第二章 知恵なき獣

 自分の死にざまが見えたなら、人はなにを思うのだろう。

 卒業証書を受け取るやつらが流れていく。それを仰ぎ見て思った。

 こういう風に、人は手続きのなかでしか存在を担保されないのか。死亡証明書で確認された死はだれに悲しまれるのだろう。わたしみたく天涯孤独が約束された人間は、市役所の中でしか確認できないものになるのか。

 首が痛くなってうつむいた。

 華々しい門出というのに、この量産物が放たれる社会にどれだけの余命があるか含めたら、特攻兵を送ってる気分だ。

 帰路について街路を横目にする。


「壊れたならまた買ってあげるから」


 腕の糸がほつれたくまさん人形。それだけでゴミ袋にポイだ。


「じゃあ会社辞めるの?」

「いやなんかもっと成長できると思うからさ」


 勤め先も手軽に切り替えられるものになったらしい。仕立てのいい服や化粧、あか抜けた感じはそれなりに充実した人生なのだろう。その向こうに、地面をぼうっとみつめてタバコ吹かす中年を見れば、苦労がにじんだ日常を感じる。

 まるで働くために生きてるようで、とことん消費財じみた運用をされているのかもしれない。


「差別化って露骨だなあ」


 青空を見上げてつぶやく。ここまで絶望的な世界でも、かわらずそこにある。なんなら、もっとも残酷に感じるのはこの変わらなさだろう。自然は人に配慮しない。

 あらためて確認すればうろたえる人は多いのではなかろうか。

 森林公園に入り、生津乃図書館の扉をくぐった。


「あら、相原ちゃんめずらしなあ」

「吉原さん、ご無沙汰です。今日は歴史学における政治形態と統治安定性の相関を測るために比較資料探しに来たんですけど、いいのありますかね」

「そやねえ、こっちゃおいで」

「はい」


 眼鏡の婆さんについていく。埃かぶったこの図書館の最後の管理人と言ったところで、あと何年持つやら。惜しいものだ。

 

「にしても若いのに熱心ねえ。相原ちゃんみたく記述の誘導を嫌う子なんて、もう半世紀は見てないよ」

「情報の隠匿より厄介ですからね、いちいち記述者の省略した前提を精査しながら読むの、大変なんですから」


 おすすめの古本をいくつか抱え、調べに入る。吉原さんも隣に腰を下ろした。


「どの国家も、崩壊手前になるとお上が硬直したり快楽主義に浸って機能しなくなりますからね。かえって底辺は餓死や政治的不満、国家への所属からの脱却を宣言とも」


 ぺらぺらめくって読みふける。

 ソドムとゴモラの話にもあるように、寓話化される程度には国の衰退がはっきり認識共有されている。ほんとうに軽い兆候のほどとしてはわかりやすい。


「とはいえ快楽主義が蔓延したら、内部の機能監査性がマヒしちゃいますからね」

「おそろしなあ、相原ちゃんそれがどういうことかわかってんのやろ?」

「はい。現代社会はまさに堕ちた都市の拡大社会バージョンですから。ぼとむあっぷ? なんて制度が強化されたり、快楽の素材となるものが多かったり、制度的な複雑性がその単純さを覆い隠してしまったり」


 技術の発展が良くも悪くも、限界を認識させない霧になっている。

 

「巻き込まれる側なんだよ? おまえさんは。その分なら対処の仕方も、どんくらいそれが不可能かも承知してんやろ?」


 手を止めて嘆息する。


「ええ、社会は自己保存をやめた。そう結論づけられます。覆すにはまともな手段では遅すぎるし、必要を評価して実行するための職責を負うポストが、機能してないことも……でも、でもやめられないんです」


 他人の知りにぬぐいなんて死んでも嫌だ。地球の裏側の無知のせいで死ぬのもごめんだ。避けがたいものを直視しても、絶望すらできないんだからわたしが憎い。

 文字列に目を走らせて分析を積んでいく。


「頭でも体でもわかってるんです。でもわたしの本能はまだあきらめていない。きっと最後までしぶとく社会を維持しようとする。はあ、まったくもって忌々しいことです」

「……憎くないのかい。あたしらが」

「もちろん、死ねばいいと思う程度には合理性もくそもない拡張をやってくれましたけど、こうやって話の一つもできる程度に人材が残ってると思えばこそ、溜飲も下がります」


 まあ消えるわけじゃないけど。

 からから笑って次の資料を開く。

 

「生きるのは不可逆です。成長もそうです。なら、消費だって例外じゃないことくらいわかってるでしょうに」

「そうやって与えられたもんに時制をもちこもうとすることも、怖いことなんだよ。あたしらにはね。だから見たくないのさ」

「結果的に飢餓とカニバリズムの大規模な横行をゆるすことになってもですか?」


 吉原さんは肩をすくめた。


「重いねえ」

「そりゃそうですよ。この是非を問えるのはだいたいお上って相場は決まってますから」


 そこにいなければ、責任を背負えても、必要な判断を下せても決して正当化されない。やっぱり肩書の権力性は一種の病理ね。


「わたしは覚悟してますよ。必要ならする。その結果、失敗して殺されても文句は言いません。まあお上にわたしの席なんてありませんけど」

「きっと、それがこの社会で一番の病理なんやろなあ。ごめんね、相原ちゃん」

「謝るくらいなら起きることが確定している縮退の、引き延ばし装置くらい考案して制度化してくださいよ。わたしひとりだと代替案の具体化が終わりませんし」


 頭なんていくらあっても足りない。

 吉原さんは申し訳なさそうであった。それもそう、活発に動ける余力なんてわたしにもないんだから。老体には高望みが過ぎる。


「ほんま、せわしないこっちゃなあ」

「ほんとう、いくらあっても足りないくらいなんですよ。こういうの。まあ実行判断する頭が腐ってちゃ全部無駄ですけど!」


 ふたりして大笑いする。


「自分のおつむも引き締められない社会の尻くらい叩いてやらんと、おっかさん失格だねえ」

「はっはっは、わたしまだ十五ですよ? 地母神になった覚えはありませんよ」


 腹を抱えた。涙をぬぐって最後の一冊に手をかけた。

 速読というわけではないが、知りたい情報は勝手に目につく。選別の基準はかなり厳しくしてあるのに、引っかかるものが多いのは僥倖だ。


「なんかきっかけがあったんやろ。ここにこんくなったってことは、その必要がないくらい目利きがきくようになった証左や」

「遠からずです。知識なんて最低限積めば勝手に生えてくるものですし、体系化が済んでからは歴々の資料を分析することもめっきり減りましたから」


 危機感をあおられたから、というのもあるかもしれない。


「確認したかったんですよ。まだ人はいるのか。それとも皆無とみなして変遷を自然に任せるべきか」


 吉原さんはしばし黙考した。


「いたかい?」

「はい、現実から逃げているという自覚をもって、わたしの邪魔をしない程度に身の程をわきまえてる人が。だからって後ろめたく思う必要ないですよ? こういうことにならないように、お上が資源運用に制約をかけて、市場を管理したりしないといけなかったんですから。わたしら一般市民は明日の飯のために田畑を耕すくらいがちょうどいいんです」


 それでも旗色は悪かった。けれどわたしも緩めることはできない。

 突き付けるのも必要なことだ。


「はあ、見解の補強にしかならないですね。これら全部」


 積みあがった分厚い本を叩く。

 無駄に記録したものだと思う。紙の無駄だな。


「どのみち手はありません。社会が人の寄り集まったものである以上、危機意識を何らかの形で刺激しなければはじまりません。民主制ってほんと国家運営にむいてないですね」

「理念の時代やったんやよ。無茶いわんでや」

「理念で飯は食えません。それに、行政は民衆の欲望をかなえるための装置でもありません」

「ぐうの音も出んわなあ。でもなにかしら、意義が必要なんよ。希望とか」


 言わんとすることはわかる。しかし同意はできなかった。

 

「言ったはずです。国政は理念装置でもなんでもないと。国民も生かせない段階で希望とかマジで言ってんですか? 希望があるとしたら、明日も生きてられることですよ」

「リアリストやな」

「現実を見ないと長期の見通しなんて立ちませんよ。馬鹿正直に明日も大丈夫でしょって言ってられるのはわたしら一般市民だけです。お上は内臓すりつぶして制度設計しないと機能しません」


 どこまで行っても、政治形態なんて道具でしかない。なにを勘違いしたら環境条件って思いこむのやら。

 

「じゃあ、なんでおまえさんはお上の頭をもってるんや」

「は?」

「いやあ、気に障るなら訊かんよ。ただなあ、相原ちゃんにゃそんな苦労を負う理由がないだろうに」


 興味本位と言ったようで、ほんとうに皮肉ってるわけではないらしい。


「大部分はわたしの本能ですけど、感傷も少し……こどもたちに、こんな先のない世界を任せるのは酷だっただけです」

「そうかい」

「案外、その程度の話ですよ。できるからやるなんてうすら寒い理由でポストにつけるほど、国政って無責任でもありませんし。選んで普通を捨てたんです。まあ金っていう代価がなきゃこっちは安定してなにも書けないんですけど」

「世知辛いなあ」

「制度設計が無償提供って、この世の知的労働のすべてを愚弄してるようなもんですよ」


 なぜ知恵が必要になったのか忘れた獣は、いまは快楽のためだけにその知性を活用する。もはや短絡を過ぎたか。

 ぱたん、見開きを閉じた。


「この社会がわたしを殺すなら、わたしはいったいどうすればいいんでしょうね」

「……統計上の端数として処理されるだけさね。法も何もかも、もうおまえさんを裁くことを正当化できないし、あってはならない越権だよ。おむかえが近いあたしらとは違うんだ。狂ってもばちはあたらん」

「答えになってません。けどそうですね、ありがとうございさいます」


 背伸びして席を立つ。

 窓向こうでは桜が舞っている。鮮やかな吹雪きが新緑と交わっていく。


「はあ、ひとつ本音を言っておきます。わたしはね、心の底からおまえたちが消えればいいと思ってる! 自制もくそもないくせに快楽のために食いつぶすバリエーションは一人前に語りやがる。経済? 成長? 百年先見てから言えよくそが! 未来の社会設計もできねえくせにビジョンなんて語ってんじゃねえぞ餓鬼が。時代が時代なら全員断頭台に乗せてやったのに……ああ!」


 机を叩きつけ、積みあがった本を殴り崩す。

 忌々しい、心底忌々しい。社会のがんめ、市場原理を至上と勘違いした愚か者どもが。おかげでこっちがどれだけ八方塞がりに立たされてるか。

 喉をさく怒声と音が破裂する。

 しばしして息を整える。吉原さんは死んだ顔をしていた。


「ごめんなあ」

「人類全員、末代までたたってやります。くそが」


 資料を拾い集める。棚に戻すと、腹の底からふつふつ再燃してくる。

 吉原さんはまだそこにいた。


「ごめん、ごめん」

「社会的動物はわたしだけのようです。あなたたちは感情を長期の合理性にも使えないような“獣”に戻ったんです。倫理なんてご立派なもの着てる意味あるんですか?」

「……あると信じたいねえ」

「やめた方がいいですよ、失望するだけです。吉原さんは老い先短いのであとのことはわたしに任せてください。愚痴を聞いてもらえるだけ人間の有効な使い道が残ってます」

「言葉を尽くしても、切らんのやね。愛情深いのよ、相原ちゃん」

「はえをちまちま叩き殺しても不毛なだけです。適量しか生まれないよう環境を調整するのが先です」

 

 殺す必要のない社会、それがもっとも平和なのだから。

 荷物をまとめて椅子をなおす。


「もうここに来る必要もなくなりました。今生の別れでしょう。安らかな死を」

「じゃあね」


 目を合わせてすぐに歩き出す。

 最初で最後の対話者、けれど惜しくない。またひとりで考え続けるだけだ。

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ラストライ ホノスズメ @rurunome

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