第39話 第四幕 魔宴 ①

〈クロイア視点〉

 

 今や天に逆巻く瀑布となった、

 黒い魔力の発生源。


 ライヤの身体に刻まれた呪印は、魔王の手によって施されたものであると、クロイアは聞き及んでいる。


 直接その場に居合わせていなかったため、詳細までは把握できていないが、美しい女の風体をしたその魔王はライヤに酷く、固執しているらしい。


 何せ魔王とは、魔人とは、魔獣とは。

 

 生まれながらの強者であると同時に、

 生まれながらに死を望まれた存在だ。


 創造主、あるいは魔生樹から生まれたそれらは、一貫して『人類に対する試練』という役割を課せられており、それが果たされるときは、すなわち死を意味している。


 彼らにとって死とは忌むべきものではなく、

 むしろ尊ばれるもの。


 本能的な破滅願望は上位種になるほど強くなる傾向が見られ、人類史が始まってから未だかつてただの一体も討伐されていない最上位種の魔王ともなれば、そうした自らを討ち倒す存在……『勇者』の誕生は、もはや悲願であるとさえ言えた。


 魔王は生まれたときから、

 自らを殺し得る存在を求めている。


 そのためなら配下である魔人に命じて、

 人類に助力することさえある。

 

 そうした魔王のなかにあっても、ライヤが遭遇したそれは、一際に異質な存在であった。


 ボトルニア大陸に存在する魔王は、それぞれが特性を示した色を冠している。そしてライヤたちが居を構える辺境領地オリガミエからもっとも近い魔樹迷宮ダンジョンの主が冠する色は、紫。


〈紫〉の魔王は『死』を統べる。


 魔王がライヤに与えたのは、

 死を覆す魔法であった。


「……は? ま、魔王? オマエさん一体、何を言って……ぐうッ!?」


 少女の漏らした呟きを耳にして。


 流石に動揺を隠せなかった『皮剥ぎ』であるが、突如としてその場に蹲り、不規則な喘鳴を漏らし始める。


「ひゅっ……か、かはあっ! ひっ、ひいっ……!」


 胸元を押さえ、掻きむしり、無様に呼吸を乱す『偽りの所有者』を、拒むように。


 魔鋼鎧の中央に埋め込まれた宝珠が、

 不気味な明滅を刻み始める。


「な、なんなんだい、こりゃあ……っ!?」


「……あ、なるほどなるほど。そのカンジ、さては魔王の魔力に、宝珠が反応しちゃってますね? さすが魔人、魂の残滓になってもしぶといっスね〜」


「は、はあ? い、いったい、なにを、言って……っ!?」


「オッケーオッケー。クロイアちゃん、完全に理解したっスよ」


 苦しみ悶える悪女のことなどまるきり無視して、さりげなくその影から飛び出た影蛇を回収したクロイアは、大きく飛び退いた。

 

 直後に……どぷんッ!


「ヘあ?」


 頭上から降り注いだ大質量の粘液に、身動きの取れなかった『皮剥ぎ』が、あっけなく呑み込まれてしまう。


「姉さんっ!」


 異常な光景を目の当たりにした森精人ドルイドが悲鳴をあげるが、そうして生まれた思考の空白は、地を滑る影が距離を詰めるのに十分な時間であった。


「っ!」


 音もなく迫る小柄な人影に、

 直前で『肉削ぎ』も気付く。


 咄嗟に片腕で抱いた白精人エルフを肉盾として向けてくるが、構わない。止まらない。自分はライヤではないので、人質の身柄など、刃が鈍る理由には成り得ない。


「……クソっ!」


 流石は闇の住人だと評価すべきか。


 そうした殺意を正確に汲み取った魔女は、人質を盾とすることを諦めて、足止めとして黒精人オルヴの少女にぶつかるよう突き放してきた。


「ちっ」


 両者が肉薄するこの距離ならば、

 受け止めざるを得ない。


 舌打ちしつつ、クロイアが少年を抱き止めた隙に、魔女は攻撃を回避。安全な間合いへと逃げていく。


「あ〜クソ。首、取り損ねた。ぜんぶオジサンの所為っスよ?」


 獲物を仕損じて不満を漏らすクロイアが、

 エルクリフの表面を短刀で斬り刻んだ。


 バラバラと。


 少年を拘束していた鎖や眼帯が、

 剥がれ落ちていく。


「貸し、ひとつっスね? オジサン」


「……貴方今、僕ごと斬ろうとしてましたよね? 兄さんには黙っていてあげるので、それで相殺です」


「ちえっ。けちんぼ。そんなんじゃ女にモテないっスよ〜?」


「女なんてどうでもいいです。そんなことよりも情報を」


「へいへい」


 自らの命を蔑ろに扱われたことを理解しているのに、それを意に介した様子もないエルクリフに、クロイアも毒気を抜かれてしまった。求められるまま、先ほど『皮剥ぎ』から抜き取ったばかりの『記憶』を伝える。


「人質に刻まれてる呪印は〈呪怨ペイン〉っス。アンタならラクショーでしょ?」


「ええ。それならば――」


 普段は眼帯で隠されてる少年の右目が、

 妖しい輝きを帯びていく。


「――問題ありません」


 精人の種族魔法として有名な〈妖精魔眼グラムサイト〉は、見ることに特化した魔法体系だ。


 視るという行為は、

 対象の認識を意味する。


 そして認識とは、

 対象に干渉するための前段階。


「引き千切ります」


 優れた術者であれば、視覚化された魔力に干渉することは容易く、そうすることで対象の魔法を打ち消したり、魔力の宿った物体を操作することが可能である。


 脳内における魔力の流れを操作した、

 記憶の改竄もその応用だ。


 いわんや、肉体という器に守られていない、術者と呪印を繋ぐ脆弱な魔力線パスを切断することなど、魔眼を開放した少年にとっては児戯に等しい。


「っ、ぎゃあああああっ!」


 自らの魔力を、無数の腕のように伸ばして。


 人質の呪印に繋がる魔力線を掴み、

 言葉通りに引き千切る。


 そして体外に放出されつつも制御下にある魔力、錬精魔力ソールとは、術者にとって第六の感覚器官だ。


 強引に断ち切られた衝撃は、そのまま術者へと跳ね返えり、苦痛に悶える魔女は、新たに迫る人影に気づくことができない。


「ちぇすと〜っ!」


「うべえっ!?」


 跳ねるように距離を詰めてきたハルジオの、掌底が、見事に炸裂した。


「……ごっ……ぶふうっ……」

 

 まるで内側から爆発したように。


 身体中の穴から血を噴き出して、悪名高き悪食姉妹の次女が、絶命する。


「ハル、そのまま雑魚狩りっス!」


 すかさずクロイアが地面の影に短刀を突き立てると、そこから四方八方に伸びた影蛇が、人質を拘束していた闇ギルド構成員の影に噛み付いた。


「なっ!?」「身体が、動かな……っ」「ひいっ!」「く、来るなあっ!」


 反撃や逃走を試みる間すら与えられず、

 身動きを制限された悪党たちを。


「ちぇすとお! ちぇすとお! ちぇすとお〜!」


 人質を傷つけないよう配慮しながら、

 流拳士が一撃一殺にて仕留めていく。


「さあさあ皆サン、こっちっスよ!」


 そうした一方的な蹂躙が終わる頃に。


 少女たちに遅れて駆け出していた、

 獣人騎士たちも追いついて来る。

 

「今のうちに、人質の確保を!」


「すまない、恩にきる……っ! アルくん! 怪我はないか!?」


「ミル嬢も、大丈夫だったのにゃ!?」


「……ぷはっ! ネルコ様! トール姉様!」


 すぐに合流した騎士団が、人質を解放。

 肉親や恋人との再会を喜んで抱き合う。


 一方で、騎士たちを囲んでいた闇ギルドの構成員たちは、悪食姉妹という司令塔を失ったために、統制がとれていない。


「お、おい、どうするよ!?」「ふざけんな!」「こんな話、聞いてねえぞ!」「もうムリだって!」「ここは一旦、退却しかないだろ!?」「とっととズラかるぞ!」


 互いに怒鳴り合い、慌てふためきながら。


 なかには現状に見切りをつけて、

 逃げ出そうとする者さえいた。


「――ぎゃああああっ!」


 そうした者たちを襲う、無数の黒い影があった。



 

【作者の呟き】


 とある賽の河原にて。

 

末娘「おいでえ……こっちにおいでえ……」

次女「……っ! いやああああああっ!」

 

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