第44話

 教卓に並ぶビーカーには、色とりどりの液体が入っている。それが急に晴れた日差しに照らされてきらきら輝いた。アクイは悠々と教卓から窓側へ歩いている。顕微鏡の並ぶテーブルを挟んで、斉藤センパイとアクイが向かい合った。

 テーブルの上がゆらめいた、と思ったら、顕微鏡が一斉に立ち上がった。全体を支える台が足となり、対物レンズが腕のように持ち上がる。よく見ると接眼レンズに何かのマスコットっぽい小さな顔が付いていた。顕微鏡コラボのゆるキャラをデザインして失敗したらこんな感じだろうか。テーブルを埋め尽くしていたそれが、ざあっと一斉に迫ってくる。磯のフナムシが集ってきたみたいな絵面にぶわっと鳥肌が立った。

 センパイの振るう鉄塊が、テーブルと水道を巻き込みながら顕微鏡型のペットを吹き飛ばす。パーツ毎にバラバラになったペットは、乾いた音を立てて床に散らばり消滅していった。討ち漏らした残りをオレが片付けていく。軽く叩いただけでポロポロ部品が外れてしまうゆる顕微鏡は、数こそ多いが大した敵ではない。廊下の窓際に寄った柚菜を背に、理科室を更地にする勢いで錆の浮いた大剣を振り回すセンパイがアクイに迫っていくのを見守る。今のところ、前みたいに戦えなくなるってことは無さそうだ。柚菜は体を硬くして、壁に貼り付くように立っている。後ろの窓の外が真っ白だ。

 ……真っ白?

 結露のようにぷつぷつと白い何かが窓ガラスに浮かぶ。集まりぬるりと膨らんでいくそれが、柚菜を包むように広がった。

 考える前にオレの体が動いた。斜めに振り抜いた拳が、白くぶよぶよ膨らんだ芋虫みたいなアクイに食い込む。ガントレットの捻じ曲がったトゲがぞっとするほど柔らかな体を切り裂き、白濁した体液が床を濡らした。反対の腕で柚菜をぐっと引き寄せてアクイと距離を取る。足がもつれて転びそうになる柚菜を胸で支えて、未だ膨れ上がり続けるアクイを睨みつけた。

「柚菜、大丈夫?何ともない?」

「え、う、うん」

 目をぐるぐる回した柚菜がもぐもぐ答えた。アクイが触れる前だったと思うけど、油断はできない。前に体育館のステージで襲われた時の記憶が甦り、柚菜を支える腕に力が入る。

「立てる?」

「う、ん」

 覚束ない足取りでなんとか体を支える柚菜に手を添えながら、ぶよぶよアクイと間合いをとる。不恰好な足と、変な位置から何本も生えた腕。顔のないぬるっとした頭。廊下を埋め尽くすように膨らんだそれをどこまでも晴れた空が照らし、薄気味悪い陰影を生み出していた。理科室からは顕微鏡が床に叩き付けられ散らばる賑やかな音が聞こえてくる。

「後ろにいて」

 ぼーっとした顔の柚菜がゆっくり頷いた。柚菜を背に、ぶよぶよおばけと向き合う。自然と拳に力が入った。前感じたような恐怖は、今は無い。

 柚菜に手を出しやがったな、このヤロウ。

 ガントレットに生えた捻じ曲がったトゲが、細かく震えた。

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