第10話

 山田五郎夫婦の首つり事件が発見されたのは、十二月二十日の九時頃であった。死亡推定時刻は、八時間~十三時間くらい前だろうとのことだったので、十九日の午後十時~二十日の午前一時の間であろう。

 通報したのは、隣組の住人だった。発見者は西中トミ子。山田家からの距離は、歩いて十分くらいである。トミ子は回覧板を持って、山田五郎宅を訪れた際に変事に気が付いたのである。

 トミ子は山田家の玄関の格子戸を開け、いつもの様に家の中に向かって

「山田さ~ん回覧板です」と声を掛けたが、何も返事が無かった。いつもだと必ずご主人の五郎さんか、奥さんの妙子さんのどちらかが、

「はあ~い。今行きます」と応えて出て来るのだが、それがこの日はなかった。彼女の家と山田家とは、互いに隣同志で気安い仲だったので、トミ子は勝手に、玄関から入って、回覧板を置いて帰ろうと思って、一瞬、部屋の中を覗いたのである。

 手前に六畳間があり、奥の座敷の八畳間とは、太い木で造られた鴨居かもいで仕切られている。鴨居と天井との間は10センチほどの隙間があった。その鴨居に夫婦がぶら下がっているのが目に入ったのである。ロープを鴨居に掛け、その両端を首輪の様に、それぞれの頸にぐるぐると二重に巻き付けて、端っこを固く結んでいた。

 ロープは、黒と黄色の縞模様のトラロ-プであった。立ち入り禁止の区域などに使用する強靭なロープである。ふたりがぶら下がっていた鴨居は、大人二人の体重でも、しっかりと持ちこたえて、しなったりしていなかった。

 トミ子は驚愕した。「えっ!」と叫んで、その場にへたり込んでしまった。足が、がくがく震えて止まらなかった。血の気が引いた。それでも何とか立ち上がって、自宅まで帰ってきたのである。そして、亭主の四郎に

「お父さん、け、警察に電話!」四郎は真っ青な顔で息せききって、喘ぎながら叫んでいる女房の顔を見て、走り寄って来た。トミ子から事情を聞いた彼は、家の中に駆け込んで警察に電話したのだった。二十分後に、直方署の制服の警察官と刑事が駆け付けて来た。検視官も同行していた。首を吊った男は黄色の作務衣で、女の方は白地に赤のラインが縦に入ったパジャマを着ていた。トラロ-プは9ミリの物で強靭なロ-プであった。

 トミ子は発見当時の状況を詳しく刑事から訊かれたのである。彼女は怯えた顔で、見たままの事をすべて話した。そして、最後に疑問に思った事を一つだけ刑事に喋ったのである。それは、首を吊った山田五郎の母親のマツコが居ない事だった。

 刑事の山本はトミ子に

「母親はいつも家に居たのですか?」と訊いて来た。

「はい。居たはずなのですがねえ。認知症があって、五郎さんが、いつも見張っていて、面倒を看ていましたから」

 山本刑事は不審に思って、さらにトミ子に訊いたのだった。

「あなたがマツコさんを最後に見たの何時頃いつごろでしたか?」

「それが、最近見て無いのですよ。一ヶ月前に五郎さんに訊いたら、病院に入院していると言われました」とトミ子は応えた。彼女が、マツコを最後に見たのは、半年くらい前の四月の初めであった。その日は日曜日だったので、トミ子は孫娘を連れて、神社にお参りに行ったのである。小学三年生の孫娘の早苗は、農道の左側の山の中腹に建っている神社がお気に入りだった。110段ある階段を昇って行くと急に平地が開けて、神社が出現するのである。その光景の変化が彼女は好きだったのである。

 神社の御神木の木々の間からは、集落が一望できたのである。それで、祖母の家に遊びに来た時には、良く二人でお参りに行くのであった。早苗は宗像市に両親と三人で住んでいた。月に二回くらいの頻度で、土曜日から日曜日に掛けて、宮若の祖母の家に泊まりに来ていたのだった。そして、日曜日の朝は(バアバ)のトミ子との神社参りを楽しみにしていたのである。

 トミ子は、この時に、五郎が母親のマツコの手を取って、散歩しているのに出会ったのだった。トミ子が

「おはようございます。散歩ですか?」と声をかけたら、五郎は

「はい。そうです。おふくろにも健康の為に、運動させてあげないとですね」と微笑みながら応えたのだった。

 早苗がマツコに向かって「おばあちゃま。おはようございます」と、にこにこして挨拶すると「まあ、まあ。お嬢ちゃん。お早う!」と応えたそうである。

 その時のマツコは、大層機嫌が良さそうで、にこにこしていたと云うのであった。

 その後、いつ入院したのであろうか?と、トミ子は疑問に思ったのである。

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