第38話 第三幕 黒き魔生樹
〈皮剥ぎ視点〉
ドサリと、
力なく崩れ落ちた身体から。
ドクドクと、
大地に赤い染みが広がっていく。
地面に転がり落ちた拍子に、頭部から顔の下半分を覆っていた般若面が外れて、隠していた呪印が露わとなった。
「……おや。なんだいなんだい、このブサイク
そうだ、死んだ。
死んでくれた。
如何なる人種でも、首と胴を断たれては、絶命は必須。もしや魔法による擬態も有り得ると目を光らせていたが、その様子も見受けられない。
ドクドクと血は溢れ出し、
天を仰ぐ瞳に生気はない。
じきに心臓が止まり、
体内魔力も霧散して消失するだろう。
つまり死だ。
ありふれた死だ。
これまでに何度も目にしてきた光景が、
悪女の胸中を安堵で満たしていく。
「ね、姉さん? そいつほんとに、死んでるの? フリとかじゃなくて?」
「ああ、死んでる。死んでるさね。これ以上ないくらいに、ポックリと見事にご臨終さあ」
遠目から大男の死を疑う『肉削ぎ』に対して、姉役のベロアは上機嫌に嗤いながら。
見下ろして。
見下して。
踏みつけた頭部グリグリと、踏み躙る。
「テメエ! その汚い足をどけろッ!」
「……っ!」
死者の尊厳を蔑ろにする行為に、大男の身内である少女たちが憤るが、それはむしろ、生粋の悪人である『皮剥ぎ』の優越感を満たすだけだ。
「おーおー、そう怖い顔しなさんなよ、お二人とも。せっかくアンタらのお師匠さんが、義に殉じたんだ。それをお弟子さんが台無しにしちゃあ、このブサイク面も浮かばれないってもんだろう? ええ?」
とはいえもう、油断はしない。
あれだけ規格外の強者が育てた弟子だ。
嘲りの表情とは裏腹に、
女の警戒心は高い。
「……だったらさっさと、人質を解放するっス」
「馬あー鹿がっ! そんなこと、誰がするもんか!」
褐色肌の少女が口にした要求を、
即座に魔女が却下する。
「……っ! や、やっぱり! こいつら、嘘ついたよ! 嘘つきだよ! クロちゃん、ちぇすとしないと!」
「悪党との約束なんて、アテにするほうがおマヌケなのさあ。辺境領地のど田舎道場じゃあ教えてくれなかったのかい? いいお勉強になったじゃないか、お嬢ちゃんがたあ」
ベロアもまた憤慨する男装少女を煽るが、脳裏では着実に、状況をより良くしようと画策する。
「……でも、そうさね。せっかくお師匠サマが身を張ったんだ。そのお弟子さんたちも身を張ってくれりゃあ、この悪党の心も、少しは動くからもしれないよお?」
重ねた言葉に、激昂したのは獣人騎士たちだ。
「……もういい、これ以上の茶番は無意味だ! 人質の身柄は諦める!」
「そんな!」「トルクト隊長!」「それでは隊長の恋人さんと、妹君がっ!」
非常な牛人騎士の決断に、意を唱える部下たち。
それを諌めたの悲痛な表情を浮かべる、
副隊長の猫人騎士だ。
「……しょうがにゃいのにゃ。これ以上アイツらの要求に従っていても、被害が増えるだけにゃ!」
「……くそお!」「クソッタレどもめえ!」「テメエらに、人の血は通っていねえ!」「ぶっ殺してやる!」
ようやく、迷いを捨てたのか。
否。
(ははっ。言葉と表情が、一致していないねえ)
闘志を漲らせようとする騎士団であるが、怒声とは裏腹に、その士気は見るからに低い。
当たり前だ。
それだけ人の情とは、繋がりとは、愛とは、
重く、深く、尊い。
簡単に心から切り離せるものではない。
(その点でいうと、命令とはいえ目の前でお師匠サンの命を見送ったコイツらは、立派なモンだねえ)
だからこそ決して、過小評価などしない。
平民でも、騎士でも、悪人でも。
覚悟を決めた人間がどれだけ厄介なのか、
ベロアは十分に知悉していた。
「それで、どうするんだい? 散々好き放題言ってくれるけどお、悪党にだって情はある。アンタらがこの男の死体をキレイに埋葬したいっていうんなら、さっさと持って帰りなあ。それを邪魔するほど、アタイらだって野暮じゃないよお」
であればこそ、情に訴えかける。
何せ相手の実力は未知数だ。これ以上の不確定要素を増やしたくない身とすれば、馬鹿正直に敵対するよりも、退いてもらったほうが有難い。
その対価が男の死体なら安いものだ。
そのあとで確実に騎士団を処理して、領主の娘である隊長の
(最悪、生皮は人質に連れてきたガキでも代用できるけど、領主一族に潜り込むには、立場的にもあっちのほうが便利だからねえ)
そうして領主の懐に潜り込み、内側からその土台を崩し、弱みを握り、力を奪う。
そのための襲撃計画であり、ついでに自分たちに噛みついてきた狂犬をまとめて縊り殺す算段であったのだが、予想外の痛手を負わされてしまった。
だがまあ、過失に引きずられて損切りを失敗するようなヘマはしない。
悪食姉妹の中核は自分だ。自分さえ生き残っていれば、妹分はいくらでも補充できる。問題はない。
「さあてどうするねえ? こちらとしては、どっちでも問題ないよお?」
ここまでの遣り取りで、辺境出身の少女たちが、騎士団よりも大男に大きく比重を置いているのは明白だ。
本当に邪魔はしないから、
さっさとこの場から退いてほしい。
勿論この場さえ凌いでしまえば、自分の正体を知る彼女らには消えてもらうが、それよりも今は現状を乗り切ることが最優先である。
「さあさあ、どうするねえ、お二人さん?」
そうした悪女の問いかけに。
「――いや、遠慮するっス」
黒精人の少女は、首を横に振った。
「……本当に、いいのかい? 言っておくけどこのままだと、戦闘の余波で、ダンナさんの遺体は見るも無惨なモノになるよお? それに地元には、まだ他にもお弟子さんが居残りしているんだろお? そいつらのためにも、せめて身体はキレイなまま――」
「――余計なお世話っスよ、クソババア」
「……あ゛?」
今コイツ……何て言った。
思いもよらぬ台詞に、
ベロアは我が耳を疑った。
しかし空耳などではなく、何故か呆れた表情を浮かべる少女の、身の程を弁えない挑発は続く。
「それに血塗れのお館サマとか、超絶セクシーじゃないっスか。そんなこともわからない老眼のババアに、お館サマを語る資格はないっス。……つーかさっきから、ペラペラと気持ちよくくっちゃべってくれてますけど、老人なんだから、少しは口臭とか気にして弁えてくれません? 臭いがエグいっスって。マジで。もはや拷問っスよ」
「…………」
……ぶちっ。
ぶちぶちぶちぶちっ!
そんな幻聴が聴こえるほどの、
見事な煽り文句である。
ヒクヒクと頬肉を痙攣させて、
悪女は口端を吊り上げた。
「……そうかい。そいつは失礼したねえ。じゃあ老婆心ながら、戦いの邪魔になりそうなゴミは、ちゃんと処分しないとねええええええっ!」
表情を覆い隠した、甲冑兜の奥で。
狂気の笑みを浮かべたベロアは片足を振り上げて、眼下の頭部を踏み砕こうため、全力で振り下ろす。
「――っ!」
だが足裏は不可解な感触に阻まれて、
目的に到達することはなかった。
ベロアは目を剥き、即座に看破する。
「これは……
ふと、気づけば。
地面に転がる頭部を覆っている、
不自然な黒靄。
物質化した影のような漆黒が、ベロアの足裏を阻み、それに包まれた頭部への到達を拒んでいたのだ。
「アンタらいつの間に、こんな細工を……っ!?」
「あー、違う、違うっスよ、それ。残念ながらジブンらが張ったモンじゃないっス。……それはそれとしてオマエ、お館サマの尊顔を足蹴にしようとしたからペナルティ追加な?」
「……え、で、でもクロちゃん、アイツもう、へし折る骨が残ってないよ? 内臓でも潰すの?」
「ん、そうっスねえ。とりあえず全骨バキバキと内臓ブチュンは確定として、あとは目玉抉り出して鼻を削いで髪を毟りとるぐらいっスかねえ……」
何やら少女たちが物騒な相談をしているが、
渦中のベロアは、それどころではない。
(な、なんだい、こりゃあっ!?)
ぞぷっ。ぞぷぞぷっ、ぞぞぞぞぞっ……と。
分断された大男の頭部から、
黒い『何か』が溢れ出る。
血液ではない。もっと黒く、濃密で、悍ましい『闇』が、大男の首元から溢れ出て、まるで愛しむかのように、その頭部を覆い隠していく。見る間に、止める間もなく、闇の密度が増していく。
「っ!」
じゅっと、異音に反応して。
振り下ろしていた足を引けば、闇に触れていた足裏が、強酸でも浴びたように溶けていた。
この魔鋼鎧を溶解させるほどの毒、あるいは魔法がとめどなく溢れ出ているという現実に、ベロアが選択したのは後退の一手。
ちらりと見れば胴体側の断面からも、
同じく黒波が溢れ出ていた。
「おい、アンタら正気かい!? 仮にも身内の身体に、
魔法のなかには予め対象に呪印などを刻み、
特定の条件を満たすことで発動するものもある。
待ち伏せや狩りなどで用いられるそれが、この『闇』の正体かと誰何するベロアであるが、それは本人すら気づいていない願望。
本能はすでに、気づいている。
これはそんな、生やさしいものではない。
もっと危険で、恐ろしく、悪辣で、決して触れてはならない類のものである……と。
それを肯定するかのように、
声が聴こえた。
【……おお、おお、おお……なんと……】
それは女の声だった。
幼女のような。少女のような。
淑女のような。老女のような。
得体の知れない声だった。
【……なんという……我の
それは、嘆きであった。
愛する人間を憂う悲嘆。
欲するものを喪う苦悶。
狂うほどに求める偏執。
そうした重く暗く熱い情念が濃縮された、女の渇望であった。
【………………
「……ッ!?」
次の瞬間、大男の身体から溢れ出ていた黒波は波濤となって天に昇り、頂点にて四散したそれらが、世界を呑み込んだ。
夜の闇よりもさらに濃い、
漆黒に染められた視界のなかで。
天蓋には夜空に瞬く星々のように、無数の鬼火が灯って光源となるが、その中央に現れた満月のような蒼炎が、巨大な瞳を成していることに、気づいた悪党や騎士たちから悲鳴が上がる。
「ひいい!」「な、なんだよこりゃあ!?」「悪夢!? 幻覚!?」「いつの間にかうちら、幻惑魔法でもかけられちまったのかよ!?」
「いいやこれは……結界魔法だ! どうしよう姉さん、ぼくたち閉じ込められちゃったよ!?」
最大の脅威を取り除いて一安心していたところへ、その異常事態は、あまりに酷だったのだろう。先にも増して恐慌する闇ギルドの構成員たちと比べるなら、気を緩めていなかった獣人騎士たちは、まだしも体裁を保っていた。
「う、狼狽えるな! 団員集結、密集陣形を組め!」
「とにかく固まって、四方を警戒するのにゃ!」
「りょ、了解!」「団員整列!」「警戒を怠るな!」「ここで漏らしたヤツはもう二度と、ミル嬢のこと笑えないからな!」
混乱しつつも、牛人騎士や猫人騎士の号令の下、集結して防御陣形を敷く獣人騎士たち。
そうした、騒乱の中において。
「……ったく。発想が乏しいんスよねえ」
場違いに冷静な声音を、
悪女の耳が拾った。
「身内に呪印使いがいるなら、すぐに気づいてもいいもんっスけど」
冷ややかに漏らされた少女の呟きに触発されて、ベロアの脳裏に、ひとつの疑問が湧いた。
すぐさま思い出すのは、
大男に刻まれた呪印だ。
(前提として呪印は、自分より力量の劣る相手に刻印することはできない……っ!)
で――あるというならば。
明らかに常軌を逸した実力を備えていた、辺境領地出身の大男。
圧倒的強者である彼には『誰』が、
呪印を施したというのか。
「……残念。ジブンらが手を下すまでもなく、『魔王』の怒りを買ったアンタは、もうお終いっスよ?」
その答えが悪女の前に、顕現した。
【作者の呟き】
以上で第三幕も無事に終了。
あとは締めの第四幕を残すところですが、この段階でも拙作に魅力を感じてくださる読者様には、評価や星を投げてくださると、作者の励みになりますので、気が向けばよろしくお願いします。
m(_ _)m
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