第3話 踏み出す足音

 朝日が淡く街を照らす中、鳴は肩に泳を乗せながら、ゆるやかな坂道を上っていた。通りの軒先には提灯がぶら下がり、静かな空気を背景に人々が動き始めている。鳴の白銀の髪は朝の光に溶け込み、揺れるたびにほのかな輝きを放つ。その幻想的な容姿は人々の視線を引き寄せるが、彼自身はそれに気づいている様子もなく、ただ黙々と歩き続けていた。肩に乗る泳の尻尾が頬に触れるたび、ほんの少し顔を背けるが、その歩みを止めることはなかった。


「学校って、どんなところ?」


鳴はぽつりとつぶやき、肩に座る泳をちらりと見た。


泳は無言で前方を見据え、小さく喉を鳴らす。その様子に、少しだけ唇を歪めると再び視線を前に戻した。


やがて、鳴は指定された神社にたどり着いた。苔むした鳥居の向こうには、静寂が満ちた境内が広がっている。石段の上に人影が見えた。


「おはよう、鳴君。」


日向が微笑みながら手を挙げる。朝日に照らされた金髪が、彼の軽やかな雰囲気を引き立てている。


「……あんた、暇なの?」


鳴は昨日の出来事を振り返り、少し呆れたように言った。


「君が来るのを見届けるのが、俺の仕事だからな。来てくれて、よかったよ。」


日向は肩をすくめ、苦笑した。



鳴はわずかに眉を寄せ、泳をちらりと見る。


「泳がどうしてもって言うから。」


「そうか。それでも、感謝するよ。」

日向は柔らかく頷いた。


日向は腰につけていた小さな袋を開き、和紙に包まれた書類を取り出した。それには巻物と印章のようなものが含まれていた。


「これが君の入学に必要な書類だ。中を確認しておいてくれ。」


鳴はそれを無言で受け取り、懐に押し込んだ。


日向は泳に一瞬目を留めたが、何も言わず視線を戻した。


「準備ができたら、学校に向かおう。君には学ぶべきことがたくさんある。」


鳴は短く頷き、くるりと踵を返し、そのまま神社を後にする。肩に乗る泳が、低く小さな声で鳴いた。


背後で日向はその姿をしばらく見つめ、微かに笑みを浮かべると、静かにその場を後にした



 朝の空気は澄み切っていたが、鳴の心中はどこかさざめいていた。日向の隣を歩きながら、肩に乗る泳を無意識に撫でる。学校に向かう途中、入学のために必要な物を買い足すことになったが、それ以上に、日向の態度や言葉の端々が気にかかっていた。


視界の隅で、日向の一挙一動を観察する。どこか軽薄そうに見えるのに、その言葉には妙に確信めいた響きがある。


「この先に商店街がある。まずはそこで必要なものを買おう。」


日向の軽やかな声が鳴の耳に届く。


無言で歩を進めながら、ちらりと周囲の風景に目をやる。道の両側には、草木が風にそよぎ、ところどころ古びた石碑が並んでいる。微かに小鳥の囀りが聞こえるが、それさえも足音にかき消されてしまいそうだった。


やがて二人は商店街の入り口に足を踏み入れた。

竹や木を使った看板が並び、湯気を立てる饅頭屋や香ばしい匂いを漂わせる焼き団子の屋台が目を引く。植木屋では桔梗の鉢植えが並び、八百屋には新鮮な野菜が籠いっぱいに盛られている。通りには行き交う人々の笑い声や、呼び込みの声が溢れ、活気に満ちていた。


「ほら、あそこの店で筆と墨、それから半紙を揃えよう。」


日向は手近な店を指差しながら言った。


「護符や教科書は、もう少し先だな。霊術専門の店が集まる通りがあるから、そこで揃える。」


日向は軽い口調でそう答えながら、足を止めることなく歩き続ける。鳴はその様子を無言で見つめた。


「……あんた、本当に教師?」


ふと、鳴の口から問いがこぼれた。


「教師だとも。」


日向は振り返り、少し驚いた表情を見せたが、すぐに苦笑する。


「疑っているのか?」


日向の飄々とした態度に、鳴はわずかに眉をひそめた。


「まあ、後でちゃんと証明してやるよ。それよりも――」


日向はちらりと通りを見渡し、足を止めた。


「買い物の前に、飯でも食うか。」


「……なんで?」


鳴は少しだけ目を細め、静かに問いかける。日向の行動は相変わらず予測がつかない。何もかもが軽々しく流れていくようで、少しだけ居心地の悪さを感じていた。


「朝から歩きっぱなしだろ?腹が減ってたら、せっかくの買い物も楽しめない。」


日向はにこやかに笑いながら、視線を周囲に巡らせる。


「楽しむつもりはないけど.....。」


鳴はぽつりと答え、肩に乗る泳の毛を無意識に撫でた。


「まあまあ、付き合えよ。」


日向はそう言うと、軽く手を振るような仕草をして、通りに並ぶ店を見定めるように歩き出した。


饅頭屋の甘い香りや、焼き団子の焦げた醤油の匂いが鼻をくすぐる。通りの奥には出汁の香りが漂い、油で揚げる音が通りの喧騒に溶け込んでいる。


「こういうときは、なるべく美味そうな匂いに従うのがいい。」


軽快に話しながら、日向は一つの屋台の前で足を止め、次の瞬間にはまた別の方向を指差す。


「ほら、あそこも良さそうだな。」


鳴はそんな日向の背中を無言で見つめながら後をついていった。彼の歩調に合わせて歩いていると、日向が急に足を止めた。その視線が鋭く変わり、周囲を探るように動いている。

そして、通りの喧騒が不自然に静まり返った。ほんの数秒前まで聞こえていた人々の賑やかな声がピタリと途絶え、代わりに冷たい空気が足元を這うように広がっていく。


「……嫌な気配。」


鳴が静かに呟くと、肩に乗る泳が耳をぴんと立て、桔梗色の瞳でじっと通りの奥を見据えた。その視線を追うように鳴が顔を向ける。


薄い朝霧が立ち込める中、ゆらりと揺れる影がこちらに向かってくるのが見えた。


 一体の妖だった。

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