悪魔か天使か

 僕は、自分が几帳面であるという自負がある。


物がどこにあるかを把握しておきたいし、常に整理された状態を保っていないと落ち着かない。


うちの学校は、給食の後に掃除に取り掛かる時間割で、次に昼休みがあり、5時間目6時間目を終えたら帰りの会で下校となる。


だから、僕としては4時間目が終わったら既に帰りのモードで、支度の準備をしたい。


引き出しには残りの分の教科書、ノート、筆記用具だけとなる。


特に目を掛けているのが筆箱。ちゃんと鉛筆やペンの本数が揃っているかを確認し、そして──何より消しゴム。


この消しゴムがなくならないように定位置を死守し、きちんと仕舞ったかどうかに細心の注意を払う。


確かに給食の直前まではあった。


それがどうして?


藤島くんが拾った……?


引き出しの奥に入れ、机を倒された形跡だってなかったのに。


「まずはその消しゴムを受け取らないと……」


「だーめ。私の言うこと聞かなきゃ」


 なっ……いや待て。


一ノ瀬さんの手に渡ったということはこの消しゴム自体は僕の物である証拠たり得ないわけだ。


あんなに動揺する必要は……。


「ところで私のどういうところが好きなの?」


「え、あ、ああ明るくって……そのぉ〜……ってえ?! 何??」


「明るいところが好きなんだ」


「あ、ああす、好き? 僕が? い、一ノ瀬さんを?? い、いいいつそんなことを??」


「はい、ありがと」


 瑠衣は消しゴムを手渡すと、スマホの画面を得意気に見せた。


ボイスレコーダーのアプリが今の会話を録り収めたらしい。


「言うこと聞いてくれないとこれみんなに送りつけちゃうもんね」


 手で作ったハートの片割れを頬に当て、悪戯っぽく笑った。


か、カワイイ……っ!


「あ、そ、そそんな……。ていうかスマホを持ってきちゃ……」


「じゃあ先生に言えば? 言ったって許してくれるもん。私カワイイから」


 この堂々たる態度。


クラスを冷静に分析し、中立の立場で上手くやってきた僕がこんなことで屈するのか?


何を企んでる?


「ちょっと泣きそうな顔したらみんな弱いんだから。体育の石塚先生なんか特に」


 石塚恭一。あの熱血スケベか。


「……なんで僕のだって?」


「なんとなく。で、反応見たら一発」


 クッソ! 失敗した。知らんぷりで突き通せばよかった。


いや、仮に僕が一ノ瀬さんに好意を寄せてると知られたとして何を困ることが?


仲間のチンタやフトシは知ってるも同然で、他の連中にバレたってイジられキャラに回って上手くやり過ごせばわけない。


こちらも開き直って堂々としていればいい。


いや……待て待て待て、もっとよく考えろ。


──あわよくば付き合えるんじゃ?


こんなに接触できるチャンスは滅多ない。困ったふりで渋々付き合い彼女との仲を深める。そしてひとりでにポイントを稼ぐ。心を掴む。一ノ瀬さんが僕を好きになる。そういう魂胆で行けばもしかして。


「……で、いったい僕は何を?」


「朽木さんってどんな子?」







 翌日。社会の時間。


ある変わり者の男子生徒──正源司葉留季といった──をきっかけに大いに場が荒れた。


事は単にお調子者グループの正源司に対する揶揄いだった。


5時間目で疲れが達し、生徒たちの集中力は酷く削がれ──


食いしん坊のこっちゃん──小西明といった──はお替りのしすぎか体力を消化活動に奪われ舟を漕ぎ、


運動神経抜群の翔の仲良し──平岡理月といった──に至っては休み時間のサッカーで疲れたらしく完全に突っ伏し熟睡していた。


そして授業半ば、藤島含むお調子者グループが退屈さに耐えかね、落書きに興じる正源司を捉えた。


教室の後方ベランダ側、先生──清水柊平といった──もすぐには気付かない。


「ねえ、それなに描いてんの?」


 藤島が笑って尋ねた。


「ん? なんでもない」


 前の席にいる正源司は向きを変えて隠す。


「いやなんでもないじゃなくてその絵だよ」


「んー? 勉強」


「違う、勉強じゃなくてそれ落書きじゃん」


「んー勉強するうー」


「勉強するってしてないじゃん」


「んーなんでもないー」


 正源司はいつも自由気ままで掴み所がなく、凄く気が弱いかと思ったら、ある時は凄く図々しかったりして、よくその感じを面白がられて愛されたり憎まれたりしていた。


おそらくお調子者グループに対して苦手意識があるのか、他の子らに対するよりも返す声が小さく、裏声で、だから余計にいじられた。


正源司の右の宮地すぐるが反応して、会話に乗る。


「蛇? ミミズ? なんだよそれ?」


「うー……」


「おい隠すなって」


「ふぐうー……」


「ね、ちょっとうるさいんだけど?」


 今のやりとりに苛ついて芽衣が注意する。


「うるさいじゃねーよ、じゃあ正源司が落書きしてんのはいいのかよ」


 宮地が言い返す。


「はあ? あんたらがうるさいってことを言ったんでしょ?」


「わーかったよ静かにするよ」


 藤島が渋々返す。


「つか今の注意の方がうるさくね?」


 近くの渡辺篤が藤島らの援護に回って芽衣を攻撃した。


「なに? てか喋ってなかったら注意してないんだけど」


 位置的に後ろばかり向いていた芽衣が私語の発端だと見做され、清水は芽衣を注意。


「バカが。怒られてやんの」


 言い捨てる宮地。


「先生、芽衣ちゃんは後ろがうるさくて注意してたんです」


 聖来が芽衣を擁護し、宮地は舌打ちをする。


「で、マジでその絵なに? 気になるんだけど。それだけ教えて」


 藤島が食い下がる。


「勉強に集中しないとだめだよー」


「いやだからあ、それは君もでしょ?」


「ふふん〜楠見さんに注意されたあ」


「あ?」


 今の一言でバカにされたと思った宮地が正源司を睨む。


「え、面白い?」


「んー? 勉強ー」


 質問と応答が一致せずいい加減呆れた藤島は匙を投げたが、怒った宮地の後では遅かった。


「そんなに可笑しかった?」


「ふぐうー」


「いや“ふぐうー”じゃなくてさ、なに笑ってんの?」


「……ぷぐううう」


「あのさバカにしてんの?」


 清水の目を盗んで席を立った渡辺が正源司の絵を見に来る。


「なんこれ? お前漫画家目指すとか言って絵の才能ねえじゃん」


「渡辺くんは見る目ない」


「え? じゃこれなに?」


「……ぷぐう」


「“ぷぐう”? ぷぐうって絵なの? ぷぐうってなに?」


「……うーう」


「おい! 渡辺、席につけ。授業中だぞ」


「あ、プリントが飛んだんで」


「いいから」


「でも先生、正源司くんが落書きしてたんですけど、それはいいんすか」


「ああ? 言い訳はいいから戻れ」


 どうも自分たちばかりが注意され、正源司の落書きがスルーされることに腹が立った宮地は、黒板に向かう清水の後頭部を目掛けて、丸めたティッシュを放り投げた。


数回目で当たり、驚いた目で清水は怒鳴った。


「おい! 今やったの誰だ?」


 だんまりを決めるが、態度からしてお調子者グループであることは一目瞭然だった。


「ふざけるな!」


 清水先生についてだが、彼は教員の中でもとりわけ弱そうで有名だった。


背が小さく、60に差し掛かるおじいちゃん先生で、迫力に欠け、親しみやすい一方で舐められやすい先生でもあった。


だから怒鳴ったところでグループが怖気付くはずもなく、却って余計に油を注いだ。


「ふざけるなってなんだよ。その髭か? ジジイが偉そうに髭なんか生やしてんじゃねーよ!」


 宮地が吠えた。


「ああ? お前なんだその態度! もういっぺん言ってみろ!」


 こういう時、普通は自分に火の粉が飛んでこないように大人しくするものだが、やはり正源司は変わり者で、ここぞとばかり絵に熱中し(それこそが現状のきっかけであるというのに)、ひとり笑顔でこう呟いた。


「んー……髭は関係ない」


 どうしようもなくなって、持っていた教科書を教壇に叩きつけ、「もうこんなじゃ授業は続けらんないよ!」の怒声で以ってして、清水は教室を出て行った。


残り10分が教師不在で過ぎ去り、虚しい音でチャイムが終りを告げた。


「正源司くん。ああいう時は空気読んで絵描くの止めなきゃ」


「んん? うー……」


「それで……これは、なんの絵?」


「わかんない……津田くんのナップザックに巻きついてた」


「え?」


 葉菜子はゾッとした。


そのナップザックは見たところなんともない。ごく普通の。


ただ彼にはそういった類の霊的な何かが視えると察した。


蛇が塒を巻くように、数百匹のミミズが這うように、頑丈な縄が硬く縛りつけるように、あの日トイレで見たガラス越しの髪の毛と思しき黒い渦がぐるぐると執拗に描かれていた。







「いやあ参った。めっちゃくちゃ怒られたよ」


 平田は疲れ切った様子で缶コーヒーを傾ける。


今回は珍しく、藤島の方から呼び出した。


「ごめん、あんなにヒートアップすると思わなくて」


「偉いカンカンだったよ。クラスが崩壊してるとかなんとか……よく謝っとけよ?」


 清水と揉めた件で、クラスがああいう状態にあるのは平田の指導がなってないからだと職員会議でこっ酷く叱られたという。


「それで思ったんだけどさ……こういうのはどうかなって」


「ああ?」


「いやあ要はさ、そのクラス仲が悪いからこうなっちゃったわけでしょ?」


「そうだよ、起こるべくして起こってんじゃん」


「で、悪い組み合わせであんなしょぼしょぼの清水の授業で。それで閃いたんだけど、あれが先生だったらさ、怖くてああはなんなかったと思うんだよね」


「ん?」


「だから、まあちょっと先生を悪者にはしちゃうんだけど……あくまで提案としてね。自作自演で、先生の授業の時に俺がふざけて、先生が怒って廊下に連れ出して、もう最恐に! 怒鳴ったり殴ったりして……もちろんそれはふりね? 本当に痛いのは嫌だからさあ。で、俺も敵わないって感じで教室に戻ったりしたらみんなビビると思うんだよね。そしたら今日みたいに揉める前にピリッとして怒られないようにするはず、ていう」


「いつの時代だよ、PTAの対象だわ」


「いやだから、そこは演技じゃん? 当然俺以外には手を出さない。あ、ああ俺にもね? ふり、ふりで」


「それ上手くいくか?」


「少なくとも同じ敵を有したらお互い助け合って一致団結すると思うんだ」


「で、その敵が俺?」


「そう先生対クラス。だって、別に先生だって仲良くしたいわけじゃないんでしょ? 把握したいってだけで」


「そうだけど……しんどいな」


「やってみる価値あるって! 先生はじゃあなんか思いついてたりするの?」


 平田は腕を組み、しばし考え、数分の後に了承した。


「じゃあ、うーん……金曜の6時間目とか?」







 その実行の日。


5、6時間目の総合学習。班毎に分かれ各自で学んだ海外の文化を発表するため、それぞれが模造紙に内容をまとめて書き記す。


その段で、藤島が平田に言い掛かりをつけて、いちばん注目を浴びる形で行おうという作戦だった。


どういうのが怖いか。


どうしたら目立つか。


どういうアクションが誰に効き目があるか。


そんな段取りを割と二人は楽しんで考え合った。まるでバラさないドッキリのように。


後が長いと気まずくて困るから、ラスト一時間、最後の6時間目に差し掛かったあたりを目安にしようと約束した。


チャイムが合図で、そこからは慎重に事を運んだ。


この時間は、床に広げて書きやすいように、机や椅子を教室の後ろに寄せるので多少動きやすい。


藤島の班はベランダ寄りの場所を確保し、班員の宮地、小西、果奏らと共にレイアウトを考えた。


出入り口付近でこぢんまりとするのではなく、室内全体を動き回ろうという計算。


マッキーのキュッと模造紙を引っかかる筆圧がやけによく響く。


他の班を見て回り、藤島が不満を言う。


──芽衣の班だけリボンとか使えてずるい、とかなんとか。


2、3ラリーを交わす。


痺れを切らす平田。


連れ出される藤島。


目を引くように抵抗する時間を延ばし少しもたつく。


集中していた生徒たちもいよいよ異変に気付く。


ざわつく教室。


心配そうな宮地。愉快そうな芽衣。なぜか誰よりも興味津々な正源司。立ち上がる津田。


平田がゆっくりと戸を閉めて、一拍置き、ドン! と思い切り壁を打ち当てた音が響く。


終始無言で、ただ暴力の気配だけを匂わせる。もちろん藤島には触れず、素振だけで。


静まり返って、中がどんな様子か気になったところで、悲鳴が聞こえた。


「え?」







 不思議に思いながらも藤島は、予定通りさも痛そうに肩を押さえて中に戻った。


すると様子は一変していて、計画は破綻していた。


騒ぎは平田と藤島に対するものではなく、中で起きていた怪現象に対してのものだった。


人だかりの中心に津田がいる。


手には画面がバキバキに割れて使い物にならなくなったスマホ。


なりふり構わず津田の腕を掴み、外へ連れ出す。


──先生は? いや、ちょうどいい。


「撮れたよな?!」


「いや撮ろうとしたんだ……そしたら急にスマホに亀裂が入って」


「嘘だろ?! 本当はお前、撮る気なかったんだろ? なあ!」


「違うって! たぶん……ほら! あれだ、例のトイレで使ってたから花子さんの呪いだったり──」


「ふざけんなよ! 自分で割ったんだろ?!」


 怒りが脳天を突き上げた。


藤島は、平田を欺こうと、盗撮の件を口外しない代わりに、平田の暴力沙汰を捉えようと津田に、その技術の応用を頼んでいた。


弱みを握って、平田の拘束から抜け出す。そのつもりだった。だが、津田が裏切った。


それも思いもよらぬ形で。


「どうした? 失敗か」


 すっ、とどこからか平田が戻ってきた。


「え? ああなんかトラブルがあって……」


「違うぞ。予定通りだ」


「は?」


「津田が撮り損ねたのは想定外だったが、事は破綻してない。こうなる見込みだった」


「なに言って……」


「俺は津田と計画してたんだ。本当に藤島は信用できる奴なのかって。言ったろ、“近いうちテストする”って」


 藤島はこの間の平田宅へ向かう車中を思い出した。


あの時の違和感……。


「な、だって、それは──」


「アクセルを踏み込んだ時の様子で、“あ、こいつはまだ揺らいでるな”って思ったよ。だから津田と相談してお前が罠に嵌るかどうか仕掛けた」


「罠?」


「女子トイレの前で待ち伏せて、お前が通りかかる頃合いを見計らって津田が飛び出した」


「え? う、嘘だろ……?」


「そしたらまさか俺を陥れようとしてあんな提案をしてくるとは……予想外だった」


「は? どういう……。え、いつから? はあ??」


「テストの正解は盗撮の件を俺に話すことだった。話すか、隠すか。それで信用を図るつもりだった。で、いつから組んでたか? 最初からだ。ていうか、俺が津田に呼ばれたんだ」


 藤島は放心状態で津田を見た。


津田は悪びれもせず、なんなら少し暇そうにスマホを弄んでいた。


「津田はずっと登校したくて……だよな?」


 平田が目配せし、津田が頷く。


「いや聞いてくれ俺は──」


「じゃあ……今日の帰りの会で、だな」


 聞く耳を持たず、平田は罰の執行を命じて、教室の中へと戻った。







 熱りの冷めぬ中、忙しく片付けを済ませると、そのまま帰りの会に雪崩れ込んだ。


連絡事項を一通り確認し、平田は“抜き打ち”で持ち物検査を実施した。


“早く帰らせろ”の空気が充満する中、死を覚悟する藤島は独りうなだれていた。


他の生徒を軽く流し、わざとらしく最後に藤島の席に立ちはだかると、平田は用意していたリコーダーを取り出した。


「えーと? 藤島くんのランドセルから出てきたようだが、これは?」


「……知らない」


「君は“櫻井詩織”じゃないだろ。なぜ持ってる?」


「“三ツ矢”じゃなかったのか?」


「どっちでもいい。これは先生が預かる。1組に返しに行かないとな」


「好きにしろよ」


「そうか。えー、じゃあ……いいや、日直、号令」


 クラス中がどよめき、軽蔑する声や視線が容赦なく藤島に浴びせられたが、どん底に堕ちた彼にはまともに届かない。


塾や習い事などで忙しなく帰る生徒たちと、日直の仕事やまだ何かの用事で残る生徒たち。


まばらになった教室を嫌味ったらしくゆったりとした足取りで出ていく平田。


藤島は立ち上がって、リコーダーを手に1組へ向かおうとする平田を追い、力いっぱい腰のあたりを引っ掴んで制止する。


「やめろ」


 藤島は泣いていた。


どういう感情なのか自分でもわからない。


堪えていたのか、今になって思い出したのか、こみ上げてきた感情で顔をぐしゃぐしゃにしていた。


途中まで無視し、引き摺る形で1組までの廊下を歩く平田だったが、その足を止め、藤島の胸ぐらを鷲掴み、人のいない視聴覚室へと連れ出した。


「泣くな。愚図るな。足掻くのをやめろ」


 藤島は地位を失った悲しさや今後の不安より、平田に対する悔しさの方で胸をいっぱいにしていた。


「俺はお前を賢いと思ってる。だからこの展開が読めた。騙される連中は結局相手を侮ってるからやられるんだ、そこが違う」


 藤島は呼吸が整わない。


「いいか、俺はお前のために言う。本当にまともで真っ当な人生を歩もうと思うなら、ここを出て行け。素早く転校しろ」


「はあ?」


「俺は人生を棒に振って、ここで朽ちる覚悟で来たんだ。地獄は意外と慣れるもんで、それが当たり前になると抜け出そうとも思わなくなる。周りはみんな思ってる、“なんであんなとこに住むんだ?”ってな」


 藤島は言っている意味が掴めない。


「例えば、こう思ったことは? 映画や小説、ゲームでもいい。悲惨な目に遭わず早く退場した脇役に対して幸運な奴だと思ったことはないか? その世界で頑張って主役を張るのもいいが、それがお前にとって本当に有意義なことなのか?」


 平田は目を離さない。


「逸らすな、考えろ」


 平田が言った幾つかの言葉を反芻する。


「これに懲りて、ここで生温かく濁った人生を蝕んでいくか、運命を受け入れて潔く別のところでやり直すか、お前次第だ」


 藤島は、目を見続けてハッとした。


──あれ……?


諦めたように、平田は右目の“義眼”を外した。


「カラコンだ」


 言い残して、平田は持っていたリコーダーを投げ捨てると、その場を立ち去った。


日が落ちて、薄暗くなった視聴覚室。


藤島は独り、どうするべきを熟考した。







 平田は一旦職員室へ寄ると、ドーナツを頬張った。


無性に甘いものが食べたくなって貪った。


そして、引き出しからはみ出した封筒に気づく。


──なんだこれ?


差出人不明。何の見当もつかない。


──誰が?


開封すると、一枚のDVD-R。


ラベルには“覚悟”の文字。


──誰の筆跡?


「平ちゃん、これ。“るいるい”の」


 振り向くと、音楽教師の早瀬麻琴が尋ねていた。


何気ない様子で咄嗟に封筒を戻す。


「るいるい?」


 馴れ馴れしい小娘。


早瀬はギャル気質で(だからギャル瀬の愛称で親しまれていた)、だれかれ構わず、生徒とも上の人間とも砕けた口調で会話した。


生徒が私服なのもあり、並ぶとよく紛れる。


「一ノ瀬のことやん! ピアノの下に落ちてたで」


「ああ。渡しとく」


 受け取り、DVDを鞄に仕舞って、教室へ戻った。


タイミング良く、あたかもそれを待ってたかのように、出入り口で瑠衣と鉢合わせた。


「落ちてたらしいぞ」


 手渡して、平田は仕事にありつく。


「はあ……」


廊下を歩き、瑠衣は手元のそれをどうしようか悩んだ。


いかにも男子が書いた、角ばって神経質そうな字の私のフルネーム。


うんざりして、トイレへ寄り、例の個室へとぶん投げた。


軽い音で、それは闇に飲まれ、もう戻ってこないことを願った。


「しつこ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

トイレの花子さん @NNNNNmatchy

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ