王宮の薔薇、愛憐の肖像

オリーゼ

薔薇色の頬に囚われた画家、肖像に慰められた王

 曇りなき蒼穹を思わせる大きく澄んだ瞳、薔薇色に染まった頬、黄金比そのままに配置された顔のパーツ。綺麗に並んだ歯はさながら真珠の煌めきだ。

それをふちどり、いろどり、さらに輝きを加える豊かで艶やかな黄金の髪。

 もちろん顔貌だけではない。ほっそりとした首、誰もが一度は夢に見る理想的なバランスのすらりとした肢体。

 万人が惹かれる美しさの指針を、その女はすべてその身に宿していた。

 圧倒的な美を持つ女に、老若男女が吸い寄せられ、その美しさをほめそやす。


 だが、女の肖像画を描くことになったとある画家はその容姿に惹かれなかった。

 美の指針そのままだからこそ、ありきたりで面白味がない。

 凡庸。定番。つまらない。

 ついには美貌を王にみそめられ、嫁することが決まった彼女のその美しい姿を淡々とキャンバスに写し取り、色を塗って持っていくと女は満足そうにほほえんだ。


「貴方の絵は曇りがなくて好きだわ。私の本質を描いてくれている」


「そう、でしょうか?」


 つまらないと思いながら描いているとは言えず曖昧に答えると女は薔薇色の頬のその色を、ほんのりと濃くしてほほえんだ。


「だって、あなたは私の見た目に惑わされないで描いてくれているもの」


 ありがとうと、はにかんだ彼女のその美しい頬の色。

 画家はそこではじめて彼女に惹かれた。

 だが、それは遅きに失していた。

 一介の画家が王の妃にふたたび相見える事など叶うはずもない。

 画家の男はとりつかれたようにその時の彼女の姿を思い出しては想像で肖像を描いて、自分が惹かれたものを再現できずに放り投げた。

 家人がその失敗作を生活のために売りさばいているのを黙認し、画材を買い込み、ただひたすらあの時に惹かれた薔薇色の完璧なバランスを思い返して筆に乗せた。

 そうして四十年も経った頃、老齢となった画家は王宮に招かれた。

 王が王妃の肖像を描いて欲しいと依頼してきたのだ。

 男の知らぬ間に自分の失敗作を貴族達がもてはやし、ついにその絵が王の目に留まったらしい。

 王宮を訪れて謁見の間へ通された画家は、王と王妃に礼を取る。

 そこには自分が年老いたように、老齢となった女が王の隣に座っていた。

 弛んだ顔の皺によって蒼穹の瞳は小さく隠れ、薔薇色の頬は老いてひび割れ枯れていた。

 そして煙るようだった金の髪は白く薄くなっていた。

 あの時美しいがつまらないと思っていたすべてが、彼女から失われていた。

 だが、そのかわり王を愛して共に人生を歩み、国を慈しんで育ててきた人生が、彼女の物腰すべてに表れていた。

 それはあの時に美しいと思った薔薇の頬よりもさらに美しく感じられた。


「久しぶり。あなたが嫁入り前に描いてくれた肖像は今でも飾ってあるわ」


「ああ、あのつまらなそうな顔をしているやつか。余にはあれの良さは分からないが、妃は気に入っていてね。だが、貴族の家で見かけた肖像はとても良かった。だからそなたを召したのだ」


「もったいないお言葉にございます」


 侍従に案内されて画室に移動すると、画家は王妃の肖像を描きはじめた。

 本物の王妃を前に、一心不乱に、いままで培ったすべてを込めて。

 寝食も忘れ、彼女の今持つ美しさをそのままキャンバスに落とし込み、そして最後に思い立って、キャンバスに描かれた肖像の頬をほんのわずか薔薇の色で染めた。


「とても良く描かれているわ。鏡を見ているみたい。今の私らしく描けていると思う。とくにこの目の皺のところがそっくり。でもこんなに綺麗な色の頬をしているかしら」


 そう言った王妃に王が微笑みかけた。

 王と視線を合わせてはにかむ王妃の頬はわずかに上気し朱に染まっている。

 それは彼女とまみえることでようやっとキャンバスの上に再現することができた、世界で一番美しい薔薇の色だった。

 それをふたたび目の当たりにし、絵の中に再現ができたことで画家は心の底から満たされていた。


「ああ、今の君はこの肖像通りの表情をしている。歳を経てもなお美しく愛しい我が王妃。画家よ、希望の褒美をとらせよう」


 王の賞賛は栄誉なはずだが本懐を果たした画家にとって不要な物だった。

 だから画家は跪き、深く深く頭を下げてそれを断った。


「もったいなく過ぎたお言葉にお礼を申し上げます。ですが、再び王妃殿下におめもじし、肖像を描かせていただくことが出来た栄誉だけで画家の本懐をとげており、さらなる栄誉は不要にてございます」


「欲のないことだ。だが王の体面を保つためにも後世の画家のためにも、この素晴らしい肖像を正当に評価せねばならぬのだ。それほどまでにこの肖像は素晴らしい」


 王の重ねての言葉に画家は平伏し、申し出た。


「では、一つ望みを。この肖像と最初の肖像を末長く、ともに王宮に飾っていただくのが私の願いでございます」


 画家の願いを受け入れた王は、二枚の肖像画にそれぞれ『美しき王妃の素顔』と『老いてなお美しき王妃の肖像』と名付け、二枚一組の肖像として王宮の画廊ギャラリーの最も目立つ場所に飾った。

 お披露目の日、画家は目を細め満ち足りた表情でその二枚の絵を見つめていたという。

 

 画家の遺作となったこの肖像画は奇しくも王妃の最後の肖像画ともなった。


 最愛の王妃に先立たれた老王は仕事の合間に画廊ギャラリーを訪れ、その絵の前にたたずむのが日課になった。


「おじいさま! また絵の中のおばあさまとおはなしされているのですか?」


 王妃の面差しを継いだ孫の頭を撫でた老王は微笑んだ。


「そうだよ。それが数少ない楽しみだからね」


「どんなおはなしをされたのですか?」


「孫が私のことを気にかけてくれて嬉しいと伝えたよ」

 

「それは今のはなしじゃないですか!」


「ははっ。何を話したかは私と妃だけの秘密だ。ああ……彼にこの肖像を描かせてよかった。ここに来れば彼女に会える」


「たしかにこの絵のなかでおばあさまが生きているように思えます!」


「お前も楽しいことや悲しいことがあった時、おばあさまに聞いてもらいなさい」


「はい、そうします!」


 画家の精魂が込められた肖像画は、王妃の生前そのままの美しいたたずまいによって最愛の妻に先立たれた老王を慰めた。

 そして老王亡き後は、子供達や孫達も力づけ王家の人々に末長く愛される一組となった。

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