第一章 泥濘の明け

 雪がつもる年明け、白化粧にしんとした街並みを眺めて目をおとす。

 冬休み明けは学校に出てくるのも億劫で、賑やかしいクラスメイト達が理解しがたい。教室にひとりだけぽつねんと動かないのも不自然で、しかし席から立つ理由もなかった。

 わたしには話しかける、愛想を振りまくだけの余力もない。それでも笑いあう同年代の子等を目にすると、とぎどき胸がうずいた。

 

「はあ」


 高望みが過ぎる。一年親しい人ができなかったのに、都合のいい展開などあるわけない。休みが明ける。そんな言葉に釣られてなにか期待してしまったのかもしれない。

 教師が入ってくると同時に、淡い曖昧さは鳴りを潜めた。

 ホームルームが終わると先生に呼び出された。職員室のデスク横に立たされると、居心地の悪さはいなめなかった。


「相原おまえ、小論のテスト。これでいいと思ってるのか?」


 突き出された用紙には、解答欄より外れ、びっしりと小文字が飛び出している。

 まあゼロ点だろうけど、けっこう有意義な問いだったかも。


「満足そうな顔だな。はあ、内容も論点が要旨から逸れ過ぎてるぞ。なにをどうしたら経済格差の話が自由市場の一部制限になるんだ」


 ぴらぴらとなびいて、先生はどっかり背もたれにかける。

 公開処刑だなあ、これ。


「産業拘束を提案しなかっただけ穏当ですよ。与えられた判断材料が足りなかったので自足した結果、もっとも現実的な制度的アプローチを思いつきました。文字数が足りなかったので書きませんでしたが、ほら、日本の総人口ってしぼみつつあるじゃないですか」


 先生はしぶしぶうなずく。それを確認して続ける。今回の案はそれだけ試してみたいと思えるラインに到達していた。自然と声も弾む。


「なので第三次産業以降の高次機械産業を意図的に縮退させれば、あら不思議。資産家さんたちは外国逃避しません。これは検討してみての意外な発見だったんですけど、いまはどこもかしこも経済圏の余白がなくなりつつあります。外国への新規参入は難しいでしょう。土地への順応も生活そのものに伴う変化の危険性を思えば、自称合理的な皆々様はここに残り、農耕や漁業への投資が集中します」

「そんなもん小論文でやることじゃないだろ」


 肩を落とす先生から答案用紙をうばいとり、再読する。周りの先生方まで手を止めてこちらを見ていた。


「とはいえ直近の中国の侵略性への対抗圧、国会が法定として定めなければ、それは意図的な産業圏に大きな空白地帯をあける愚策になりかねませんしね。やろうにもちょっと面倒な問題がありますね」

「俺にはお前の言ってることがよくわからんよ」

「そりゃこういうとき必要になるのは外部工作とか、中国の思想統制に対する、こちらへの非有害的パラダイムを浸透させること。具体的な一案ですけどね? まあ諸外国に対して作用させる非合法的な法も機関もない以上、日本は経済において、国際的になんらかの代替不能なポジションを得ていなければ、この成長志向に染まりきった資本主義世界では保護されません」


 わかってない顔をしている。なんで大人がこの程度わからないかなあ。


「はあ、ひらたーく結論を言えば、気長な改革の途中にしくのが一番効果的な政策案だったんです。先生、この答案用紙はゼロ点ですけど、文字数制限ではじかれた有用な論考って、そりゃ評価側の無能をさらすことになりかねませんよ」

「形式は必要なんだ。文字数は短い時間で概論を説明できることを目的にしてる。おまえ、興奮して書きなぶったんだろう」

「政策案の全体像を構築するので楽しかったので」

「どっちみちだめなものはだめだ」


 用紙を奪い取られ、先生は背を向ける。


「話、聞いてやれなくてすまんな」

 

 急きあがるものがあり、自然とほおがゆるむ。

 すすけた背中だ。教職に身を投じている尊敬すべき人材だ。けれど、この男の言葉はなにも響かないのだ。いつのまにか仕事に戻っている教師陣を一瞥する。


「いえ、不条理には慣れてますから。こういうのを人災と呼ぶんですよ、形式に沿うかでしか是非を問えない先生。がっかりです!」


 一瞬、その場が凍り付いた。

 先生はすまんとしか答えず、わたしも期待していなかった。

 肩に手を置いてはげます。


「ほら、そう落ち込まないでくださいよ。先生、三年の面接指導ですよね。この時期ならいっそう忙しいのは当然なんですから、わたしの書いた膨大な記号手続きに“疲れて”理解を“後回し”にしただけですもんね!」

「……ああ」

「よかったです。そうでなきゃ先生、人の命を込めた論考を、形式合わずだと言って切り捨てる反社会的な形式主義者だと断定しなければなりませんでしたから」


 頭を下げて職員室を出る。

 入ってきた時よりいくぶん静かだった。歩をのんびり、窓から外をあおぐ。


「先生には悪いことしたなあ。でも、こんなシンプルな事実も目視できないんなら仕方ない」


 その疲労のほど、職責のほどを考慮すれば、わたしの要求は過剰なのだ。うっぷん晴らしにしては自責を課してしまうだけのことを吐いてしまった。

 胸中は重くなるばかり。暗澹の蓋をされ、窮屈そうな空模様は長く見ているものではなかった。昼休みになると、スマホ片手に菓子パンを食む。

 今日の国会の議題は、先日から変わらず不正資金なんとか。

 

「はあ、うちうちのごたごたを長引かせるのが国会の仕事なのかね」


 人事問題くらい三日で済む手続きだろうに。なんのための法律だよ。

 糾弾する口があるなら資源問題への具体的な追及ぐらいしてもいいだろうに。犯罪的な給金泥棒だな。サボタージュじゃあるまいし。中継を切ってニュースサイトに変える。技術革新、新しい分野開拓、それはそれは目覚ましい功績が流れていくが、同時に禿山の画像や数センチ伸びたという砂漠の領域、レアメタルの価格向上が流れてくる。

 ほんと、どいつもこいつも。

 コーヒー牛乳のストローをかんで席を立つ。こんな短寸な醜女に話しかけるようなものはおらず、騒がしいグループを横切る。いくあてもなく流れつくのは、決まって誰も来ないような階段下。じっと身をひそめるのだ。

 喧噪も喜びも遠のいて、すり減っていく社会の寿命を肌で感じる。

 

「……まだ大丈夫」


 どんな人災も、起こる必然だとしても手遅れでさえなければなんとかなる。

 のしかかる犠牲も、人災より導かれた地獄絵図も、ほんの少しだけ忘れていたかった。けれど、体が起き上がる。

 はっきりとその境界線はわからない。しかし体が動く。

 そういうことなのだろう。

 きしんだ足で、電灯もとに踏み出した。



 もはや猶予はないと告げているのか。授業中、ノートに走らせるのは数式ではなく論考となった。あふれ出す問題の数々と、同時にそれらを分解していく解法。自分が正常であることは重々承知したうえで、周囲との世界がズレていく気がした。

 幸福は麻薬だ。それらが全体で賛美されるとき、世界は終わるのかもしれない。

 麻薬は鎮痛剤でもあり、死にゆくものに明日を語るという、知られた形でも存在する。

 この授業、日常それがわたしを甘やかす。まだ足りなかったのだ。

 危機意識が、現実を直視する勇気が。

 手が遅い、文字が近い。わたしに陰るノートに際限なく書き連なっていく。

 きっかけはそう、先生だ。


「相原!」

「はい」

「起きてたか?」

「も、もちろんです」

「じゃあ三行目読め」

「はい」


 座って、また手が動きはじめる。

 怠惰にいられる時間は過ぎてしまったのだ。そう、明確に自覚した。

 その週の末、母に頼み込んで交通費をもらい、国会議事堂を訪ねた。と言っても、遠くからその外観を眺めるだけ。観光客と変わりない。ベンチから白亜の造りを仰ぎ見る。

 人も少なく、寒空のもと見るにしては寂しいものだ。

 あの中で中枢が意思決定していると思えば途端に重々しく感ぜられる。けど、わたしの日常より軽い。それを確かめて立った。

 

 

 

 あくる日、怒号によってたたき起こされた。


「相原! いつまで寝てんだ!」


 のっそり顔を上げると、五十過ぎの数学教師が顔を真っ赤にしていた。

 あ、いまわたし寝てたかも。

 クラスメイトの静かな視線が痛い。


「すいません」

「なあおまえ、いつも寝てんじゃねえか。ここに来る意味あんのか!」


 ぽうっとしてかえしそびれると、ますますいきりたつ。

 

「学校に来て、勉強する意味あんのかって聞いてんだよ!」


 教卓を叩く音ではっとする。

 あくびしつつ、頭のしんが冷えきっていく。

 ええと、なんだっけ。学校に通う意味?


「基礎的な言語および社会知識が得られれば、それでいいかなあって」

「じゃあ出てけや。働いてこいや」

「でも、社会の寿命を延ばさないと、こっちも困りますから」

「は?」

「一応教育制度の意義は理解してますよ。均質的かつ形式に従順な人間を育て、評価して送り出す奴隷製造機関ですよね! いまの金のために生きる教育なら、市場原理に魂を売った売国奴的な戦犯制度です! 情報の信頼性は高いし、わたしの研究対象でもあるので、フィールドワーク気分ですよ」


 スイッチ入っちゃったかも。そうとわかっていても、口は止まらない。のんびり数遊びできる程度に、この教室は平和なのだ。

 数学教師は異なものを見る目をむけてくる。


「……何様のつもりだ」

「前途ある一般市民の、自主的な社会システムの最適化本能ですよ。あるいは社会そのものの自己保存本能の一環にある“把握”でしょうか」


 席を立って、黒板のまえに立つ。

 読めない数式がびっしりと、めまいがしそうだ。


「数って便利ですよね。割となんにでも適用できてしまう。目の前の死体が一体あるとしても、文面にしてしまえばほとんどその実感は失われる。記号の免責、なんて個人的には呼んでますけど、これがいったいどれだけの人命を奪い、欲望のブレーキを無効化してきたことか」

「なにいってんだ」

「数式っていいですよね。現実と違って結果は数で可視化されるんですから。決められたルール内で正しく挙動してくれる。人間と違って、制限を自覚している」

「お、おい」


 黒板をなぐりつける。視界の端で肩が震えていた。


「ああ、でも。高度な記号の手続きって、それだけで負担なんですよね。ほら、行政でもあれこれ細分化されすぎて、ちまちまひとつひとつ許可書取らないと行けなかったりすると、手続きが大変になるんですよ~」


 教師を見やると、一歩退いた。


「先生、わたし思うんですよ。これ数遊びだなって。だって、便利すぎるんです。なんにでも使えてしまうんです。だから、負えないでしょ? あなたの教えた基礎数理が、将来原子爆弾の設計と弾道計算に使われる未来なんて。だから問いたいんです。あなた、一体なにを教えてるんですか?  わたしに態度を問いましたよね? ここに来る意味を、わたしは答えました。再度問います、あなたの教えるべき数という概念は一体、どれだけ人を無責任にするんですか?」


 教師は口を開こうとしては閉じ、沈黙をおろしてしまう。


「こんな、数遊びを教える前に、人として叩き込んでおかなきゃいけない、姿勢というものがあるでしょうに」

「お、おまえにはあるのか!」

「ありますよ。数含め、記号とは人類最大の汎用性をもつ表現方法、その使い方次第で、いかなる行為も自分ごとではなくなり、あらゆる人災を引き起こす。まあ最大の原罪ですね」


 その程度の自覚も促さずに、教育なんて片腹痛い。

 学校という場はその塞ぎきった空間で思考にプレスを与える。自由で柔軟な発想は死んでいき、だからこそ逸脱するものがいなくなる。なにも口にできないのは、この教師に限らず、こどもたちも同じか。


「先生、わたしを非難したいなら、あなたの教えた数の概念が、何百億人殺したか、答えてくださいね」


 黒板消しで、真っ黒に戻す。チョークを差し出すも、受け取ってくれない。

 首を傾げた。


「さあ、時間はありませんよ? ああそっか、条件が甘かったですね。そうですね、では直球に先生の身体感覚でいいです。あなたが見てきた人生の中で、数がどのように免責されて短絡を起こしたか、その結果、いくらほどの人命が死んだか、数えてください」


 反応はなかった。瞳は揺れるばかりで、答えはなかった。


「でしょうね。邪魔になりました。さ、続けてください」


 席についてそのときを待つ。予冷が鳴っても、だれも動かなかった。

 暮れ方になって担任に呼び出された。行き着いたのは一階の談合室。新鮮な気分にきょろきょろしていると、眼鏡の女性が入ってきた。銀縁が西日によく映える、角のなさそうな方だった。

 ソファから立ち上がり、頭を下げる。

 なんで要件を先に説明しないのよ、この担任は。苦々しく見やるも、わかってないようだった。


「えっと、柴咲って言います。名前いいかな」

「相原です」

「ああ、そうだった。言い忘れてた。こちらカウンセラーの方で、相原さんなにか悩みがありそうだから、一応あれば聞いてもらった方がって」


 担任、それを早く言え。

 小さく息をついて「わかりました」と答える。先生は役目は終わったとばかりに出ていった。


「乱暴な」

「雑な、いえ、余力がないのでしょう」


 期待するだけ無駄だ。こういう配慮があるだけ親切と受け取っておこう。たとえ内心が、問題児の形式的ケアだったとしても。言いなおして背を沈める。はじめから不必要な対話だ。

 しかし柴咲さんはそう思ってないらしい、落胆した様子がないのはこういう現場になれている証拠だろう。


「先生って大変ですね。業務に追われて。相原さんはどんな風に先生を見てるの?」

「仕事を理念で乗り切る人外ですね。正直、今日のことで担任はなんのリアクションも起こさず、わたしへの忌避感を抱いたことでしょう。それで起こりえるわたしへの嫌がらせも黙認。当然のなりゆきです」

「そっか、そうだね。ありえる。そういう学校の方が多いんだろうね」

「愚問です。教師という生き物に人間として学べというのなら、それは個人への制限になります。心の整形と言っていいでしょう。わたしはそこまで求めてません。犠牲になっても、生み出される価値はつりあってないと思います」

 

 ばかばかしい話だ。できもしないことを要求するなんて。

 

「相原さんはどうしたかったのかな」

「どうも……ただ、わたしはそこにあるものを言葉にしただけですから。わたし聞きたかったんですけど、柴咲さんはどうしてこの職に?」

「私? う~ん、そうだなあ。研究職になるつもりだったんだけど、カウンセラーの方がいい生活ができそうだったからかな」


 なんてことないように笑ってみせる。なるほど、挫折したのか。

 わたしも肩を揺らす。同情だったかもしれない。


「そうですか。体感での話なんですけど、カウンセラーさんとお話してると、なにか覚えのある感覚になるんですよね。そう、たしか人災の被害者説明会みたいな独特のあれ」


 話を聞くだけ聞いて、なにもしない。

 どこにでもあることだ。会社でも、国政でも、まして家庭でもありふれたこと。

 柴咲さんに揺れたところはなかった。


「あれですよね、改善義務がないから主体として聴取するって感覚がないんでしょうね。こういう職の方に言うのもなんですけど、わたし、人と話してるんですよね?」

「それは……」


 位置を持たない人間と話して、なにが生まれるというのだろう。慰めにもならない空々しい自慰だ。

 わたしと少し話すだけでだれでも沈黙するのは、いささか以上に病理的だな。

 外の部活連中の大声が響いてくる。汗水流してスポーツという快楽にいそしむ声だ。


「わたし“人”と話したいんです」


 息を呑んだ音がした。

 目を伏せて撤回する。


「すいません。ケアって無責任で隔離された空間だからこそできるものでしたね。アメリカの内部不安を敵国生成で迷惑千万なことしたり、国威を侵略で示したりするより、比べるまでもなく健全ですね。はあ、わたしこそできもしないことを期待していました。すいません、柴咲さんにはわたしの言葉を聞く価値はなかったですね」

「それは、でも……きみが子供だからだよ」

「温室に閉じ込められ、絶賛社会因子として整形中といういみでは否定しません。でも、あなたは人として話せてない。柴咲さん以外の人もそうです。だから気にしないでください、なにも期待してませんから」


 潮が引いていく。昂ぶりもさめて締めとなる。

 やはりこんな時代に人はいない。

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