第5話 自己啓発の光と影

 凛とともに廃墟となった街を歩き続ける颯太は、心の奥底でくすぶる疑問を抱えたままだった。信じる力、火種、種を蒔く――凛の言葉はどれも抽象的で、どこか現実感に欠けていたからだ。


 そんなある日、彼らはとある広場にたどり着いた。かつて賑やかな商店街だったその場所は瓦礫に覆われ、どこか静まり返った空気が漂っている。


 その中心に、一人の青年がいた。見た目は颯太と同じくらいの年齢で、ボロボロの服をまといながらも、何かに没頭しているようだった。彼の周囲には、色褪せた自己啓発の本が散らばり、幾つかのポスターが貼られていた。


 「君は…何をしているんだ?」


 颯太が声をかけると、青年は驚いたように振り向いた。


 「俺は拓海。ここで自分を鍛えてるんだよ。」




 「鍛える?」


 颯太が問い返すと、拓海は満面の笑みを浮かべ、本の一冊を手に取った。それは擦り切れた表紙の『自己を変える100の方法』というタイトルだった。


 「そうさ。この本に書いてあることを実践すれば、どんな状況でも自分を変えられるって信じてるんだ。」


 拓海はそう言って胸を張る。しかし、その姿にはどこか無理をしているような印象を受けた。


 「例えば、この本にはこう書いてある。『毎朝ポジティブな言葉を100回唱えれば、幸運が訪れる』ってね。だから、俺は毎朝唱えてるんだ。」


 そう言うと、拓海はその場で深呼吸し、両手を空に向けて「俺はできる!俺はできる!」と繰り返し始めた。その姿を見て、颯太は戸惑いを隠せなかった。


 「こんな状況で、何をやってるんだ…?」


 颯太の呟きに、凛が小声で答える。


 「彼はきっと、何かにすがりたくて必死なんだと思う。」




 拓海と話をするうちに、颯太は彼が抱える闇を垣間見ることになる。


 「俺は、震災で家族も友達も失ったんだ。何もかもが壊れて、自分も壊れそうだった。」


 拓海はかつての生活が一瞬で崩れ去ったことを語った。その中で彼を支えたのが、自己啓発書だったという。


 「でもな、それを読んでると、何かが変わる気がしたんだ。自分にはまだ希望があるって。」


 彼の言葉には力強さがあったが、その瞳の奥には、どこか不安と焦燥が滲んでいた。


 「だけど、本の通りにやっても、全てがうまくいくわけじゃない。結局、俺はまた自分を責めるんだ。足りないのは努力だって。」


 拓海は拳を握りしめた。その姿に、颯太は自分の過去を重ねてしまう。




 「努力だけでは救われない時もある。」


 凛が静かに口を開いた。その言葉に、拓海は驚いたように彼女を見つめる。


 「努力が無駄だって言うのか?」


 「そうじゃないわ。ただ、努力だけに頼ると、自分を追い詰めてしまうこともある。」


 凛はそう言いながら、拓海の前にしゃがみ込んで、優しく彼の肩に手を置いた。


 「大切なのは、努力だけじゃなくて、自分自身を認めること。そして、誰かに助けを求める勇気も必要よ。」


 「助けを…求める?」


 拓海の声はかすかに震えていた。それを聞いた颯太は、彼女の言葉が自分にも向けられているように感じた。




 その夜、颯太は一人、教会の外に座って星空を見上げていた。凛が語った言葉が、頭の中で繰り返される。


 「努力だけじゃなくて、誰かに助けを求める勇気も必要…か。」


 彼はこれまで、誰かを信じることを避けてきた。それが弱さだと思っていたからだ。しかし、拓海の姿を見て、自分もまた同じように迷い、苦しんでいることに気づいてしまった。


 「俺も、何かを信じるべきなのか…?」


 颯太の心の中に、小さな種が蒔かれようとしていた。それは、凛が語る「信じる力」の種だった。

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