第18話:残空

 圧、としか言いようがない。

 その瞬間、脳裏に過ぎったのは過去の幻影。

『大将閣下、あれが対象でございます』

『小生、腹が減ったなり』

『……閣下』

『あれ、喰ってよいか?』

 七大貴族『ノワール』の称号を持つ者と生まれて初めて遭遇し、対峙し、心が折れた。あの底無しの欲望、捕食者と被捕食者の、揺らがぬ関係性。

 突き付けられた格の違いに、今までの自負は砕け散った。

 生まれた瞬間、勝ち負けは決まっている。それを理解させられた。それでも飲み込みたくなくて、今もこうして捕食者として振舞っている。

 もっと喰らい、もっと強くなる。

 それに――

(そうだ。そうだとも。私を脅かしたのは魔王に連なる七柱の大将が一角。人間とは格が違う。人の英雄とやらが先代魔王を討ち滅ぼしたのも、どうせ『エリン』のように天から何かを授かっただけに違いない。人間は魔族に及ばんのだ。絶対に、生まれた瞬間、それは覆らぬ運命として存在する!)

 その差を覆すためにあの男の策に乗ったのだ。

 この人間を悲鳴と共に、絶望と共に喰らい、美味しくいただいた後、上手く立ち回ればいい。そうすれば手に入るのだ。

 神石『エリン』、その恩恵が。

 そのために――

「死ぬ? 誰に口利いてんだァ? 人間ンン!」

 自分は捕食者として人間を食い千切る。

「我が名はメルテンス! 生態系の頂点に君臨し、いずれは全ての、万物を喰らう者だ! 跪け、人間ン!」

 ただそれだけのこと。

 無数の触手が、踊るようにアハトへ迫る。その触手が到達する前に、凄まじい速さで断ち切られるが、

「くひゃひゃひゃひゃア! 残念無念、私の身体はなぁ、増えるんだよォ!」

「ほう」

 斬られた断面から、二本三本と増えて生えてくる。

 今まで蓄えてきた力、喰らってきた魔獣の、魔族の、人間の、彼らからエネルギーを過剰に摂取し、それが増殖へと繋がる。

 再生の上位互換、手が二つしかなく、あの錆び付いた、おんぼろの牙しか持たぬ者相手に、自分は倒せない。

 手が足りないから。

 威力が足りないから。

 何もかもが足りないから。

 だって――人間とはそういう弱い生き物であるから。

「口先ばかりのハッタリ野郎が! そんな小さい牙を、必死にぶんぶん振り回して何の意味がある!? 無駄なんだよ、私は強い! 私は最強だ!」

「ならば、何故擬態する?」

「あ?」

「相手を油断させ、喰らう。まあ野生じゃよぉあることよの。しかし、ぬしのそれは出来が良過ぎる。過剰じゃ」

「何が言いたいィ⁉」

 ひゅんひゅん、と柔らかく、軽快な剣で相手を切り裂き、回避し続ける。されど決定打はない。むしろ、相手の手数が増えるばかり。

「その技術、何時会得した?」

「……黙れ」

 本来、景色と同化する程度の能力であった。それ以上必要がなかったから。だけど、あの出会いを経て、あらゆる生物へ化けられるようになった。

 自分はそれを成長だと思っていた。

 より高みへ至るためへの――そう思い込むしかなかった。

「弱さが透ける、と言うとる」

「ほざけ!」

 メルテンスにとって見たくない現実。誰にも下げたことがなかった頭を下げ、媚びへつらい生き延びた。魔王軍の傘下に組み込まれることを条件に。

 誰にも縛られたことなどなかった。

 自身を最強だと認識していた。

 誰にも負けたことなどなかった。

 そんな自分を取り戻す。そのために利用できるものは何でも利用する。

 あの日失ったものを――

「どうしたァ! 私を弱いと言った貴様は、さっきから手も足も出ずにジタバタと矮小な牙を振るうだけ! 張りぼての気迫、貴様こそ強者に擬態した雑魚だ!」

「ぶはは! わしが雑魚と来たか」

 今一度。

 とさか男、ライトは愕然と立ち尽くしながら、その攻防を必死に眺めていた。必死に眺めねば、凝視しなければ、そもそも目に留まらないのだ。

 どちらも凄まじい速さである。

 目にも留まらぬ攻防、そう思えるような戦いは幾度も見てきた。ファリアス国立学院の高等部は魔境である。上位陣の戦いは悔しいが手も足も出ない。

 その上に先生方もいる。

 元々一線級の戦士や騎士、冒険者であった人たちばかりであるから。

 たくさんの強者を見てきた。プロと呼ばれる人たちも、一流と謳われる人たちも、父親の伝手で見たことがある。教わったこともある。

 対峙したこともある。

 その、誰よりも速く、強い。

 どちらも――

(俺が泳がされていたのは、いつでも殺せたから。逃げようとしても、それこそ一眠りしてからでも余裕で追いつける、力の差があったから、か)

 おそらくあのメルテンスと名乗る魔族は上位、魔族の中でも相当な上澄みのはず。そして、それと渡り合うアハトはもう、プロがどうとかいう次元ではない。

 自分が心意気に惚れ込んだ男は、自分の知る限り最強の戦士でもあった。

 だけど、

(兄貴でさえ、手の打ちようがないのか。相手の能力が強過ぎる。何なんだよ、増殖って。インチキじゃねえか! しかも――)

 そのアハトでさえ苦戦している。

「ほーれ、斬ってみろォ!」

「……むう」

 地面が抉れるほどの毒液が触手から放たれた。強酸、否、この威力ともなれば超酸と呼ぶべきか。自然界に存在するPhとは桁違いであろう。

 受けを許さぬ厄介な攻撃。

(なんだよ、これ。卑怯過ぎる!)

 それをこの攻防の中で撃ち出す殺傷能力。

「本当に口だけだなァ!」

 全身兵器。

 まだまだあるぞ、本領発揮はこれからだ、とメルテンスは嗤う。いたぶり殺してやる。あの怪物を想起させただけで万死に値する。

 ただでは殺さない。

 もっともっと――悲痛に泣き叫ぶまで。

「一つ問う。ぬしの協力者をわしに吐く気はあるか?」

「は?」

「わしゃああまり腹芸が得意ではない。一度しか聞かぬ。答えたなら、前言を翻しこの剣を納めると約束しよう。どうじゃ?」

「馬鹿か? 圧倒的優勢の私が、なんでそんな交渉に乗らなきゃいけない?」

「言わぬ、でええんじゃな?」

「当たり前だろォがボケェ! お次は炎と毒で足場を潰し、空気も侵す。人間には生存不可能な空間に、して……あ、れ?」

「まあ、ぬしはそう言うと思っておったよ」

 ふう、と腰をさすりながら、

「思っておったより手数がかかったのぉ。あまり使う気がないとはいえ、得物の手入れを怠るとこうなる。ここまで来たら打ち直しじゃろうが……まあそれは後日じゃな。お金もかかるし。とにもかくにも、ちと疲れたわい」

 アハトは錆びた片刃の剣、その切っ先をメルテンスへ突きつける。

「気を遣っての……じゃが、もう終わりじゃ」

 だが、メルテンスからすればそれどころではない。少し前までは見えていなかった。見えぬように消していたのだろう。

 自分を囲うように、夥しいほどの数の何かが虚空に留まっていたのだ。

 全身の本能が叫び散らす。

 これは不味い、と。

 突然現れた死の気配。それはあの日よりも遥かに濃厚で、絶対的であった。絶対に、確実に、蟻一匹逃さぬ、そんな決意が見える。


「二の太刀・残空」


 そう、虚空に無数浮かぶは全て、アハトの斬撃であった。

 空に残りし斬撃、かつて若き日、自らの刃が取りこぼした敵が逃げ去り、別の集落の民の、子どもの命を奪われたことがあった。その時の悔いが生み出した、無双の剣豪が二の太刀・残空。

 その真骨頂は、手数を残し、蓄えられることにあり。

「話す! だから――」

 アハトは突き付けた剣を軽やかに旋回させ、最後は厳かに鞘へ納める。

 チン、と小さく音が鳴りて――仕舞い。

「包囲殲滅」

「タスケ――」

 斬。

 無数の斬撃が一斉にメルテンスを襲い、微塵に切り裂き、塵一つ残さずに消し飛ばす。完全に、完膚なきまでに、逃げ場無しの有無を言わせぬ殺傷。

 情け容赦もない。

「待たせたの。小器用な敵であったゆえ、確実に仕留めるため手間をかけた。あ、わしを侮るでないぞ。得物が万全であればもっと思い切り振り回して、ちゃちゃっと手数を増やして終わりじゃ。万全ならそも、二の太刀である必要もないしのぉ」

 無双の剣豪、情けなくも言い訳に走る。

 得物がの、錆びとるのが悪いんじゃ、と。

 それが逆に、

「……あの、弟子に、なりたいっす。切に」

 ライトの眼には凄味にしか映らなかった。

「嫌じゃい! 何度も言わせるでないわ、たわけ。ほれ、肩を貸せぃ」

「すいません。ありがとう、ございます」

「謝罪はわしではなく、迷惑をかけた者たちに言うんじゃな。わしは大したことなどしとらん。強さは大鬼、されど心は折れとった。すでに敗北者、ただの負け犬相手じゃったしの。何の誉れにもならぬわ、あの程度の輩なぞ」

「……俺、今日のこと一生忘れません」

「まあ、よう生きとった。相手の悪趣味のおかげとは言え、生き延びた方が勝ちじゃ。その点だけは胸を張れ。その点だけの」

「はい、師匠」

「おい、どさくさに紛れて弟子入りすな! わしは弟子など取らん!」

「じゃあ、一旦兄貴で」

「それもやめい!」

 自分のせいで死地に追いやったことには反省したが、それはそれとしてやっぱこいつ面倒じゃのぉ、と思うアハトであった。

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