荒らげる七彦に、貴音は全く動じることなく振り返り、にっこりと微笑んだ。


「それにしても、ナナちゃんが的確に仕切るとこ頼もしかったよ!」


七彦は突然のことに言葉を失ったように一瞬固まる。


「……べ、別に、普通だ。」


目を逸らしながらぶっきらぼうに返すが、彼の耳元は赤く染まっている。


「へえ、ナナちゃんも照れるんだ。」


郁之助がにやりと笑い、茶化すように言う。


「黙れ。」


ピシャリと切り捨てるものの、耳元まで染まった赤色が消えることはない。その様子が余計に可笑しかったのか、貴音はクスクスと笑った。


「ナナちゃんのそういうとこも可愛いよね。」


「誰が可愛いだと?」


七彦は低く唸るような声を出すが、言葉に力がなく、場の雰囲気はすっかり軽やかなものになっていた。


その時だった——パチパチ、と小さな音が背後から聞こえた。四人は一斉に振り返る。


そこには、さっき貴音が作った紙人形が立っていた。四人を見上げるようにして、短い手を器用に叩いている。


「おおー、お前さっきは大活躍だったな。」


郁之助が楽しげな声を上げ、少し腰を屈めて紙人形に近づいた。


七彦は眉間にしわを寄せ、じっくりと紙人形を観察した。


「あれだけの爆発を起こしておいて、傷ひとつついていないなんて不思議だな。」


紙人形はまるでその言葉に答えるようにまた手を叩いた。しかし、その瞬間——


パチッ、と手から火花のようなものが散る音がした。


七彦の表情が一変する。


「こいつから離れろ!」


鋭い声が響いた。


郁之助と貴音は驚いて七彦を見つめる。郁之助は戸惑ったように眉をひそめた。


「急にどうしたんだよ。」

「とにかく早く離れろ!爆発するぞ!」


七彦の声は切迫していた。


その言葉に四人が一斉に動き出す。郁之助は

「マジかよ!」と叫びながら後方へと飛び退り、貴音も慌ててその場から離れた。鳴も冷静に距離を取る。


紙人形はなおも手を叩き続けるが、その動きはどこか不規則になり始めていた。パチパチという音は次第に激しさを増し、紙の表面に走る光の筋が異様な輝きを放っている。


「走れ!」


七彦の指示に従い、四人は全力で紙人形から距離を取るために駆け出した。背後では、なおも不気味な音が響き続けていた。


 爆発音が轟き、辺りに煙が立ち込める。四人はその場に足を止め、ただ呆然と爆発の余韻を見つめていた。


「...びっくりした。」


貴音がぽつりと呟いた。


七彦はじっと爆発の方向を見つめている。煙が徐々に薄まり、視界が戻るにつれて異様な光景が浮かび上がった。


「あれ……」


郁之助が目を細めた。


煙の中から、紙人形が何事もなかったかのように立ち上がり、パチパチと手を叩き出す。その音が静かな森にやけに響いた。


そして、紙人形は四人をじっと見つめるようにしながら歩き出した。


「おいおい、なんかこっちに向かってきてねえか?」


郁之助は乾いた笑いを浮かべた。その声にはわずかな焦りがにじんでいる。


貴音は何か思い当たる節があるのか、

「……うわぁ」と小さく声を漏らし、一歩後退る。


次の瞬間——


紙人形が地面を蹴るようにして走り出した。小さな体からは想像もできない凄まじいスピードだ。


「ヤバい、ヤバい、ヤバい!みんな逃げて!」


貴音の叫び声が響き、四人は反射的に駆け出した。


ドンッ! ドンッ!


後ろから爆発音が何度も響く。紙人形が近づいては爆発し、再び立ち上がり追いかけてくる。


「おい!どうなってるんだ!」


七彦が苛立った声で問いかける。


「貴音!どうにかしろ!」


郁之助も叫ぶが、貴音は泣きそうな顔で振り返りながら必死に答える。


「ええ!?無理だよ!やり方わかんない!」


「はあ!?お前が作ったんだろ!」


七彦が怒鳴る。


「そんなこと言われたって、ああなっちゃったらもう無理だよ!!」

  

そんな中、鳴だけは特に焦る様子もなく、冷静に後方を振り返りながら紙人形を観察していた。その瞳にはただ鋭い分析の光が宿っている。


「……へえ。」


鳴の呟きが、爆音の中でも妙にはっきりと四人の耳に届いた。


「何かわかったのか!?」


七彦が鳴の呟きに反応して声を張り上げる。


「……うん。」


鳴は短く頷くと、次の瞬間、唐突に足を止めた。そのままくるりと振り返り、迫り来る紙人形を真正面から見据える。


「おい!危ないぞ!」


七彦が鋭く警告の声を飛ばす。しかし鳴はその言葉に一切反応せず、じっと紙人形を見つめ続けた。


他の二人も鳴の異様な行動に気づき足を止める。


「お、おい鳴!」


郁之助が焦った声を上げた。貴音も慌てたように手を振りながら鳴に呼びかける。


「早く離れて!危ないよ!!」


風を切るような音を立てて紙人形が近づいてくる。手を叩くたび、火花が散るような音が空気を震わせた。


だが鳴は微動だにしない。その冷静な横顔には、異様なほどの集中力が滲んでいた。


七彦が歯を食いしばりながら怒鳴る。


「鳴!聞いてるのか!?下がれって!」


けれども、鳴はその声に答えず、ただ静かに紙人形を見据え続けていた。そして懐に手を差し入れ、一枚の護符を取り出し、呪文を唱え始めた。


低く響く呪文が森の静寂を揺るがすように紡がれる。しかしその間にも、紙人形は鳴に迫っていた。パチパチと音を立てながら火花を散らし、空気を焼くような熱気をまとっている。


「鳴!危ない!」


七彦が再び叫んだ。しかし鳴は眉ひとつ動かさず、護符を握り締めたまま動かない。


そして――紙人形が跳び上がる。


鳴は冷静に手を伸ばした。まるで紙人形の動きを見切ったかのように、一直線にその頭部へと護符を貼り付ける。護符に描かれた赤色が一瞬チラリと輝き、空間を切り裂いた。


「――バン。」


鳴が爆発音を真似るように小さく呟いたその瞬間――


轟音が響き渡った。


さっきまでの爆発など比にならないほどの巨大な衝撃波が森を揺らし、風圧が巻き起こる。激しい光が周囲を飲み込み、爆風が鳴の足元から広がる。


「うわっ!」


郁之助と七彦は反射的に腕で顔を覆い、貴音も風に煽られながら思わず目を瞑った。


しばらくして、爆発の余韻が収まり、風の音だけが残る。


「……すっごーい。」


貴音が呆然とした声を漏らした。


郁之助も槍を肩に担ぎ直しながらぽかんとした表情で爆発跡を見つめる。


「なんだ、今の……」


七彦も眉をひそめたまま視線を彷徨わせている。


三人ともその光景に唖然としたまま立ち尽くしていた。

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