第五話 東・葉子と田平

「はあっ!」


 東の方角では、葉子ようこが病魔たちと戦っていた。彼女は手にした二本の短刀を振るい、次々と病魔を倒していく。その動きは、まさに疾風のような素早さだった。

 獣のような姿をした病魔たちは、素早い動きで葉子に襲いかかってくる。だが、葉子はそんな病魔たちよりさらに素早く動き、攻撃をかわしていった。


「ふっ……!」


 葉子は短く息を吐くと、一気に加速した。そしてそのまま、目にも止まらぬ速さで駆け抜けると、すれ違いざまに病魔たちを斬りつけていく。その一撃は鋭く、素早く、確実に敵を捉えていった。


「やぁっ!」


 葉子が短刀を振るうたび、病魔たちが倒れていく。彼女が通った跡は、光の軌跡と化していた。


「ふぅ……これで全部かな……?」


 周囲を見渡しながら呟く葉子。そんな彼女の側に、田平たひらが駆け寄ってきた。


「あ、『タビラコ』さん!」

「『ハコベラ』、ちゃん……。はぁ、はぁ……やっと、追いついたよ……」


 田平は息を切らせながら言う。どうやら、ここまで全力で走ってきたようだ。


「大丈夫、かい? ……って、聞くまでも、ないかな……」

「はい! これくらいなら大丈夫です! ……それより、タビラコさんは平気ですか?」


 葉子にそう聞かれ、田平は苦笑する。


「まぁ、なんとかね……でも、ちょっと疲れてきたかな……」

「あ、じゃあ休憩しましょう! この辺はもう安全ですし……ほら、あっちに木がありますよ!」


 そう言って葉子は走り出す。田平もその後を追って行った。

 二人は木陰まで来ると、そこに腰を下ろす。そして一息ついた後、田平が口を開いた。


「……やっぱり、ハコベラちゃんは強いねぇ」

「えへへ……ありがとうございます! でも私、もっと強くなりたいんです!」


 葉子は拳を握り締めて言う。そんな彼女の表情からは、強い決意が感じられた。


「私はまだ、弱いから……。もっと強くなって、皆さんの役に立ちたいんです!」

「……そうか」


 田平は微笑む。その笑顔にはどこか、慈しみのようなものが含まれていた。


「……ハコベラちゃんらしいね。でも、あまり無理はしないようにね」

「はい、分かってます! でも私、頑張りたいんです! 強くなるために、お父さんにも鍛えて……」

「しっ!」


 葉子の言葉を遮るように、田平が人差し指を口元に当てる。その表情は真剣で、何かを警戒しているようだった。


「……何か、いるんですか?」

「うん……近いな……」


 二人が耳を澄ませると、草むらをかき分けるような音が聞こえてきた。それと共に聞こえるのは、獣のうなり声のような音だ。その音がどんどんと近づいてくるにつれて、周囲の気温が下がっていくような錯覚を覚える。


「……っ、これは……」


 田平は何かに気づいたように目を見開く。そして次の瞬間には、彼は葉子をかばうように立ちふさがった。


「ハコベラちゃん、下がってて!」

「え……?」


 突然のことに戸惑う葉子。そんな彼女の目の前で、田平は鎖鎌くさりがまを構えた。すると……草むらの中から現れたのは、巨大な狼のような姿をした病魔だった。その目は赤く光っており、体の一部からは黒っぽい液体が垂れ落ちてきている。


「っ……!」


 その姿を見た途端、葉子は恐怖を覚えた。全身が震え、足がすくむ。しかし、田平は違った。彼はおくすることなく前に出て、葉子を庇うように立ち続ける。


「……ハコベラちゃん」


 田平は葉子を振り返り、安心させるように微笑んだ。そしてそのまま、優しく語りかける。


「大丈夫だよ、ハコベラちゃん。君は一人じゃない」

「……あ」


 葉子は田平の言葉にハッとする。すると不思議なことに、恐怖心が薄れていくのを感じた。


「タビラコさん……」

「僕がついてる。……こんなおじさんだけどさ」


 田平はそう言うと、苦笑を浮かべた。そして再び前を向き、狼のような病魔と対峙たいじする。


「さあ! ここから先は行かせないよ!」


 彼は手にした鎖鎌を振り回し、威嚇いかくするように叫んだ。その声にこたえてか、狼のような病魔が雄叫びを上げる。


「タビラコさん!」


 葉子が叫ぶと同時に、病魔が田平に向かって飛びかかった。しかし彼は動じることなく鎖鎌を構え、その攻撃を弾く。そしてそのまま、反撃に出た。


「はっ!」


 田平は手にした鎖鎌を巧みに操り、病魔に攻撃を仕掛けていく。その動きは彼の熟練した技術の賜物たまものであり、その攻撃一つ一つが確実に病魔を捉えていた。

 しかし、相手もまた強敵だ。田平の攻撃を受けてなお、狼のような病魔はひるむ様子を見せなかった。それどころか、さらに激しく暴れ始め、そのきばが田平に迫る。


「っ……!」


 田平は咄嗟とっさに飛び退き、攻撃をかわした。しかしその一瞬の隙を突き、今度は病魔が大きく口を開けて突進してきた。


「タビラコさんっ……! たあぁぁっ……!」


 葉子は反射的に駆け出すと、手にした短刀で病魔の胴体を斬りつけた。その攻撃は確かに命中し、狼のような病魔は怯んだように動きを止める。


「ハコベラちゃん……!」


 田平が驚いたように声を上げると、葉子は振り返りながら微笑んだ。そして再び前を向き、狼のような病魔に対峙する。その目に恐怖の色はなく、ただ強い意志だけが宿っていた。


「タビラコさん、私ならもう大丈夫です! だから……」


 葉子はそう言うと、手にした短刀を力強く握り締める。そして、真っ直ぐに病魔を見据え、叫んだ。


「一緒に、戦いましょう!」


 その言葉と共に、葉子は駆け出した。そして一気に加速し、狼のような病魔に接近すると……その勢いのまま、短刀を振り下ろす。しかし、その攻撃は病魔の爪に弾かれてしまった。


「……くぅっ」

「ハコベラちゃん! 離れて!」


 田平の声で我に帰る葉子。慌てて病魔から距離を取った。間一髪、病魔が振るった爪は空を切る。


「タビラコさん、ありがとうございます!」


 葉子は礼を言うと、再び短刀を構えた。田平もそれに続き、鎖鎌を構える。二人は互いの顔を見てうなづき合うと、同時に駆け出した。そして、それぞれの道具を振るう。


「はああぁぁっ!」「やあぁぁっ!」


 二人の攻撃が合わさり、狼のような病魔の体を斬り裂いた。その傷口からは黒っぽい液体が流れ出し、周囲の草を黒く染める。しかしそれも束の間で……すぐに傷口は塞がってしまった。


「そんな……!」


 葉子は思わず声を上げる。しかし、田平は冷静に状況を分析していた。

 相手は再生能力が高く、小さな攻撃では効果が薄い。それならば、大きな一撃を与えるしか無いだろう。……だが、二人がかりの攻撃でも、まだ足りない。

 田平が考え込む間も、病魔は容赦なく攻撃を仕掛けてくる。葉子はそれを必死に避けながら反撃の機会をうかがっていた。……しかし。


「……っ、きゃあっ!」


 体力の限界が来たのだろう。葉子は病魔の攻撃を避けきれず、その場に倒れ込んでしまった。


「ハコベラちゃん! ……くっ」


 田平は叫び、彼女を庇おうと動く。だが、ひそんでいたのであろう何匹かの病魔が、その行く手を阻んだ。

 同時に、狼のような病魔が大きく口を開けた。そしてそのまま……その牙で、彼女の体を貫こうとした瞬間だった。


『……はっ!』


 突然、どこからか現れた影が、病魔と葉子の間に入る。逆光で顔は見えないが、その影は男性のようだ。彼は手にした槍で病魔の牙を受け止めると、そのまま押し返した。そして流れるような動きで槍を構えると、素早く突きを放つ。


『……ふっ!』


 放たれた一撃は見事に命中。病魔は大きくよろめき、後退った。病魔の体についた傷は、不思議なことに再生せず、黒っぽい液体がそこから流れ続けていた。


『……後はなんじらに任せるぞ』


 そう言って、男性は葉子を見やる。その時、初めて葉子は彼の顔をまともに見た。それは……


「タビラコ、さん……?」


 葉子は呆然と呟く。その顔は、田平の顔と瓜二つだったのだ。


『行け』

「は、はいっ!」


 葉子は慌てて立ち上がり、短刀を構える。そしてそのまま病魔に向かって駆け出した。


「やああっ!!」


 気合いと共に振るわれた一撃。その刃が病魔の体に突き刺さる。すると、そこから光が溢れ出した。声にならない悲鳴を上げ、狼のような病魔は消滅していく。


「や、やった……!」


 葉子は安堵のため息をつくと、その場にへたり込んだ。そんな彼女に手を差し伸べたのは……やはり田平だった。


「……ハコベラちゃん! 大丈夫かい!?」

「あ……タビラコさん」

「……うん、怪我はないみたいだね。良かった……」


 田平はそう言うと、心底安心したように微笑んだ。葉子もつられて笑顔になる。


「……ありがとうございます! おかげで助かりました。……タビラコさん、槍も使えるんですね」

「うん? 僕は鎖鎌しか使わないよ。ほら」


 そう言って、田平は鎖鎌を見せてきた。確かに彼の得物はこの鎖鎌だ。それに、田平に双子の兄弟がいるという話は聞いたことがない。


「え……? でも、さっきの人は……?」


 葉子は混乱したように呟く。田平は困ったように頭をいた。


「誰か、いたのかい? 僕は小さいやつを相手してたから、気がつかなかったけど……」

「……そう、ですか。……じゃあ、あれは私の見間違い……?」

「うーむ……僕にはわからないなぁ。でも、きっと……」


 田平はそこで言葉を切る。そして、どこか遠くを見るような眼差しで呟いた。


「その人も……ハコベラちゃんを護りたいって、思ったんだろうね」


 その言葉に、葉子は思わずハッとした。そして、もう一度先ほどの男性を思い出す。神様か、それとも仏様か……。いずれにせよ、彼は葉子の窮地を救い、そして消えていったのだ。


「そう……ですね」


 葉子は小さく呟き、微笑んだ。その笑顔はどこか晴れやかなものだったという。

 彼女は改めて、自分の周りの人々の強さと温かさを感じていた。……そして、自分もまた彼らとともに歩んでいきたいという思いを新たにしたのだった。

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