第2話 選びし途

 翌朝、鳴は肩に泳を乗せ、ぼんやりとした表情で歩いていた。通りには商人たちが軒を連ね、朝市の準備に忙しく立ち働いている。木造の家々からは湯気が立ち上り、煮炊きの香りが漂っていた。冷たい朝の風が吹き抜ける中、頭の片隅にはまだ日向の言葉が引っかかっている。


「君には素質がある。それを磨くには、あの学校が最適だ。」


鳴は軽く首を振り、その思考を追い払おうとした。だが、その瞬間、視界の端に奇妙なものが飛び込んできた。


道端の茶屋の柱に雑に貼られた張り紙。大きな筆文字でこう書かれている。


『学校が君を待っている!』


鳴は立ち止まり、眉をひそめる。


「……なにこれ。」


張り紙をしばらく見つめた後、肩越しに泳をちらりと見た。


「...これ、泳がやったわけじゃないよね。」


泳が「にゃあ」と短く鳴く。それを確認した鳴は小さくため息をつき、歩き出した。だが、数歩進んだところで、今度は足元に目が行く。


『君の才能を無駄にするな!』


砂利を払うようにして地面に木の枝で書かれた文字が浮かんでいる。鳴は思わずビクッと肩を揺らした。

 

「……。」


周囲を見回すが、商人や通行人たちは誰も気づいていない。泳はその文字をじっと見ているだけだ。鳴は再び歩き出したが、足取りが少しだけ早くなる。


通りを抜け、豆腐屋の前を通ると、店の格子窓にまた新しい張り紙が貼られていた。


『本当に来ないのか?考え直せ!』


鳴は足を止め、しばらくそれを見つめる。 


「……こんなにしつこい人、初めて見た。」


眉間にしわを寄せ、張り紙を剥がす素振りを見せたが、結局そのまま通り過ぎる。だが、数メートル進んだ先の井戸の桶にも、同じような張り紙が貼られていた。


『本気で待ってる。』


「……しつこい。」


呟きながら再び歩き出すが、どんどん足取りが速くなる。泳が肩で少しバランスを崩し、「にゃあ」と鳴く。


市の中心を抜ける途中、不意に年配の女性の声が背後からかかった。


「そこのお若いの、最近、妙な出会いをしなかったかい?」


艶やかな和傘を片手に持った占い師が、街角の一角に腰掛けている。占い台の上には風車や竹細工の人形が並べられ、どことなく怪しげな雰囲気を漂わせていた。


鳴は一瞬足を止め、ちらりと視線を向ける。だが、何も言わずにすぐ歩き出した。その背中に向かって女性が声をかける。


「ふふっ、見えるよ。お前さんの未来……そこには、学校があるねえ。」


その言葉にまた少し足を止めたが、振り返ることなく再び歩き出す。


昼を過ぎた頃、鳴は街を抜けて竹林を進んでいた。木々の間から漏れる柔らかな陽光が、静寂な空間を包んでいる。歩き慣れた道を進み、最近の拠点にしている山中の古びた空き家へたどり着く。苔むした扉を開けると、床の上に見覚えのないものが置かれていた。


「……巻物?」


鳴は眉を寄せながらそれを拾い上げる。開くと、文字が浮かび上がった。


『まだ迷っているのか?君が来るなら歓迎する。明日の朝が最後の機会だ。』


その瞬間、文字が光を放ち、鳴の頭に日向の声が響いた。


「考える時間はたっぷり与えた。さあ、どうする?」


その声に鳴は肩を揺らし、巻物を慌てて閉じる。

泳が小さく鳴きながら鳴を見上げる。その黒い毛並みと桔梗色の瞳には、いつも通りの冷静さと深い知恵が宿っている。だが、その瞳には、まるで「行くべきだ」と訴えるような強い意志が込められていた。


「どうしたの、泳?」


泳は黙って鳴を見つめ、しばらくしてからまた鳴き声を上げた。鳴はその目を見つめながら、少しだけ考えた。

しばらく沈黙が続いた後、泳はふっと体を震わせ、鳴の足元にすり寄り、じっと鳴を見上げている。


「僕が行かないって言ったら、泳はどうする?」


泳は首をかしげたように見えた。その姿が、どこか寂しげに見えて、鳴の胸の奥で何かが揺れた。


「.....わかったよ。」


その言葉に、泳は少しだけ鳴き声を上げ、鳴の肩に飛び乗った。その柔らかな体の重みが、肩に伝わる。泳の姿がそこにあることが、鳴にとって何よりの安堵だった。それは泳が与えてくれる唯一無二の安心感。それが、今の鳴にとって最も大切なものだ。


「そこまで言うなら、行ってもいいよ。」


泳はその言葉に反応するように、鳴の肩に頭を押しつけてきた。その動きに目を細め、鳴は静かに歩き出した。何かを期待しているわけではない。だが、泳が望んでいることを無視することはできなかった。それが、今の自分にとって一番大切なことだ。

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