第6話

 築上町一帯の田植えは毎年、六月の上旬から中旬にかけてだった。

 今年も田植えの時期が迫っていた。健司の本家筋の従兄弟いとこや親戚には、今でも農業を続けている家が五、六軒あった。彼らの殆どが勤め人で、兼業農家であった。でも、春の田植えと秋の収穫期には、各家が共同して、農作業をするのが慣例となっていたのである。

 それは、本家を中心に結束して、柳井家一族を盛り立てていく伝統であったのである。そして、道子は毎年、農作業が一段落した時に、生きの良い魚介類の注文を受けて、持っていくのが恒例行事となっていたのだった。親戚中が本家に集まって、田植え作業の労をねぎらい、豊作を祈る会であったのである。

 今年も、本家の長男である柳井一郎さんから、いつもの様に道子に注文が入っていたのだった。会の催しは、今度の日曜日の六月十五日だった。市場の高橋主任も、例年のことなので、心得ていて、生きのよい魚介類を競り落として呉れていたのだった。

 キス、トビウオ、マアジ、イサキ、ホタテ貝、オオアサリ、サザエ、剣先いか、マダコ、海老、蟹などの旬の物を持っていく事になったのである。道子は、これらをさばいて刺身のお造りを造ったりして手伝い、柳井一族の女房たちは、煮炊きや盛り付けを手伝うのであった。

 道子は十五日の朝、いつもより三十分早く起きて、自宅を出発した。倉庫のポリペ-ルは、昨日の夕方、正一とふたりで車の中に積んでいた。正一には

「保管していた大切な荷物を明日、市場に持っていくから車に積むのを手伝って!」と頼んだのである。

「ああ、市場の倉庫が空いたんだね」と何の不審も感じていなかった。

 これで、準備は出来た。後は市場で魚介類を積み込んで築上町に運ぶだけであった。築上町に、この時期魚介類を運ぶのは、毎年の恒例行事なので、母の咲子も息子の正一も

「ご苦労様。一郎さんによろしくね」

「一郎おじちゃんに、また、ホークスの試合、観に行こうと言っといて!」と、それぞれふたりから、メッセ-ジを託されたのだった。

 道子は市場に着くと、バケツで何度も氷を運んで、ペールの中に入れ込んだ。そして、その上に、持っていく魚介類の入った発泡スチロールを載せて、更に上から氷を撒いて、ペールの蓋を閉めた。死体は、まだ、腐乱してはいなかった。異臭もしなかった。事故から今日は八日目である。毎日の氷の補充で、腐敗は乗り越えたようであった。季節も真夏でなくて幸いであった。

 築上町には十時過ぎに着いた。田植え作業はこの日が最終日との事だった。

 道子は本家の一郎に挨拶した。

「お義兄にいさん。ご無沙汰しております」

「やあ、みっちゃん。今年もよろしく」と笑顔が帰って来た。道子は

「今度、家を解体しょうと思っていますので、ちょっと現場を見てきます」と伝えて、健司の実家に車で向かう事にしたのである。

「ああ、遂に解体すると決心したね。うちには夕方までに来てもらえばいいから」と言って、一郎は田圃に戻って行った。

 本家から夫の実家までは、車で二十分ほどの距離であった。道子は朽ち果てた夫の実家をしげしげと眺めていた。十年間も無人で放っておくと、こんなにもボロボロになるのだと寂しく切なかった。

 正一を連れて、泊りがけで、家族三人で夏休みに何度か来たことがあった。道子は家の裏側を流れている山田川のせせらぎの音を聴きながら、この家で寝るのが好きだった。いまや、あの時の面影は目の前の廃屋には無かった。寂寥感せきりょうかんで涙が出てきた。

 気持ちを取り直して、表の井戸を見に行った。石垣で丸く囲まれた井戸の縁は、苔むしていた。井戸の中は薄暗かった。水が溜まっている。彼女は、車を井戸のそばに持ってきた。そして、ペールを車から引きずり下ろした。かなり重かったが、渾身の力を込めて、どうにか地面に下ろすことが出来たのである。そして、用意してきた三十五リットル用のペールを横に置き、七十五リットル用の方の蓋を開けた。氷はまだ、余り溶けて無く多量にあった。上に載っている氷を三十五リットルのペールに移して、魚介類の入った発泡スチロールのケースをその上に入れたのである。さらに、入るだけの氷を上からばらまいて蓋をした。

 次に七十五リットル用のペールをひきずって、井戸の縁迄持ってきた。そして中に入っている黒のごみ袋の結び目を両手で持って引揚げたのである。折曲がった老女の形が見えた。重くは無かった。それを井戸の中に投げ込んだのである。

 下の方でパシャと水の跳ねる音がした。これで死体は井戸の中に納まった。

 道子は、そのあたりに散らばっている朽ちた木々や落ち葉を集めて、井戸の中に投げ入れた。井戸の近くにあった、小石や煉瓦のかけらも投げ込んだ。さらに、裏の河原にあった大きめの石も十数個、車で運んで投げ込んだのである。最後に廃屋の中にあった雑多なガラクタも放り込んだ。

 これで、井戸の深さの七分目あたりまでが埋まったのである。空になった七十五リットル用のペールは朽ちた納屋の中に置いて来た。納屋の放置品に見せる為だった。

 これで、昨夜、彼女が立てた計画は一応完了した。残りの最後の仕上げは解体工事にゆだねる事にしたのだった。この家の周囲には民家は無かったのである。ポツンと山田川の河原の前に立っていたのだった。山田川を背にした野中の一軒家みたいなロケーションだった。それは、昔の柳井家が新宅として、原野を整地して建てた当時では、斬新な建物だったとの事であった。


 柳井家の宴会は、十八時から始まった。

 道子は魚を捌き、女房達は料理を造り、酒の準備に忙しく立ち回っていた。準備も一段落して、女房達も道子も座に座って会に参加した。本家の長男の一郎が、道子に話しかけてきた。

「みっちゃん。いくつになったね?」

「もう、五十二です」

「そうか。五十を過ぎたか!健司が亡くなったのは何歳だったかね?」

「三十七歳でした。もう十五年にななります」

「うん、あいつも若死にしたねえ」

「本当に急でしたから!」

「あの当時、大学まで行ったのは柳井家では、あいつだけやったけねえ。百姓ば嫌って、結局は魚屋になって死んでしまいよった。ところで、息子はどげんしよるね?」

「今、高校三年生で、野球部に入っています」

「大学に行かせるとね?」

「いえ、本人は自動車メーカーに行きたいと言っています。うちの経済状態では、とても大学にはやれません。本人もそれは充分に承知しているようです」

「ほう、それは健司より偉いたい。健司を大学に行かせるのに親父さんは、大層苦労したけんな」

「そうでしたか!」道子は初めて聞くはなしであった。そして、続けた

「母が、義兄さんによろしくといっていました。それから息子の正一が、また、野球を観に行きましょうと伝えてくれとの事でした」一郎は、うん、うんと頷いていた。

 一郎は立ち上がった。

「皆さん。今回もみっちゃんのお陰で、結構な会ができました。ここで、みっちゃんに感謝して拍手!」と叫んで、全員に拍手を促したのだった。全員の大きな拍手が会場に響いた。道子は立ち上がって頭を下げた。そして、

「皆さん。今日は田植えでお疲れさまでした。実はこの度、家を解体することに決めました。役場からの要請もあり、補助金も出るそうなので来月に解体工事を実施します。その時は何かとお世話になるかと思いますので、よろしく御願いします」と挨拶をしたのである。

 会は二十二時にお開きとなった。道子は例年通りに本家に泊めて貰って、翌朝の四時に職場の魚市場に向かって出勤したのだった。

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