第31話:わし、大暴れじゃ!
無明の世界、そこに美しい翡翠の髪が流れる。
それに手を伸ばすも届かず、すり抜ける。蒼い眼、かつては大嫌いだった、少し経ち勇気をもらえるようになった。今はただ懐かしい。
もういない友の幻影を追う。
ふと、
『名前はどうするつもりだ?』
『ふっふっふ、すでに旅立ちの前に決めているんだ』
『もったいぶらずに教えてくれ』
『……んー、ヒントはこれ』
他愛ない世間話を思い出す。すぐ戦闘が始まり、中断してしまった会話。彼が描いたのは横向きの、数字の8であった。
∞、8、アハト。
(……夫婦そろって、センスがない)
今更気づき、セスランスは苦笑する。
ただ最後に、
「……?」
翡翠が、蒼が、風化して消え、そこにはなぜか枯れ枝のような老人が見えた。力なく、老いさらばえ、風が吹けば飛ぶような成りである。
だが、荘厳な雰囲気があった。
峻厳、孤高、孤塁、誰も近づけぬ圧倒的な高み。
白髪が、まるで時間を遡るかのように黒く染まる。背筋がすっと伸び、壮年から青年へ、力強く、威風堂々と立つ。
遥か高みより声が下りる。
大丈夫だ、任せろ、と。
そして、戦士は安堵して目を瞑る。
意識を手放した。
○
「アハト。そいつは攻撃が通じない。再生するし、バリアも固いんだ」
クーの助言を受け、
「ほほう、そりゃあ厄介じゃのお」
アハトは結構軽く返す。
相手を軽んじているのか、それとも自信があるのか。
「……勝てるのかい?」
リーベルも問う。彼が謎の強さを持つことに疑いはない。普通の相手ならむしろ見物してみたいとさえ思う。だが、相手はセスランスでも手も足も出なかった正真正銘の化け物である。一人の人間が勝てるとは思えない。
例え英雄ミーシャであっても、それは同じだとリーベルは思う。
それなのに、
「まあ、なんとかなるじゃろ」
あっさりとアハトは言い切った。この反応はやはり相手の力が推し量れていないのでは、と不安を抱いてしまう。
しかし、
「ただし」
押し寄せる醜悪なる獣を軽くなで切りにし、その強さの片鱗を示す。ただ埃を払っただけ、あれほどに強かった一つ一つの敵が掃き掃除程度の感覚で処理された。
「わしは守るのが不得手での。加えて、さすがにこの先は企業秘密じゃ」
それとほぼ同時に、またしてもアハトは結界を、しかも今度は内側から断つ。
これにはリーベル、クー、誰よりもエインが驚愕する。
「辻を、道を作った。先生を連れて脱出せよ。あと、わしのことは内緒じゃぞ。告げ口したらわし怒るからの」
「約束するよ」
「うん」
「ならよし。委細、任せよ」
「武運を」
「が、頑張って」
「おう」
リーベル、クーが足手まといにならぬように、とセスランスと共にアハトの作った道から脱出する。
「……式への介入、いや、結した時点でそれに意味はない。なら、概念の書き換え、上書きか? だとしたらそれは、魔術の領域ではなく奇跡だろうに」
理論的に外と内から結界を切り裂き、道を作った技を解析するも、どう考えてもありえない、がまず先に来る。
自分の学んできたもの、それを根底から覆すような技。
「君がメルテンスを葬ったのか」
「める……ああ、あの気持ち悪いやつじゃの。うむ、半分忘れかけとったが、まあまあ強かったぞ。出来れば心が折れる前に戦いたかったがのぉ」
「……なるほどね」
自身が超越する前なら、自分はメルテンスには及ばなかった。あれも大将を前に心折れたが、そもそも大将が出張らねばならない程度には暴れ回っていた強者である。
それをまあまあ、と言った。
強がりなどではない。本気でそう思っている。
自らの戦歴の中では取るに足らぬ相手であった、と。
「ちなみにぬしはエイン先生であっとるんか?」
「ああ。そうだよ」
「己が意思での選択なのじゃな?」
「もちろん。その選択をしたおかげで、僕は無敵の力を得た。全てを阻む防壁に、無限の再生力、誰も僕を止められな――」
「一の太刀・一文字」
防壁が、螺旋の大槍を、あれだけの準備を要してようやく破壊できた全てを阻むバリアが、一文字に断ち切られた。
そして、自分もまた上半身と下半身に、綺麗に両断される。
自らの玉座も、その背後も、全て一文字に。
「であれば容赦せぬ。ぬしはええ先生であった。短い間であったが、救われた恩もある。が、鬼の道を選び、わしの前に立った。なら――」
ぐにゃりと笑みを浮かべる。心底嬉しそうに。
そう、生粋の戦士は皆、存分に暴れられる戦場ではあんな表情をしていた。爛々と目を輝かせ、生死を問わずに嬉々として暴れ回る。
「死ぬより他の道はない」
肌が、粟立つ。
嫌な感覚が――止まらない。
○
「魔王様、急報です!」
当代魔王、先代魔王の娘であり皆が認める力と胆力を持つ武人なれど、
「うんめ、うんめ」
各領地からの献上品であるアゲイモに、同じく献上品であるチョコを溶かしてディップし、豪快にむしゃむしゃと食べる。
カロリー核爆弾を幸せそうに貪る様は真に魔王と呼べるのかもしれない。
パツパツのTシャツに、ダイエット厳禁の文字を掲げし王は、また更に肥える。
ぶくぶくと。
「なに?」
「ふぁ、ファリアスにて異変が発生し、『エリン』との接続が断たれました。もしかすると人間たちは和睦を破り、戦争を再開する気なのでは?」
「するわけねーだろ、アホか」
塩味と甘みの付着した指をべろべろと舐めながら部下を馬鹿にする魔王。カロリー制御も出来ない奴に言われたくねーわ、と部下は内心切れ散らかす。
「気になりませんか?」
「まあ、そりゃあな。つーわけでさ、頼めますかい『ノワール』当主代理」
「ッ⁉」
いたのか、と部下の男は驚愕する。心臓に悪いのだ、この女傑は。無邪気に好き放題して口が悪いだけの魔王などお世話が面倒なだけ。
何も言わずに、冷たい視線を向けてくる。
場合によっては鋭い殺意が飛んでくる。こちらの方がよほど怖い。
「チョコを献上させて、さらに第三の眼も使え、と?」
「大事なご子息をもいるだろ? あ、ご息女だっけ?」
「死にますか、小娘」
「やってみろや、ババア」
魔王は舌を出し、中指を立てる。品性皆無、ただし最強。先代にも腕っぷしだけなら負けず劣らずの剛腕を持つ、このぶくぶく魔王もまた怪物の一種。
無論、だからと言って安く媚びへつらう気はないが。
「ご、ご両人。その、仲良く行きましょ」
「冗談だよ、ネタのわからねー奴だな」
「ユーモアです」
(絶対やる気だったじゃん、あんたら)
行方知れずの当主に代わり、『ノワール』を率いるクーの母はため息を一つ、それから両眼を閉じ、彼女の魔眼である第三の眼を開く。
それは万里を跳躍し、
「王樹のふもと、これは……インガルナの結界です」
皆の前に彼女が見ている景色を映し出す。
「インガルナ? ああ、確か親父殿のオキニだろ。よく優秀だって自慢してたぜ、こっちは政治だ勉強がどうだ、興味ねーってのに」
(先代が健在でも次期魔王だったんだから興味は持てよ)
「私のはらぺこ様も信頼していましたね。戦後、叶うのなら嫡男! のクーに教師としてつけたかったのですが彼もまた行方知れずでした」
「……でも、評価は戦力じゃなかったよな?」
「幻術は達者でしたし、案外腕利きではありましたがそうですね。これほどの結界術を結べるとは、存じませんでした」
「……中、見れるか?」
「……いいでしょう」
ちらり、と視界はクーを映し、女傑にとって一番確認したかった無事は見て取れた。少しダメージを負っているところを見ると、そうした相手を殺したくなるがそれをぐっと我慢して、王の命令通りに結界の中へ視線を移す。
恐ろしいほどの完成度で、厚みも尋常ではない。
普通の結界なら容易く透けるが、この結界は見ることすら難しい。
視界は薄く、そして判然としない。
その時点で、
「……ありえない。この強さは」
自分より、愛する旦那より、強い。
少なくとも結界の完成度は隔絶の開きがある。
「たぶん『エリン』だろ。ミー太郎が私様に言っていた。唯一の懸念は、あれを個人が独占し、その力を意のままに操られたら手が付けられない、と」
「つまり、人間の失態ですね」
「そりゃそう。まあ、犯人は魔族だけどな」
「……ッ⁉」
「……おい」
女傑が、魔王が大きく目を見開く。
ようやく薄っすらと開けた視界、結界の奥には二つの影があった。厳密には結界のギミックとしての影は無数にあるが、それはどうでもいい。
重要なのは二つ。
「……どっちだ?」
「わかりません。しかし、これは……こちらが敵の場合」
「……おい部下ァ」
(部下って名前じゃねーんだが)「はい」
魔王は一つの影を注視する。
そして、
「七大貴族全員招集、戦争準備だ」
「ぜ、全員ですか!?」
「状況次第だが、総力で当たらねーとどうしようもねーだろ、これはよォ」
王としての備えを伝える。
「しょ、承知いたしました」
「何事もねーことを祈れ。こっちが敵なら、私様たちは決死でかからんと話にもならねーぞ。つか、どこにいたんだよ、こんなのがよォ」
「……」
部下視点、化け物でしかない魔王が戦慄している、畏怖している。
部下にはわからないが、尋常ではない何かが起きているのだろう。命令通り動くしかない。王の言う通り、何事もなく終われと祈りながら。
「見てるか、ミー太郎。テメエはどう見る? こいつをよォ」
魔王は自身の好敵手に問いかける。
○
同時刻、
「……マジ?」
何となく不穏な気配と、もしもの時は手伝いを、と戦友に頼まれていたためファリアスの近くまで英雄ミーシャは単身、到達していた。
だが、その手前で立ち止まり、分厚い結界の内側からこぼれ出る、尋常ではない気配に足を止めていた。
「俺とデブ魔王が組んで……ワンチャンある? いや、どうかな? ちょっと推し量れん。こんな感覚は、生まれて初めてだ」
鳥肌が止まらない。
自分一人では絶対に勝てない。生まれてこの方、誰が相手でも、格上だろうが何だろうが絶対に勝つ気であった男が初めて、戦う前から勝てないと判断してしまう。輝ける才能に、膨大な戦歴を搭載した自分が――
「……信じらんねえ」
此処まで開きのある相手がこの世に存在したのか、と。
○
「ええ具合じゃア! 久しぶりに気兼ねせず振れるわい!」
刃は研ぎ澄まされ、柄をごつく補強することで打ち直すことなく生まれ変わった長老の剣を振るい、アハトは久方ぶりの殺戮に狂喜していた。
「結界、解くでないぞ! まだまだ斬り足りん!」
無尽蔵に湧き出す敵を切って切って切りまくる。普通、とっくに辟易し、疲労し、顔を苦痛に歪めるはずなのに、むしろ斬れば斬るほどに男は笑みを深めていく。喜びをあらわに、全身で切り伏せてくる。
「何なんだ、君は」
自分が覗いた時、彼は普通の少年だった。自分の道に悩む年相応の少年。その眼には闘争心はなく、口調はともかく凡庸な存在だったのだ。
だが、今刃を振るい嬉々としている戦士は、自分が焦がれてきた者たちと同じ眼をしている。戦いが好きだ。殺し合いが好きだ。
闘争本能の獣、本能をも超越する戦いの化身。
あの眼、あの笑み、忘れもしない。
「何なんだ!」
だけど、彼らはそれを隠さない、隠せない。零れ出ていた。自信が、自負が。振り撒いていた、相手を威嚇するように。
同類を誘うように。
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