1日目 魔物の田舎

「お母さーん、ちょっと遊びに行ってきていい?」


 新居での荷解きも早々にリーリアはお母さんへ遊びに行きたいと言い出しました。細々とした荷物を取り出していたお母さんは、リーリアの言葉に荷馬車から顔を覗かせます。


「遊びにって……リーリア、自分の荷物はどうするの?」


「ちゃんと後でするから~。だからいいでしょ~?」


 おねだりをするリーリアに、お母さんは少し困った様な笑みを浮かべながらお父さんの顔を見ます。


「お父さん、リーリアがあんな事言っているのだけど、行かせて大丈夫かしら?子供一人で危なくないかしら?」


 重たそうにタンスを運んでいたお父さんはお母さんの言葉にタンスを足元に降ろすとお母さんへ振り返りました。


「大丈夫さ。この辺りは治安がとても良いからね。人間への偏見を持っている人も全くいないよ。リーリア一人でも危険は無いさ。」


 太鼓判を押すお父さんの言葉にお母さんは少し不安な様子を残しながら、


「それならいいけど……分かったわ。リーリア、出掛けてきてもいいわよ。でも、あんまり遅くならない様にね?暗くなる前には絶対に帰ってくる事!約束よ?」


 仕方なくといった様子で外出の許可を出します。お母さんの言葉にリーリアは満面の笑みを浮かべて、


「うん!絶対に遅くならないから!それじゃ、行ってきまーす!」


 勢い良く家から駆け出ました。すると、


「おや?確かリーリアちゃんだったね?遊びに行くのかい?」


 家の外にいた人物がリーリアの姿を見て声を掛けてきました。声を掛けてきたのは緑色の肌と額に小さな角が生えた小柄な魔物。一般的にゴブリンと呼ばれる種族でした。ゴブリンの名前はイルバ。この村の村長をしているお婆さんで、村に引っ越してきたリーリア達が最初に挨拶をした人物でした。


 声を掛けられたリーリアはまだ慣れない魔物の姿に少し身構えながらも、イルバの問い掛けに答えます。


「村長さん、私ちょっとこの辺りを散歩して来ようと思っていて……」


 対するイルバは緊張するリーリアの姿を気にする事も無く、優し気に目を細めてリーリアに笑い掛けてきます。


「そうかい、そうかい。それも良いかもしれないね。見ての通り変わった所も無いただの田舎村だけど、リーリアちゃんが楽しいと思える物が見つかると良いね……そうだ。この道を右にずっと進んで行くと東の丘に出るのだけど、東の丘には今の季節に綺麗な花が沢山咲いているんだよ。よかったらそっちに行ってみたらいいよ。でも、行くなら放牧中のアピス達に気を付けなよ。穏やかな連中だけど怒らせると危ないからね。」


 イルバの言葉にリーリアは首を傾げました。


「アピスってあの大きな牛ですよね?怒ると恐いんですか?」


 リーリアの言葉にイルバは頷く。


「あぁ、そうだよ。アピス達は大人しい気性をしている子が多いけど、それでも怒る時はあるさ。例えば、幼い子供のアピスなんかには近づかない方がいいね。子供が小さいと親が心配して気が立っているからね。子供が大事なのは皆同じだよ。」


「子供には近づかない……分かりました。ありがとうございます。」


 イルバに言われた事を反芻したリーリアはイルバに感謝のお辞儀をします。その仕草が微笑ましく、イルバはニコリと笑いました。


「本に良く出来た子だね。どういたしまして。気を付けて行ってきなよ。」


「はい。行ってきます。」


 もう一度イルバに礼をしてリーリアは家の前の道を右に歩いていく事にしました。目的はイルバに言われた通り東の丘です。


(魔物の国のお花か。どんなのだろう……?)


 東の丘に咲くという花をリーリアが想像していると、その頭に先程のイルバの優しそうな笑顔が浮かんできました。


(村長さん、話してみると普通の人だったなー……やっぱり、見た目で判断しちゃダメだよね。よぉーし!今度は私から挨拶するぞ!)


 イルバとの会話から自信を付けたリーリアは心の中で意気込みます。ですが、その意気込みは次に会った村人を前に、脆くも崩れ去るのでした。


ズシンッ、


 地面を震わせる様な足音と共にリーリアに大きな影が落ちました。落ちてきた陰にリーリアが見上げると、そこにはリーリアを見下ろす半人半牛の魔物の姿がありました。その姿は、魔物に詳しくないリーリアにも思い当たる物でした。


(ミノタウロス!確かダンジョンの奥で人を待ち構えて襲う恐い魔物って書かれていた……!)


 突然のミノタウロスとの出会いにリーリアの身体が緊張で固まります。一方、ミノタウロスは困った様にオーバーオールから出した手で自分の頭を掻くと、


「あぁん?何で人間の子供がこんな所に居やがるんだ?」


 粗野な口調で首を傾げます。そして、しゃがみ込んでリーリアと目線を合わせると、


「おい、嬢ちゃん。お前さん、何処から来た?」


 リーリアに尋ねました。ですが、リーリアの頭の中は既にパニック状態で、


「あっ……!あの!?その!?わっ、私……!?」


 ちゃんとした事を何も言えません。リーリアの様子を見て心配になったミノタウロスは、


「おいおい……大丈夫か?何処か体の調子でも悪いんじゃ……?」


 リーリアの体調を確認しようと手を伸ばしました。でもそれが、リーリアの恐怖を更に大きくしてしまいました。


「ヒッ……!?大丈夫です!失礼しました!」


 慌ててミノタウロスに答えると、リーリアは一目散に逃げだしました。あっという間に小さくなっていくリーリアの姿を見ながら、


「一体何だったんだ……?」


 突き出した手を所在無さげにするミノタウロスでした。


……


 ミノタウロスから逃げ出したリーリアはそのまま走り続けていましたが、やがて疲れて立ち止まりました。


「ハァッ、ハァッ、ハァッ……あー恐かったー。あんな大きな魔物も村に住んでいるんだ……やっぱり魔物ってちょっと恐いかも……って?」


 少し落ち着きを取り戻したリーリアが辺りを見渡すと、いつの間にか自分が草が生い茂る丘にいる事に気付きました。リーリアは周りを見ますが、目に見えるのは草と丘ばかりです。


「あれ?ここどこだろう?丘がいっぱいあるから来た時に通った所?でも来た時に通った道が無いし……でも私って東に向かって歩いていたから村の東かな……?いや、さっき逃げる時に結構いろんな方向に走った気がするから違うかも……えー、どうしよう……!あっ!そうだ!元来た方に帰ればいいんだ。きっと振り返ったら村が見えるはず……」


 そう言って振り返るリーリアでしたが、


「嘘……丘しか見えない……!」


 目に映ったのはただひたすら丘ばかりが続く光景でした。


「えっ……?私……こんな所で迷子?もう二度と帰れない……?」


 見知らぬ場所で迷った事に気付いたリーリアはこの世の終わりの様な顔で呟きました。


「うっ……うぅっ……!」


 リーリアの心に不安が恐怖が押し寄せ、瞳からは涙が零れそうになります。その時でした。


「マーモノ、マーモノ。ナーマモノ、マモノ。」


 何処からか、楽し気な歌声が聞こえてきたのでした。

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