第7話

 解体工事は七月十日から始まった。業者の見積もりでは、一ヶ月で終わるとの事であった。費用は二百万円という事だった。役場からの補助金は、申請が通れば五十万円出るらしい。解体工事は行橋市の業者に依頼した。

 初日の打ち合わせに立ち会うために、道子は一日有給を貰って休んだ。そして、更地にする際に、表の井戸も裏の井戸も完全に埋めて貰う様に頼んだのである。その為に少し、費用が上乗せになった。

 道子にとっては、この一か月間は毎日、気が気では無かったのである。毎日、戦々恐々として過ごしていたのだった。そんななかで、彼女は、あの親切な山田五郎夫婦の事を思い出したのだった。あの後、行く機会が無かった。道に散らばったガラス片は、綺麗に取り除かれていたのは、当日の帰り道で確認出来ていたのだった。本当に有難かった。

 彼女は解体工事が始まった六日後の日曜日に、【銘菓ひよこ饅頭】を手土産にして、山田家を訪ねたのである。石に車をぶつけた橋から、脇道に入った農道を北に歩いていくと、直ぐに家は見つかったのである。大きな立派な二階建ての和風建築の家であった。表札を確認すると、山田五郎と書かれていた。間違いない。道子が

「こんにちわ」と玄関口から奥に向かって声を掛けると、家の中から

「はあい」と女性が応えて、玄関のガラス戸を開けて見覚えのある奥様が出てきた。

「先日、お世話になった柳井です。その節はどうもありがとうございました」と頭を下げると、咄嗟とっさにはわからずにいぶかし気に道子の顔を見つめていたのである。

「あのう、石に車をぶつけた柳井です」と云うと思い出された様であった。

「ああ、あの時の方ですね」と笑顔に変わったのだった。

「あの時は急いでいましたので、大変ご迷惑をお掛けしました」

「いえいえ、そんな。わざわざお礼なんて良かったのに」と恐縮していた。

 道子はひよこ饅頭の菓子折りを渡しながら

「静かで、いい所ですね」と羨ましそうに周りを見回していた。そこへご主人の山田五郎さんが出て来られた。二人の話声と話の内容で、訪問者が誰かと分かったらしい。道子は会釈して頭を下げたのである。

「やあ、こんにちわ。あの日は遅刻しなかったですか?」

「ええ、お陰様で、しっかりと間に合いました」

「それは良かった。どうぞお茶でも飲んで行ってください」と玄関の横の縁側に案内された。無碍むげに断るのも失礼だと思って、道子は、くぐり戸を抜けて縁側に腰かけたのである。

「今日はお仕事はお休みなのですか?」と盆に急須と湯飲みを載せて、奥様が縁側の障子を開けて、出て来られた。縁側の奥は座敷の様であった。

 お茶請けに羊羹ようかんが出された。お茶を頂きながら、道子は

「この家にお二人で住まわれていらっしゃるのですか?」と訊ねてみたのである。

「いえ、三月までは、長男夫婦と孫が一人居まして、五人家族だったのですが、この春の転勤で、大阪の方へ異動になりましてね。今は家内と私のふたりだけです」と五郎さんは寂しそうに応えたのだった。

「それはお寂しくなりましたね」

「そうなんですよ。よかったら柳井さんも時々遊びにおいで下さい」と言われたのだった。道子は長くなりそうだったので、早々に話を切り上げて、もう一度お礼を言って引き揚げて来たのである。

 道子が帰った後で、山田五郎はつぶやいたのだった。

『あの女は何か引っかかる⁉』五郎は道子に、家族について一つだけうそをついたのである。彼には、今年八十三歳になると云う母親が居たのである。だから本当は三月までは六人家族だったのである。

 マツコは認知症を発症していた。初めは老健施設に預けていたのであるが、夜中に徘徊するし、奇声を大声で発するので、家に帰されたのである。しかし、家でも徘徊と奇声は変わらず、夜中に外に出て、ウロウロするようになったのである。近所迷惑を考えて、次には、精神病院に入院させたのである。しかし、ここでは自殺未遂を起し、再び自宅に戻されたのだった。

 精神病院からは、興奮した時に落ち着かせるために、鎮静剤は貰っていた。でも、薬が効いている間は、おとなしいのであるが、くすりの効果が減退すると、元の木阿弥もくあみであったのである。


 それは、道子と山田夫婦が初めて会った日の前日の夜中のことである。

 金曜日の夜から土曜日の朝にかけての時間帯の事であった。

 山田夫婦は、マツコの介護と看護で、心身共にクタクタであった。そして、二人はその夜に、遂に決意したのであった。

 マツコが例によっていつもの様に騒ぎ始めたので、オレンジジュースを与えたのである。彼女は大のオレンジジュース好きであった。オレンジジュースを飲んでいる時は、にこにこして、嬉しそうに飲むのだった。息子夫婦は、ジュ-スの中に、一週間分の鎮静剤を混ぜ込んだのである。すると、三十分後くらいから、うつらうつらし始めて、パタッと倒れ込んで眠ってしまったのである。そして、ごうごうといびきをかき始めたのだった。

 五郎はマツコを抱えて車に乗せた。自宅から農道を通り抜け、県道に出て、宗像方面に走った。道の両側は背の高い木々が鬱蒼と茂っていた。

 車を止めて、辺りを見回した。何も見当たらず、ましてや人の気配などは全く無かった。なにせ、夜中の二時過ぎである。森はシーンとしていた。

 五郎は、マツコを抱き抱えて、車から出し、道路の中央にそっと横たえたのである。彼は、再度辺りを見回して、母親をそのまま、道路のアスファルト舗装の上に置き去りにして、自宅に帰ってきたのである。

 息子夫婦は、一睡もせずに、時間の経過を待ったのである。時間は、刻々とすぎて、午前八時になった。しかし、何も事件は発生しなかったのである。サイレンの音も全くしなかった。ひき逃げ事件のニュ-スもテレビでは放映していなかった。

 息子夫婦は気になって、現場を車で見に行ったのである。

 現場には母親の姿は無かった。車は時々、両方向に現場を通り抜けて走り去っていく。普段と変わらないの県道であった。

 夫婦は、母親は、一体どこに消えたのだろうと不思議に思いながら家に帰って来たのだった。


 築上町の道子の夫の実家の解体工事は、当初の予定よりも早く終了して、七月中に完了することになった。最終日の七月三十日に完了確認の為に、道子は立ち合いにいく事になった。この日は幸いにも日曜日だった 。現地で午前十時に待ち合わせることにしたのである。

 現地には九時半に着いた。解体工事業者の代表の田辺さんと、作業員の人達が六人程既に待機していた。道子は田辺さんに

「お世話になりました。何か問題はありませんでしたでしょうか?」と訊ねてみた。

「いえ、特に問題はありませんでした」との答えであった。重機を使っての作業だったので、庭木も、作業しやすい様に、殆ど切り倒されていた。表と裏の井戸も完全に埋められていた。敷石も全て取り払われ、敷地の端の方にまとめて積み上げられていた。宅地は平坦な更地に変化していたのである。木々もすべて運び去られていた。

 道子は一通り田辺さんの説明を聞いて、現場を見て廻って納得したのである。

「綺麗に撤去していただいてありがとうございました。」とお礼を言って

「一週間以内に指定の口座に、工事代金は振り込まさせて頂きます」と約束したのだった。田辺さんたちは、

「有難うございます。それではこれで失礼します」

 そう言って全員が頭を下げて、トラックと重機を連ねて帰っていったのだった。

 道子は更地に一人立って、身体をくるっと一回りさせて360度を見渡した。見晴らしの良い、初めて見る景色だった。

『やっと終わった!』と大きく深呼吸したのである。

 認知症の老人だったのか?さらに、死因は車に跳ねられたのが原因だったのか?なぜ、外傷はなかったのか?また、頸動脈に触れた時、抱き抱えて車の後部座席に寝かせた時に、体温が感じられなかったのは何故なぜだったのだろう?事故直後であれば、まだ、身体にぬくもりがあるのではないだろうか?もしかして、事故より前に既に死んでいたのではなかったのか?今になって、次々に疑問が浮かんでくるのだった。


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