概要
ヘルマン・ヘッセと文通した作家のはなし
ヘルマン・ヘッセといえば、中学校の国語の授業でその作品を読んだ人が多いだろう。
かつて日本の広島県に、なんと、そのヘッセと文通を通してその声を聴いた人物がいた。
その人の名は、四反田五郎。彼もまた、作家であった。
あるネット掲示板では、結ばれない恋愛を描いた作品のおすすめとして、
松本清張「波の塔」
横溝正史「獄門島」
にならび、
四反田五郎「純愛」
が紹介されている。
その作品には確かに、読むものが読めばヘッセの息吹が感じられるという。
それもそのはず、彼はヘッセの晩年の十数年間、ヘッセと文通をしていたのである。
なお、この作品群を公開する私は、1993年、四反田五郎の公演を拝聴した。
彼との邂逅はわずかその1日であった。
ヘルマン・ヘッセ 四反田五郎
彼らは確かに大文豪といわれるだ
かつて日本の広島県に、なんと、そのヘッセと文通を通してその声を聴いた人物がいた。
その人の名は、四反田五郎。彼もまた、作家であった。
あるネット掲示板では、結ばれない恋愛を描いた作品のおすすめとして、
松本清張「波の塔」
横溝正史「獄門島」
にならび、
四反田五郎「純愛」
が紹介されている。
その作品には確かに、読むものが読めばヘッセの息吹が感じられるという。
それもそのはず、彼はヘッセの晩年の十数年間、ヘッセと文通をしていたのである。
なお、この作品群を公開する私は、1993年、四反田五郎の公演を拝聴した。
彼との邂逅はわずかその1日であった。
ヘルマン・ヘッセ 四反田五郎
彼らは確かに大文豪といわれるだ
おすすめレビュー
新着おすすめレビュー
- ★★★ Excellent!!!SNSのない時代、手紙から始まる交流が絆を繋ぐ。
私がヘルマン・ヘッセを読んだのは『車輪の下』からである。晩年の氏が日本人とドイツ語の手紙で交流していたこと、その作家が書簡体の小説を発表し、亡くなられたヘッセに捧げたこと、その小説が評判となり、熱狂的な読者が多数のファンレターを寄せたことも全く知らなかった。かつて作家と一度だけ会ったことのある筆者は、作家が作品に込めた思いを考えていく。
時代こそ違え、現在ではSNSやカクヨムなどの小説投稿サイトで作者と読者の交流は続いている。たとえ文豪と言われる作家でも、後の世には忘れ去られそうな作家でも、読者に何かを残すことができた作家は幸せなのだと、しみじみ思う。