第45話
ぶよぶよおばけがずるりと動き出す。それより早く、オレの体が舞った。飛び込みざまに打ち込んだ拳はうすら白い体にめり込み、一瞬遅れてぶるっと振動が広がった。波がだらしなく生えた腕の先まで伝わると、風船のように膨らんだそれが汚らしい体液を撒き散らしながら弾け飛ぶ。構わずに二発、三発と拳を叩き込んでいくと、その度にアクイの体のどこかが弾けていった。拳が突き刺さった所も内向きのトゲに切り裂かれ、だらだらと濁った汁を流している。顔、に相当するだろう場所を思いっきり殴ると、白いぶよぶよは大きく膨れてぶちゃりと弾け、床に染みを作って消えていった。
斉藤センパイは、と理科室を見ると、歪んだ鉄塊が黒板を砕きながら横薙ぎに振り払われ、制服っぽいものを着たアクイを両断するところだった。ぽっきり二つに折れ曲がったアクイは、やっぱり笑っているように見える。どこか金属質な輝きを残して女が消えると、後には轟々と冷たい風を噴き出すエアコンの音だけが響いた。
エアコンの風が問題集のページをゆるゆる揺らしている。図書室の窓からは静かに降る雨が見えた。柚菜はテーブルに突っ伏している。背中がゆっくり静かに上下しているので、よく寝ているようだ。
「戻ったね」
正面に座るセンパイが、自分の問題集をぱらぱらめくった。何の変哲もない、いつもの図書室。オレの口からふーっと長い息が漏れた。
「終わりました、ね」
「うん。柚菜、よく寝てるね。可愛い」
センパイが笑いながら柚菜の髪をそっと撫でた。そうだ、柚菜。
「あの、大丈夫ですかね。その、柚菜のこと」
「ん?何か怪我でもした?」
「いや、そういうのじゃなくて。その、色々見られたし」
「ああ、そっち?大丈夫でしょ」
「そう……ですかね?」
妙に自信満々のセンパイに首を傾げていると、柚菜の体がビクッと動いた。顔を上げ、ぼけーっと周りを見回している。
「おはよう。よく寝てたから起こさなかったよ」
「ふえ、はい」
まだ半分寝ているような目でセンパイを見上げていた柚菜が、突然がばっと体を起こした。高速でセンパイとオレを交互に見ているうちに、耳が真っ赤に染まっていく。
「柚菜?」
「──トイレッ!」
大声で叫ぶと、柚菜は図書室を飛び出していった。開けっぱなしの扉の向こうから、意味不明の絶叫が聞こえてくる。思わず腰を浮かせたオレを、センパイが笑いながら押し留めた。
「大丈夫だよ、セカイの中じゃないし」
「でも」
「今追いかけたらね、まあ大変だと思うよ。それはそれで、あたしは楽しいけど」
心から楽しそうなセンパイに首を傾げてしまう。まあ確かに、さっきまでみたいに顕微鏡に襲われたりはしないだろうけども。
「たぶんね、勝手に夢だったって思い込んでくれるよ。覚えてたにしても」
「まあ、はい。そうでしょうね」
妙に着飾った知り合いと一緒によく分からんおばけ退治をしました、なんて現実のわけがない。夢、と思って処理するしかない、というのは分かる。実際、オレも最初はそうだった。メフィがうろちょろしてなければ、センパイから説明を受けたとしてもすぐに信じたりはしなかっただろう。
しばらくしてから気まずそうな顔で戻ってきた柚菜は、センパイの言う通りセカイについて聞いてきたりはしなかった。全く集中できない様子で問題集を弄んでいるうちに雨も上がり、勉強会はお開きになった。またね、と笑顔で手を振るセンパイと別れると、帰る方向が一緒の柚菜と二人になる。ぽつぽつ残る水たまりは強烈な日差しに照らされて、どんどん湿度に変わっていった。
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