別れ話は夜にして

クロノヒョウ

第1話




 晴れた日の午後、外を歩くとぽかぽかとしてコートはいらないくらいだ。

 そんな天気のいい日に見かけたのは、道の真ん中に座り込んでいるカップルだった。

 辺りは爽やかなのに二人を取り囲んでいる重い空気。

 どうやら彼女は泣いているようで、彼がうつむく彼女を覗き込むようにしている。

 こんな真っ昼間に別れ話か。

 そんなことを思いながら私は静かに二人の横を通りすぎた。

 べつに別れ話を昼間にしようがかまわないのだけど、その時私はなぜかもしもそれが自分だったらと想像していた。

 別れ話は夜にしてほしいものだ。泣き疲れて寝てしまえばいい。

 昼間にフラれたら夜までどうやって過ごせばいいのだろうか。ましてやそれが外だったら大変なことだろう。

 私には今付き合って一年が経つ彼がいる。同い年の彼。私は上京して一人暮らしだけど彼は地元で実家暮らし。お互いに二十代後半ということもあって度々結婚の話も出たりしていた。

「もし結婚したら同居になるけど」

 同居くらいしてやるよ。そう思うくらい私は彼のことを愛していた。

 その想いは徐々に薄れていくものなのかもしれない。

 優しくて真面目なところが好きだったけれど、日が経つごとにそれを優柔不断だと思うようになっていった。

 良く言えば優しい、悪く言えば優柔不断。

 そして優しいからなのか私よりも男友だちを優先するところに不満を感じていた。

 そう、彼は何事も親友の言う通りに行動していたのだ。

 あれは彼と初めて迎えた私の誕生日。プレゼントを買いに行こうと言われ連れていかれたのはジュエリーショップだった。

 私は指輪が欲しいなんてひと言も言っていない。

 彼のお給料だって知っている。でも目の前に並んでいる輝くジュエリーたちはどれも高価な物ばかり。

「ねえ、指輪じゃなくていいよ。出よう」

 私がそう言っても頭を悩ませている様子の彼。

「でも、指輪を買ってあげたいんだ」

 表情を曇らせながらも動こうとしない。

 ならばと私は一番安くて小さなピンキーリングを指差した。

「じゃあこれがいい。かわいい」

 そうやって買ってもらったピンキーリング。

 あとから聞くと彼は親友にプレゼントなら指輪だろうと言われたらしかった。

 ぜいたくを言うなと怒られるかもしれない。誕生日を祝ってもらうだけでも、ましてやプレゼントを買ってくれるだけでもありがたいことなのはわかっている。

 でも少し違うのだ。

 プレゼントなら指輪だと思っているところでまず間違っている。

 プレゼントなんて高価な物じゃなくてもいい。私のために、私のことを思いながら彼が自分で選んでくれた物ならば何でも嬉しいのだから。

 それを親友に言われたからと指輪を買おうだなんて。

 もちろんそれだけではない。彼は普通のサラリーマンだったのに、親友に誘われ意図も簡単に会社を辞めたのだ。

「もうちょっと考えてみたら」

 何度そう言ったことか。それでも彼は私の話には聞く耳をもたなかった。

 親友と二人でお店をやると言って聞かなかったのだ。

 デートの約束をしていても親友が困っているからとドタキャンされたこともあった。

 その親友と三人で食事に行ったこともある。決して悪い人ではないのだけれど、彼に対する態度がどこか大きいと感じて私はあまり気分がよくなかった。

 私の中に少しずつたまっていく不満。

 もしもこのまま彼と付き合って結婚したならば、あの親友とも仲良くしなければならない。

 私にはそれがどうしても納得いかなかった。

 そうやってつもりにつもった不満を私は彼にぶつけてしまったのだ。

「あなたはあの人の言う通りにしかできないの? 自分の意思はないの? 一人じゃ何もできないの?」

 それが一週間前。彼からの連絡はまだない。

 私はきっと彼のプライドを傷つけてしまった。

 言ってしまったことは取り消せないけれど、私は心から後悔していた。

 連絡がないということは、きっともうすぐ私はフラれるだろう。

 真っ昼間に別れ話をしているカップルを見た私はその夜彼に電話をかけてみた。

 彼が電話に出ることはなかった。

 何かメッセージを送ろうかとも考えたけれど、やっぱりちゃんと話したかった。ちゃんと謝りたかった。

 深夜になっても折り返しの電話はなかった。

 電話が鳴ったのは翌朝。

「ごめん。考えてみたけどやっぱり無理だ」

 そう言った彼に私は「わかった」とだけ言った。

 これでおしまい。

 時計を見るとまだ朝の十時。

 私は久しぶりに友だちに連絡をして会う約束をした。

 シャワーを浴びて準備をし、まだ時間まで余裕があるのをいいことに早めに家を出てのんびりお散歩することにした。

 今日も天気がよくて気持ちがいい。

 私は近所の小さな川の上にかかる橋の真ん中で立ち止まった。

 お日様の光で輝いている水面。

 私は小指につけていたピンキーリングを外して川に向かって思いきりそれを投げた。

 光の反射で何も見えなかったけれど、きっと指輪は水中に沈んでしまっただろう。

 小指と同じように私の心も軽くなった気がしていた。

 別れ話は夜にしてほしいと思っていたけれど、今日みたいな休日の朝だったら平気なのかもしれない。

 この空や太陽や川や植物たちも、みんなが私のことを見守っていてくれているような気がする。

 いや、そうじゃない。

 平気だと思っていたけれど、やっぱり私は平気ではなかったようだ。

 優柔不断であの親友のいいなりではあったけれど、彼と出会ってお互いに一目惚れしたことを思い出した。

 すぐに付き合うようになって自分でもそう思うほど周りから仲がいいねと言われてきた。

 夏は旅行に行ったり冬にはおそろいのマフラーを買ったり。

 会う度に好きだと言ってくれた彼。私が風邪をひいた時なんて心配してたくさんの種類のお薬を買って駆け付けてくれた。優しくて優柔不断だから。

「あはっ、ひっ」

 笑いながら息を飲む私。

 川の水面が輝いて見えるのも投げ捨てた指輪が見えないのも、お日様の光や反射のせいではなく、私の目から流れてくる涙のせいだった。

 気づいたら私は嗚咽をあげながら泣いていた。

 こんな真っ昼間にこんな道端で恥ずかしい。

 待ち合わせの場所までたどり着けるだろうか。

 やっぱり別れ話は夜がいい。

 そう思うと体から力が抜けて、私は道の真ん中に座り込んでいた。



            完





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