第4話 信じる力の種

 教会の中に微かに響く祈りの声と、暖かいランプの灯りに包まれた空間。

 颯太は椅子に座りながら、目の前で忙しそうに動き回る天音凛をぼんやりと眺めていた。彼女の動きには不思議なリズムがあり、その中には一片の躊躇も感じられない。


 「これを持って行って。」

 「怪我の手当てはあっちで。」


 彼女は次々と指示を出しながら、周囲の人々の世話をしている。その表情はどこか楽しげですらあった。


 「なぜ、こんな状況でそこまで動けるんだ…」


 呟くように漏らした言葉を、凛は聞き逃さなかった。彼女はふと手を止め、颯太のほうに歩み寄る。


 「ねえ、君は何を信じて生きてるの?」


 突然の問いに、颯太は困惑した顔を見せた。


 「信じる?…そんなもの、特にないよ。」


 「本当に?」


 凛の瞳は颯太を見透かすように真っ直ぐだった。その眼差しに耐えられず、彼は視線を逸らした。




 「信じるとか、そんな非現実的なことを言われても、正直どうでもいいんだ。」


 颯太は苛立ち混じりに答えた。彼の中では、信仰やスピリチュアルなものは非論理的であり、どれだけ追い詰められても頼りたくない領域だった。


 「信じることなんて何の役にも立たない。必要なのは現実的な解決策だろ?」


 凛は少し微笑むと、椅子に腰を下ろし、静かな口調で語り始めた。


 「現実的な解決策ね…。確かにそれも必要よ。でも、今の君にはもっと大切なものが欠けていると思うの。」


 「何だって言うんだよ。それは。」


 「それは…信じる力。」


 颯太は呆れたように眉を上げる。


 「だから、そんな抽象的なものを持ち出されても困るんだ。信じたって何かが変わるわけじゃない。」


 「そうね。信じるだけで全てが解決するわけじゃない。」


 凛の言葉に一瞬、彼は言葉を失う。しかし、次の瞬間、凛は微笑みながらこう続けた。


 「でも、信じることは、変化を始めるきっかけにはなるのよ。」




 「例えばね。」


 凛は教会の片隅にある古びたランプを指差した。


 「あのランプの火をつけるには、最初に火種が必要でしょう?信じる力って、その火種みたいなものなの。」


 「火種?」


 「そう。どんなに小さくてもいい。ただ、それがないと光は生まれないし、周りを照らすこともできない。信じる力も同じ。自分が何かを成し遂げられると信じる心がないと、何も始まらない。」


 颯太はランプを見つめながら考え込んだ。しかし、すぐに首を振る。


 「でも、そんなの綺麗事だろ。信じてるだけで火がつくわけじゃない。」


 凛は微笑みを浮かべながら首を傾げた。


 「確かにね。でも、君は今、火をつけることすら諦めてるように見えるわ。」


 その言葉は、颯太の胸に鋭く刺さった。




 「じゃあ聞くけど、君がこれからどうすればいいのか、考えているの?」


 凛の問いに、颯太は答えられなかった。彼は未来のことを考える余裕など持てていなかったのだ。


 「君が信じるかどうかは自由。でも、何か一つ、自分が進むための道標を見つけてみて。それが『信じる力』の種になるから。」


 「種…?」


 「そう。今は小さな種かもしれないけど、いずれ大きな力に育つかもしれない。だからまずは、蒔いてみることが大事なの。」


 颯太は答えられず、ただ彼女の言葉を反芻する。信じる力の種――それが彼に何をもたらすのか、この時点ではまだ理解できなかった。




 その夜、颯太は教会の片隅で目を閉じていた。

 凛の言葉が頭の中を巡る。「信じる力」「火種」「種を蒔く」――彼にとってはまだ曖昧な概念だったが、その一つ一つが妙に心に引っかかっていた。


 「俺にだって、そんな力があるんだろうか…」


 呟いたその声は、彼自身に向けた問いだった。そして、それが彼の中で新たな何かを目覚めさせる始まりになろうとしていた。

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