第40話 第四幕 魔宴 ②

〈クロイア視点〉


「な、なんだいこりゃ!?」「黒い……魔獣っ!?」「く、来るなあ!」「こっち来んなああああっ!」


『グルルルウ……』『ブフーッ! ブフーッ!』『キチキチキチキチッ……』


 指揮系統を無くし、散り散りに逃げだろうとしていた闇ギルドの構成員らを襲ったのは、見た目は彼女たちもよく知るホーンウルフやストンプボア、ストンプボアといった魔獣のそれだった。


 ただし体表の全てが闇色に覆われており、爛々と輝く凶眼が、凶悪な飢餓を訴えている。


 逃げ惑う女たちに、次々に湧く黒い魔獣たちが、波濤のように押し寄せていた。

 

「くそ……こいつら、完全にウチらを狙ってやがる!」「オイ背中を見せるな! 真っ先に襲われるぞ!」「チクショウ、戦うしかないのかよ!?」「こんなとこでくたばるなんてまっぴらごめんだ!」「絶対に生き残ってやる!」「……おい。っていうか、あれ……っ!」


 そうして恐慌に陥りつつも、何とか抗おうとしていた闇ギルド構成員たちを、さらなる驚愕が襲った。


「な……んだよ、あれ……」「……あああ、もう嫌だ嫌だ、いい加減にしてくれ……っ!」「おお、神樹様……お許しを……っ!」


 呆け、怯え、畏れ……


 そうした様々な視線の集まる先には、いつの間にか、巨大な影の柱が聳え立っていた。


「あ、あれは……魔生樹、なのかっ!?」


「でもあんにゃに大きい……それに黒い魔生樹にゃんて、聞いたことにゃいのにゃ!」


 獣人騎士たちも異様な存在に気付いて、

 気圧されているが、無理もない。


 ゆうに二十メートルを超える、

 天を衝く巨木。


 周囲の闇よりもさらに濃い、

 漆黒の魔生樹。


 それほどまでにその存在は、圧倒的で、冒涜的で、神秘的だった。


「な、なあ、クロイア殿。あれって、もしかしなくても――」


「――そうっスよ。お館サマの呪印から生まれたものっス」


 牛人騎士の推測通り、空へと昇る逆瀑布が転じた巨大魔生樹は、ライヤの死に反応した呪印が、周囲の魔力を簒奪することで生まれた影の巨塔であった。


 元々この森は、魔樹区域に指定されるほどに濃密な魔力溜まりであり、潤沢な栄養を啜った黒の魔生樹は、それに応じた無数の果実を枝先に実らせている。そのうち気の早いものが地表にまで滴り落ち、弾けて、産声を上げた黒い魔獣が、周囲の獲物へと襲いかかっているのだ。


「ぎゃあああ!」「や、やめてくれえ!」「いやだいやだいやだいや――っ」


 黒き魔獣に狩られた獲物は、生きたまま母樹の元まで引きずられ、枝から滴ってきた大質量の粘液に呑み込まれてしまう。そして再び枝元まで上昇していった粘液袋は、内部の餌を糧として、新たな魔擁卵コクーンへと変質していく。


 逃げ惑う人間が傷つけられ、呑まれ、魔獣の糧とされる悪夢じみた光景に、人質であった平民はおろか、相応の訓練を積んできた獣人騎士でさえ、本能からくる恐怖に顔を歪めていた。


「……もう、無理ですの」


「んな……バカミルっ! 何言ってんだテメエ!」


 阿鼻叫喚の地獄絵図を前にして。


 実践経験の浅い見習い騎士が折れたのは、

 仕方のないことだった。


 肉親である牛人騎士が叱りつけるものの、

 彼女の表情にも不安が滲んでいる。


「もういや! こんなの、もう無理ですの! 耐えられませんの!」


「おまっ……こんな時に泣き言なんて、それでも騎士か! 貴族の責務を果たせよ!」


「だって、だってミルは、足手まといで、今回も、皆様の足を引っ張って……うううう、うわああああんっ!」


 そんな悲痛な空気を、まるで無視して。


「た、助けてくださいましい、パパあ――ひゃんっ!」


 スパアンと、小柄な少女の有する規格外な双山を、容赦なく引っ叩く者がいた。


 奴隷用の貫頭衣に包まれた大質量の胸部が、

 たゆんたゆゆゆんと、左右に揺れる。


「ななな、なにをするんですの! 無礼者!」


「……チッ」


「なんでワタクシが舌打ちされますの!?」


 自らの細腕には到底収まりきらない胸部を抱きしめながら、涙目で非難を訴える牛人ブルマンの少女に向けられた、精人アルヴの視線は冷たい。

 

「……はいはい、そんなにギャンギャン吠えられるなら、まだ大丈夫そうっスね。つーか泣き言は、ちゃんとやることやってから喚いてくださいよ。ただ泣き喚いて皆に構ってもらいたい痛い子ちゃんゴッコは、今は遠慮してもらえます?」


「んな……っ! わ、わたくし、そのようなつもりは――」


「じゃあ武器を握って、戦ってくださいよ。なんのためにそのなまっちろい腕は、アンタにくっついているんスか? 少なくともその駄肉を支えるためじゃないでしょ?」


「――っ!」


 目を見開くミルクトに、地に伏す闇ギルド構成員の死体から見繕った手斧を投げ渡しながら、クロイアは頬の白蛇を歪めた。


「笑えよ。戦士なら今こそ、笑うときっス」


 常識のように、ごく自然に。

 狂戦士の摂理を、口にする。

 

「ほらほら、よく見てみるっス。背後には守るべき民草。周囲には数えきれない敵。そして自分の手のうちには、戦う力が。くうう、よかったスね! 今日は死ぬには、最高の戦日和っス! ここで命を散らすなら、騎士サマ冥利に尽きるってモンでしょ!?」


「く、狂って、いますわ……そんなの……」


「その通り。戦に狂っていなければ、ライヅの家名は背負えないっス」


「……っ!」


 その言葉に。視線に。覚悟に。

 

 射抜かれた少女は呆然と、

 言葉を失った。


「とはいえ、今は人手が必要なんっス。使えるものはお漏らし騎士でも使うっスよ〜」


「……っ! きょ、今日はそんなに、漏らしてなどおりせんわっ!」


「……え? ちょっとは漏らしてるんっスか?」


「〜〜〜っ!」


 顔を真っ赤にして悶絶する牛人の少女から視線を外し、他の騎士たちにも死体から漁った武器を配りつつ、黒精人の少女は告げる。


「はいはい。それじゃあこれからやるべきことを、手短に説明するっスよ? まず戦えない人たちは、そこのオジサンが展開する結界のなかで大人しくしといてください。そんで戦える人は、群がってくるしばき魔獣を倒すように。見たカンジあの魔獣どもは物質よりも魔力寄りなんで、オジサンの結界内ではだいぶ力が削がれると思いますけど、それでも十分に危険なんで、くれぐれも油断しないように。以上っ!」


「……って、何を勝手に仕切ってますの!?」


「ん? 気に入らないならべつに、好きにしてもらっていいっスよ? ジブンはお館サマに失望されたくないから最低限のことをしているだけなんで、それ以上の面倒まで見るつもりはないっス」


「そ、そんな! まるでわたくしたちを、足手まといみたいに言って……っ!」


「いやバカミル、さっきそれ、自分で言ってたやつじゃん」


「……あうう」


 実姉に指摘され、赤面して俯くミルクト。

 

 苦笑しつつ、騎士団の隊長である牛人騎士は、自分よりも年下の少女に敬礼した。


「了解致しました、クロイア嬢。これから我らは、貴方がたの指揮下に入らせていただきます」


「ん、物分かりのいい人は好きっスよ」


「それで、貴方たちは……」


「悪いけどジブンらには、先客がいるんで」


 クロイアの鋭い視線は、巨大魔生樹の枝にぶら下がる、一際大きな魔擁卵に向けられていた。


「あれは、ジブンの獲物っス」


 少女の敵意に、応えるように。


 巨大な黒粘液が滴り落ちて、

 大地で弾ける。


『……ギッ……ギギイッ……』

 

 黒飛沫の中から現れたのは、蒼銀を闇色に塗り潰れた、全身を魔鋼鎧で覆う英雄騎士。


 ギ、ギギッと、およそ生物らしくない軋みをあげる黒騎士の視線が、こちらに向けられた。


「首級は、ジブンが貰うっスよ!」


「あ、ま、待ってよクロちゃん! だからズルいってえ!」


 新たな強敵を前にして。


 血気盛んな蛮族娘たちが、

 嬉々と駆け出していった。



【作者の呟き】


『骨喰み』「よう」

『肉削ぎ』「遅かったですねえ、姉さん」

『皮剥ぎ』「……っ!」


 これにて悪食姉妹、コンプリート。

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