第4話 朝空に散る

 頭が異常に大きい。それが不安定に揺れながら、ひとつの歪な体を支えている。腰が大きく曲がり、骨のように細い手足がカタカタと音を立てるたびに、その体全体が危うげに揺れる。

血走った目は左右で大きさが異なり、こちらを見つめるたびにぎょろぎょろと忙しなく動く。そして異常に大きな口を裂けるように開き、

「ケラケラ、ケラケラ」と甲高い笑い声を響かせていた。


鳴は目の前の妖を冷めた目でじっと見つめた。まるで珍しい生き物でも観察するかのように、感情のない視線を向ける。その反応に気づいたのか、妖の笑い声が一瞬止まる。そして次の瞬間、

さらに甲高く「ケラケラ」と笑い出した。


「....きもちわる。」


「おいおい、緊張感がなさすぎるだろ。」


鳴の静かな言葉に、日向が肩越しに振り返り、苦笑した。その表情はどこか余裕があるが、足は微かに構えるように動いている。

妖はさらに笑い声を響かせながら、一歩、また一歩とこちらへ近づいてきた。その動きはぎこちなく、関節が外れるのではないかと思えるほど不自然だ。


「な、なんだ......あれ?」


近くにいた若い男が後ずさりし、手に持っていた荷物を落とした。それを皮切りに、周囲の人々がざわめき始める。


「妖だ!逃げろ!」


誰かが叫び、通りにいた人々が次々と悲鳴を上げながら四方八方に走り出す。果物を乗せた荷台がひっくり返り、色鮮やかな果実が転がっていく。商店の主人が急いで店先の戸を下ろす音が響く。誰もがその場から逃げ去ろうとしていた。

日向は動揺する周囲に目を向けることなく、妖の方をまっすぐに見据えた。そして、振り向くことなく鳴に言った。


「ここで待っていろ。」

鳴は日向をじっと見つめ、小さく息を吐いた。


「どうするつもりかな。」


鳴は小声で呟き、肩の上の泳に視線を向ける。泳は桔梗色の瞳でじっと日向の背中を見据えたまま、静かに尻尾を揺らす。


日向は妖に向かって一歩、また一歩と歩みを進める。その動きには迷いも躊躇もなく、足元の砂利が音を立てるたび、冷たい緊張が空気を支配していく。


妖はその巨体を揺らしながら、濁った瞳をぎょろぎょろと動かし、日向を見つめている。その裂けた口からは甲高い笑い声が漏れ、その声が響くたびに空気が震えるようだった。


日向は低い声で呪文を唱え始めた。


「天地の理よ、道を示せ。闇を裂き、穢れを祓う力よ、乱れし者を縛り、清き流れに戻せ。」


音が地面に染み込むように響くと、妖が突然咆哮を上げた。

頭を振り、長く不気味に曲がった腕を振り上げる。裂けた口からは唾液が飛び散り、その勢いに近くの木々の葉が揺れる。


そして、日向が懐から護符を取り出した。護符は白地に鮮やかな朱色の呪文が記されたもので、細長い形が指の間に挟まれている。


「今、汝を鎮めん――」


日向の声が力強さを増すと同時に、護符から微かに光が漏れ出し始めた。妖がそれに気づいたかのように裂けた口を大きく開き、甲高い咆哮を上げた。長い腕を振り回し、こちらに襲いかかろうとする。


しかし日向は怯むことなく、指に挟んだ護符をひらりと妖に向かって投げた。護符は空中を弧を描くように飛び、妖の額にぴたりと張り付く。


 その瞬間、護符が眩い光を放ち、妖の動きが止まった。額に張り付いた護符が強烈な力で妖を抑え込むように輝き、まるで見えない鎖で縛られているかのようにその体を固定していく。

妖は苦しげに頭を揺らし、裂けた口を大きく開閉しながら抵抗を試みるが、護符の力は次第にその動きを鈍らせていった。やがて、体全体が青白い光に包まれ、徐々に崩れていく。


日向は軽く手を払う仕草をしながら、護符の効果を確認するように妖の方をじっと見据えた。


光が完全に収まりつつあったが、妖はなおも暴れ、拘束を破ろうともがいている。裂けた口をさらに大きく開け、咆哮を上げながら、必死に動きを取り戻そうとしていた。


鳴は肩の泳を撫でながら、冷静に状況を見守っていたが、ふと静かに目を伏せるようにして息をついた。そして、ほんの小さな声で泳へ問いかける。


「……どうする?」


泳がその言葉に応えるように軽やかに肩から降りて鳴を振り返る。

鳴はその様子を見つめたあと、肩にかかる髪をそっと払いつつ、静かに前へ一歩踏み出した。


日向が呪文を唱える手を一瞬止め、振り返る。その背中を見送りながら、鳴は落ち着いた口調で続ける。


「少しだけ……。」


流れるような動きで、鳴は妖の背後に回り込んだ。腰に帯びた短刀を引き抜き、朝日に照らされた刃が虹色の光を放つ。その輝きに、妖がかすかに反応するも、次の瞬間、一閃。鳴の攻撃は正確無比で、その短刀は妖の歪んだ体を貫き、断末魔の叫びを引き起こした。


妖の叫びは次第に弱まり、その体はまるで霧が晴れるように消え去っていく。


静まり返った通りに、しばしの沈黙が訪れる。逃げ惑っていた人々がようやく物陰から顔を覗かせる中、日向が歩み寄りながら鳴に声をかけた。


「…無茶はするな。」

 

鳴は短刀を静かに鞘に収めながら、微かに眉を上げたが、すぐに目をそらし、そっけなく答える。


「……してない。」


それ以上何も言わず、泳を抱き上げ顔を背ける。日向は少しの間、鳴の横顔を見つめていたが、やがて微かに笑みを浮かべ、護符を懐にしまった。


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