第15話 静謐のつぼみ
視界が少しずつ晴れていき、鳴が煙を払うように首を軽く振りながら姿を現した。肩に乗っていた泳も周囲の煙を払い飛ばすように尻尾を揺らしている。
その様子に気づいた貴音が「あ!」と声をあげ、急いで鳴に駆け寄る。
「鳴、大丈夫!?」
貴音の心配そうな声に、鳴は一瞬チラリと彼女を見たが、すぐに視線を逸らす。顔に浮かぶ表情は冷静そのもので、少しも動じていない。
「…うん。」
短く答えると、そのまま何事もなかったかのように歩き出す。
その様子を見ていた郁之助と七彦もようやく動き出し、郁之助が軽く肩をすくめ、笑いながら言った。
「えーっと、つまり一件落着?」
「…ああ、そうみたいだな。」
七彦も少しほっとしたようにうなずきながら答えた。
その様子を見て、鳴は静かに口を開く。
「…早くしないと、時間なくなるよ。」
鳴の冷静な言葉に、三人は再び意識を引き戻され、気を引き締めたように歩みを進める。
四人は森の中を慎重に歩みながら、次なる敵が現れる気配に神経を研ぎ澄ませていた。辺りは薄暗く、木々が風に揺れる音や、時折どこからか聞こえる烏の鳴き声が耳に妙に響く。空気は湿り気を帯び、足元の土から微かな草の匂いが立ち上る。そんな張り詰めた静けさの中、前を歩いていた郁之助がふと立ち止まった。
「なあ、実はずっと気になってたことがあるんだけどさ……」
唐突な切り出しに、一行の緊張感がわずかに揺らぐ。
「何だよ、こんな時に。」
七彦が眉をひそめ、不機嫌そうに郁之助を見た。
「いや、ナナちゃんじゃなくて鳴になんだけど。」
郁之助は軽く肩をすくめ、軽妙な調子を崩さない。その視線が鳴に向けられると、鳴も一瞬だけ足を止めた。
鳴はその視線を受け止めるも、興味なさげに
「なに?」とだけ返した。
「お前ってさ、男?それとも女?」
その一言に、場の空気が一変した。
鳴の足がピタリと止まる。
「……は?」
七彦が思わず間抜けな声を漏らし、驚いたような表情で鳴を見る。泳も鳴の肩越しに少し目を細めて郁之助を見つめた。
鳴は静かにその場で振り返る。眉をわずかに寄せ、無表情ながらもどこか冷たい視線を郁之助に向けた。
「僕は男だ。」
その声は平静そのものだったが、微かな苛立ちが言葉の端ににじんでいた。
「え、そんな怒んなよ!」
郁之助は慌てたように手を振り、弁解を始める。
「だってさ、外見だけじゃ判断できないだろ?声も……なんか中性的じゃん。悪気はなかったんだって!」
鳴はじっと郁之助を見つめ、冷ややかに答えた。
「だから?」
「いや、だから気になっただけ!別に悪い意味じゃないから!」
郁之助はなおも言い訳を続ける。
すると後ろから貴音が声を上げた。
「いくちゃん、失礼だなあ!私は最初からわかってたよ!」
貴音は得意げに胸を張り、鳴に笑顔を向ける。そして、隣の七彦を肘で軽くつついた。
「ねえ、ナナちゃんも最初からわかってたでしょ?」
その言葉に七彦は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに表情を取り繕い、視線を逸らしながら言った。
「……あ、当たり前だろ。そんなの見ればわかる。」
だが、わずかに早口でぎこちない様子を見せた七彦に、郁之助がニヤリと笑う。
「おいおい、ナナちゃん。お前も実は気になってただろ?」
「そんなわけないだろ!」
七彦は慌てたように声を上げ、弓をしっかり握り直した。
鳴はそのやりとりに不愉快そうに眉を顰めた。
「....もういい。無駄話している場合じゃない。」
そう言うと、鳴はまた前を向いて歩き出す。
貴音は「まあまあ、いいじゃん!」と明るく笑いながら後を追い、郁之助は相変わらず軽い調子でついていく。七彦は少し赤くなった顔を隠すようにして、黙々と後に続いた。
こうして、どこかぎこちなくもにぎやかな一行は、再び星籠山の奥へと進んでいった。
木々が生い茂る森は薄暗く、時折風が枝葉を揺らし、かすかな音を立てる。誰もが緊張した面持ちで周囲を警戒しながら進む中、不意に七彦が足を止めた。
「……近くにいる。」
低く鋭い声が場の空気を引き締める。彼は眉をひそめ、耳を澄ませている。物音は微かだが、確実に何かが動いている気配があった。
「どっちだ?」
郁之助が槍を軽く構えながら尋ねる。
「正面だ。」
七彦は三人の方に振り返ると、きっぱりと告げた。
「俺と郁之助で様子を見てくる。」
唐突な指示に貴音が「えっ!なんで?私も行くよ!」とすかさず抗議するように声を上げる。
だが、七彦は冷静にその言葉を断ち切った。
「お前は紙人形を作っておけ。」
その一言に郁之助は苦笑を浮かべる。
「大丈夫かよ?あの人形のせいで俺たち、えらい目にあったんだけど。」
肩をすくめつつも、どこか本気で不安そうな声だった。
七彦はその言葉を受け流し、冷静なまま状況を説明する。
「俺たちはすでに護符を二枚使ってる。つまり、最低でも一体は護符を使わずに祓わなきゃならない。」
視線を鋭くして、さらに言葉を続けた。
「誰彼構わず攻撃する不良品だとしても、無いよりはマシということだ。」
その辛辣な言い方に、貴音は
「ナナちゃん、ひっどーい。」と拗ねたように頬を膨らませる。
「事実を言っただけだ。」
七彦は淡々と返すと次に鳴へと視線を向け、落ち着いた口調で指示を出す。
「お前は何かあった時のためにここで貴音と待機だ。」
鳴は無言のまま、軽く頷いた。
「行くぞ。」
七彦は郁之助に声をかけ、歩き出す。その動きには一切の迷いがなかった。しかし、歩き出す直前、ふと足を止めて振り返る。
「いいか、できるだけまともなものを作れよ。」
貴音は再び頬を膨らませ、なおも不満を滲ませたが、結局は「はーい。」と渋々返事をする。
郁之助は肩をすくめて笑った。
「頼むぞ、貴音。もうあの爆発は勘弁だからな。」
「ふんっ、大丈夫だよーだ。」
貴音はふんと鼻を鳴らすが、その手は早速紙人形を作るために動き出していた。
七彦と郁之助は互いに軽く頷き合い、足音を抑えながら森の奥へと進んでいった。
二人が森の奥へと進んで消えて行った後、その場には貴音と鳴だけが残された。貴音は頬を膨らませ、不満そうに口を尖らせながら呟いた。
「もうっ、ナナちゃんもいくちゃんも失礼だな。」
それでも言われたことには従うつもりらしく、貴音は袖から何枚ものいろがみを取り出す。鮮やかな赤、青、緑、黄色——それらが地面に広げられると、薄暗い森の地面が一気に彩られたように見えた。
不満げな声を漏らしつつも、貴音は地面に腰を下ろすと、手慣れた様子で紙人形を折り始める。その手つきは意外なほど丁寧で、紙を折る音が静かな森の中で微かに響いた。
そんな貴音の様子を、鳴はじっと見つめていた。
目をわずかに細め、首を傾げるその姿は、まるで初めて目にする光景に興味を示しているかのようだ。折り重なって形を変えていく紙の動きに、不思議そうな眼差しを向ける。
視線に気づいた貴音が顔を上げ、にっこりと笑った。
「鳴も一緒に折る?」
そう言いながら、いろがみを一枚差し出す。その明るい笑顔には、先ほどまでの不満げな様子は微塵も感じられなかった。
鳴一瞬考え込むような間を置いてから、無言のまま静かに頷いた。その仕草がどこか子供っぽく見えて、貴音はますます嬉しそうに笑う。
そして差し出された紙をしばらく見つめた後、おずおずとそれを受け取った。しかし、どう扱えばいいのかわからないらしく、持ったまま固まってしまう。
その様子を見た貴音は「あ!」と小さな声を上げると、少し首を傾げて言った。
「もしかして折り方わからない?」
鳴は少しだけ視線を逸らしながら無言で答えを暗に示す。
「ふふっ、じゃあ私が教えてあげる!」
貴音は自分の隣を手でポンポンと叩き、
「ここ座って!」と楽しげに言う。鳴はためらいながらも、静かにその隣へ腰を下ろした。
二人の間には色とりどりのいろがみが散らばり、まるで平和な時間がそこにだけ流れているようだった。
貴音は広げたいろがみを見つめながら、小首を傾げた。
「うーん、何を折ろうか?」
貴音の指先がいろがみの端をつまみ、何かいい案を探すように動く。しばらくして、ぱっと明るい笑顔を浮かべた。
「やっぱり最初は鶴かな!」
その言葉に鳴は小さく首を傾げ、「……つる」と反芻するように呟いた。
「うん!まずはねー!」
貴音は元気よく頷くと、さっそく手元のいろがみを広げ、鶴の折り方を説明し始めた。指先は迷いなく折り目をつけ、紙を軽やかに動かしていく。
鳴はその動きにじっと視線を注ぎ、貴音の手の動きをしっかりと追いかけた。その表情には相変わらず変化はなかったが、その目は真剣で紙一枚を折る行為に強い関心を抱いているようだった。やがて、鳴もおそるおそる貴音の動作を真似るように紙を折り始めた。
泳は鳴の隣でじっとその見守り、時折尻尾を小さく揺らしている。
「そうそう、ここの折り目をしっかりね。で、次はこう!」
貴音は楽しげに説明しながら、器用に鶴を折り進める。鳴もその動きを慎重に真似るように折っていく。その手つきはぎこちなかったが、次第に形を成し、しっかりとした鶴の姿が浮かび上がり始めた。
「できた!これで完成!」
貴音はパッと手を離し、満足そうに自分の鶴を掲げた。その声にも動きを止め、自分の折った鶴を静かに見つめる。
「わあ、鳴も上手!」
貴音は隣に身を寄せ、鳴の作った鶴を見て声を上げた。少し歪んでいるものの、確かに鶴の形をしている。
鳴はじっと自分の鶴を見下ろしていた。どこか不思議そうに、それが本当に自分の手で折られたものなのかを確かめるかのように。
そんな鳴の様子に、貴音はふっと笑みを深めた。
「次は何作る?」
彼女はすぐさま新しいいろがみを手に取り、パッと鮮やかな赤色を広げた。
「他にも花とか蝶々とか、色々あるんだよ!」
次々と案を上げ楽しげに話す。手の中で色紙がひらひらと舞い、彼女の指先がもう次の創作へ向けて準備を始めていた。
鳴はそんな貴音の様子を静かに見つめる。楽しそうに話し、次から次へと新しい提案をする彼女の姿がどこか新鮮だったのだろうか。その表情には微かな好奇心が浮かんでいるようにも見える。
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