第7話:信ずるは己、上を向いて歩こう

 燦燦と降り注ぐ太陽を浴びながら、

「ふひ~」

 精神年齢88+12、御年100歳の大台に乗ったアハトは天を仰ぎ、激戦の合間である昼休憩を中庭のベンチで過ごしていた。

 午前は主に理系分野、科学、数学であったが、どちらも四つの大問からなる超難問の目白押し。特に数学は解法すら見当もつかぬ問題が後半にずらりと並び、さながらしんがりを務める絶望感を味わうことになった。

 ただ、

(……ママ上の教え通り、とにかくペンを動かし埋められる分は埋め、足掻くだけは足掻いた。解けた分、手抜かりはないはずじゃ。じゃが――)

 やれる分はやった。のたうち、藻掻き、足掻くのは得意なのだ。生死を分かつ戦場で人生の大半を過ごしてきた。

 必死に関して彼の右に出る者はいない。

(――そもそも太刀打ちできぬ問題が多過ぎたのぉ)

 とは言え、引き出しに存在しないものは足掻いたところでどうにもならない。正直手応えは薄い。

(……周りの手もあまり動いておらんかった。楽観できる点はこれぐらいじゃの。くく、わしが敗北の線引きを勘定する羽目になるとはのぉ、人生わからぬ)

 至らぬことが悔しく、明らかに自分よりも勝る者が周囲に幾人もいる状況は歯がゆい。されど、眩暈がするほどの壁の高さは新鮮で、やはり胸躍るところはあった。

 剣の道も苦難の連続であったが、誰よりも才能があり努力も楽しく末期の、老い、迫り来る死を前に焦っていたあの時期を除き、努力を苦と思ったことはない。

 それは自らの天稟がゆえ、と今更知る。

(ペンの動き、迷いのなさ、わしの見立てでは突出しとるのは二人じゃな。一人はあそこの、ツンと一人で黙々と飯を食っとるおさげの女かの。後半戦に至ってなお、ペンの走りに迷いがなかった。見事じゃ。ほんで――)

 ちら、とアハトは視線を移す。

 もう一人優秀であろう者がいた。ただ、見るからに鉄の心を持っています、というおさげの少女と比べ――

「お、おえ、えぐ、ぁ」

 隅でえずく丸っこい少女は見ての通り午前中からずっと体調が悪そうであった。何度か試験管から声をかけられるほどに。

 今もまともに食事が出来ていない。

 朝から吐き通しなのか、口元からこぼれるのは胃液のみ。

(重傷じゃのぉ)

 見るからに満身創痍。されど、誰も手を貸そうとしない。理由は言わずもがな、彼女が競争相手であるから。脱落してくれた方が都合がいいのだ。

 競争ゆえ、その道理はわからなくもない。

 ただまあ、

「ほれ、ハンケチじゃ」

 殺し合いでもなし、多少の情けぐらいあってもいい、とアハトは思った。それに中身老人の自分が若者を引きずり下ろし、それで勝ったとて虚しいだけ。

 周囲の者らには少々悪く思うが。

「……す、すみません」

 消え入りそうな声で感謝を告げるが、他人のハンカチを汚すことに抵抗があるのか使おうとしない。

 なので、

「人の善意を無碍にするでない。ハンケチはの、汚すためにあるんじゃ」

「む~」

 ハンカチを握る手を取り、無理やり口の周りを拭いてやる。生憎人付き合いすら苦手な生前は孤独死をキメたジジイである。

 繊細な気遣いは出来ない。しない。

「水じゃ」

「口、汚い、です」

「ええわい。わしゃ尿が同世代より近くての。これ以上飲む気はない。そして飲む必要があれば、わしはゲロまみれでも気兼ねせず飲む。繊細に出来とらんのでな」

「……すみ――」

「謝罪は要らん。欲しいのは感謝じゃな。ほれ、背中もさすってやろう」

「……あり、がとうございます」

「ふはは、なんのなんの」

 アハトは背中を優しくさすってやる。まん丸の少女は目を覆うほどの長い髪のせいで表情も伺えない。それを覗き込むほど悪趣味でもないが。

「立てるかの?」

「……だい、じょうぶ、です」

(全然大丈夫そうではないのぉ)

 武の達人ゆえペンの流れでなんとなくわかるが、彼女は見当違いの解答を迷いなく書き連ねている、でもなければ上の方だとアハトは思っている。

 なのにこの様子。何が彼女をここまで追い詰めるのであろうか。

 とりあえず背中はさすり続ける。

「まあ昼休みはまだある。ゆっくりすればええわい」

「……私の、せいで」

「わしが勝手に要らぬ節介をしただけ。気負わんでええ」

 周囲からこちらを窺う視線もあれば我関せず、と最後の追い上げに余念なき者もいる。母の夢をかなえるために、自分もそうすべきなのだろう。

 劣る者なのだ、足らぬ者なのだ。

 剣なら――たぶん自分は迷わずにそうしていた、かもしれない。

「私、いつも、駄目で……勉強しか出来ないのに、緊張で、上手く出来なくて、自分を変えたくて、一念発起しても、このザマで」

(ぬしでそのザマならわしはなんじゃ? アホか間抜けか?)

 言い返したくなったがぐっと飲み込む。

 童相手に大人気ない、と精神的年長者パワーでギリギリ堪えていた。二十年若かったら言い返していたはず。百年の重みは凄いのだ。

「ぬしの国はどこじゃ?」

「プルヌスです」

「……どこじゃ?」

 地理は社会の科目で必要となるためそれなりに頭へ入れたが、プルヌスという国名も地名もピンとこない。ちょっと自分も追い上げをしたくなってしまう。

「……とても、田舎なので、知らなくても無理ないです」

「まあわしも田舎じゃ。メーアから来た」

「海沿い、ですね」

(即答じゃのぉ)

「私の国は山ばかりの、海なし国家なので、海、見たことがないのですが」

「わしも郷里は山じゃの。西方と比べると平地が猫の額ほどしかない土地での。山ばかりで移動に骨が折れるは、街道は細く険しいは……懐かしいのぉ」

「……おじいちゃん、みたい」

 そう口にしてしまい、咄嗟に失言したと口を抑える少女を見て、

「じゃろう? やはり漏れ出てしまうのぉ、困ったもんじゃ」

「……?」

 何故か嬉しそうにドヤるアハト。そう、精神年齢が老人であるはずなのに、ママ上筆頭に微塵も老人として扱ってくれぬため、少々思うところがあったのだ。

 全てを知るママ上はさておき、疑う者が出てもおかしくないだろうに。誰一人疑いもしない、ずっと童として扱われてきた。

 とうとう、おじいちゃん扱いして貰えたのだ。

「田舎出身じゃと、あれか。他者と競い合う場は今日が初めてかの?」

「……はい」

「わしもじゃ。しかもわしに至っては準備不足での。力も足りとらん」

「そ、そんなことは――」

「事実じゃ。じゃが、これがまた悪い気分ではなくての。壁の高さ、挑戦の難しさ、胸躍る気分でな」

 少女は話し相手の大きさに、情けなくて俯く角度が深くなる。

 相手の眼を見ることも出来ない。弱い自分とは違う人。

 前向きで、自分が苦しいのに手を差し伸べることもできる、凄い人。

「あと、一つ発見もあった。剣での戦はの、生死を分かつ。生温いことは言えん。ぬしが敵なら、わしは迷いなく斬っておる。それが剣の戦じゃ」

 クリエイターコースの受験者なのにこの人は何を言っているのだろうか。でも、不思議と説得力のある言葉であった。

 重く、されど自然と飲み込むことが出来る。

「しかし、ペンでの戦は誰も死なん。ぬしは死にそうな面をしとるがの。ふはは、そんなぬしでさえ敗れても死なんのだ。ぬしは競い合う相手で、敵であろうが、わしが戦うべきは問題であり、切り結ぶべきは答案じゃ。それはぬしも同じ。これもええ。全力で戦おうとも誰も死なんし、負けても明日が来る」

 優しくなでる手。それを感じながらふと、少女は風変わりな訛りで言葉を紡ぐ同世代の少年の表情を見たくなった。

「なれば、気に病むだけ無駄じゃ」

「……」

 掌から感じる温かさが、沁みるから。

 吐き気が、収まる。

「自分の積み重ねを思い浮かべよ。わしと同じく田舎から挑戦しに来たのじゃろう? 自らの証を立てるために。自らの力量があらわとなるのは怖い。それはわかる。が、今更悔いても仕方がない。あるもので戦うのみよ。わしも、ぬしも」

「……自分に、自信が、ないです」

「人間としての自分か? そんなもんどーでもええ。言うたじゃろ、積み重ねを思い浮かべよ、と。信じるのは積み重ねじゃ。その日々を想え。それが支えとなる」

「……日々、を」

「それで足らぬのならまた別の機会に挑戦すればええ。負けても死なんのだ、次がある。むしろ敗れて得るものもあろう。そう思えればほれ、損がない」

「……」

 少年の言葉に少女は勇気が湧いてきた。

 ほんの少し、小さくて、か細いけれど――

「顔を上げて戦え。そして挑戦を楽しめ。人生、そうあることではないぞ。己が全力を賭し壁とぶつかる機会など。楽しまねばそれこそ損じゃ」

 ぽん、と最後に一喝、とばかりに軽く背中を、押してやるように叩く手を少女は感じる。嗚呼、失敗した、と少女は思った。

 もう少し早く顔を上げられていたら、

「わしもそうする」

 翡翠の、キラキラした髪をひと房にまとめた少年の貌を見ることが出来たかもしれないから。ありがとう、を面と向って言えたかもしれないから。

 だけど少年は立ち上がった少女へ振り返ることなく先へ進んでいった。

 少女は思い浮かべる。娯楽のない田舎の中で少女にとっての娯楽は未知がたくさん詰まった勉強だった。寝る間も惜しんで、楽しくてのめり込んだ。

 周りはきっと優秀な人たちなのだろう。田舎育ちの自分とは違って。

 だけど、それはもう考えない。

 少年の言葉を幾度も反芻し、

「わ、私も」

 楽しめるかはわからないけれど、後悔のないように挑戦しよう。自分と向き合い、戦おう、そう思えた。

 そしてもし、試験が終わったら少年に再び、ありがとうを伝えよう。キチンと向かい合って、相手の眼を見て伝えたい。

 その目標を掲げ、少女は大きく深呼吸をして一歩を踏み出した。

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