君を愛することはない! と思いきや
「一度しか言わないから、よく聞いてくれ」
ユリシアは、断罪を待つ
「いいか。俺は、君を」
ユリシアは覚悟を決め、ぐっとその細い手を胸の前で組んだ。
「君を、その、き、君を」
(お早く、引導を渡してくださいませ)
組んだ手が、ふるりと頼りなく震えた。
「君を、その、……っっ、あ、あ、あ、……愛している!!」
「……はい?」
思わず顔を上げて、ぱちぱちっと瞬きした。
見上げたヴァルハイトは、今にも噴火しそうに真っ赤になって、射殺しそうな目でユリシアを見下ろしている。
「あの」
「待て!」
地を這ううなり声で一言、そして向かってくる敵に剣を抜き放つがごとき気迫に満ちた顔でわたわたとガウンのポケットを探り、出てきた小さな紙片。……を広げると、一枚の便箋になったようだ。
(すごく、小さく折りたたまれていたのね。あの大きさの上等な便箋を、あれだけきっちり小さく折りたたむなんて逆に大変でしょうに、旦那様は指の力も素晴らしいのね!)
などと、ユリシアは少々明後日の方向に感心していたのだが。
その便箋を前に、ヴァルハイトはカッと目をかっぴらいた。まるで獲物に襲い掛かる獅子のように。
「お、俺はっ! 戦うことしか、能がないッ! う、うまく、笑うこともできないっ! 気の利いたことも、いえっ、い、言えないっ」
ドラゴンに挑む騎士もかくやという気合に満ちた鋭い目で、ヴァルハイトはせわしなく便箋に視線を走らせる。
「君を、よっ、喜ばせる方法は、なにもっ、知らないっ! だ、だ、だが、これから、知りたいと、思っているッ!! こ、これからもっ、言葉にできずに、君を悲しませるかもしれないっ! だがっ、俺は君が好きだっ!!」
もはや、数人斬り捨てているかのように鬼気迫る表情で、ヴァルハイトは便箋を読み上げている。
「こ、こ、こんな俺だがっ、君を世界のあらゆる害悪から守ると誓うっ!! 君を、生涯大切にするっ!! だからっ、だからどうかっ」
ヴァルハイトはついに、ドラゴンの吐くブレスのような雄叫びを上げた。
「俺と、本当の夫婦になってくれっっ!!」
そして再び地を這うような唸り声をあげたかと思うと、便箋をぐしゃりと握りつぶし、ばしーんと床にたたきつけた。そのまま勢いよくしゃがみこんで、頭をかきむしる。
ユリシアはあっけにとられてぽつりとつぶやいた。
「……何かの罰ゲームですの?」
「違うっ!!」
即座に返ってきた返事に、彼女はまた、ぱちぱちと瞬きをして、大きな体を小さく丸めるヴァルハイトを見下ろして小首をかしげた。
ユリシアの兄が王立学園にいたころ、仲間内で賭けをし、負けた者は勝った者たちが指定した女子生徒に噓の告白をするという、大変失礼な罰ゲームを実行したと面白おかしく語っていたことがあり、もしやそれなのかと思ったのだが、違ったらしい。
ちなみに、何の落ち度もない令嬢を勝手に巻き込んだ品性下劣な行いを、笑い話として聞かせた兄に激怒したユリシアは、彼に平手打ちをくらわし、『しばらく話しかけないでくださいませ! お兄様がそんな愚物だとは思いませんでしたわ!! そんな女性の敵とは、同じ空気も吸うのも不愉快です!! 最低!!』と吐き捨てて、それから一か月徹底的に避けまくり、目も合わせず一言も口を利かなかった。ユリシアに似て非常に端正で美麗な兄は、愛する妹にお仕置きをされ、一か月でその美貌が見る影もなくしおれ切り、深く反省したという。
ユリシアはとても穏やかで優しい令嬢ではあるが、怒らせると怖いということを身を以て知った兄だった。
ユリシアはゆっくりと立ち上がって、床にたたきつけられた便箋を拾った。
そして丁寧に広げて一読すると、形のいい唇には、ゆるりと美しい笑みが浮かんだのだ。
「まあ、ふふふ」
小さく漏れた笑い声に、ヴァルハイトの肩がびくりとはねる。それにかまわず、ユリシアはベッドに向かい、ゆっくりと腰かけた。
「旦那様」
「……」
「旦那様?」
「……」
「ヴァル様?」
「ぐっ……!! だ、旦那様、で、頼む」
鈴を転がすような声で突然愛称で呼ばれ、ヴァルハイトの体が一瞬ぐらりと揺れたが、何とか踏みとどまった。
「では、旦那様。わたくし、寂しいですわ。こちらにいらして、お話ししましょう?」
おねだりすれば、ゆっくりと上げた顔は、今度は血の気が引いて、まるで幽鬼のような恐ろしさである。
けれど、それにも、ユリシアはくすりと笑った。
手の中の便箋は、書いては消し、書いては消して真っ黒になるほど書き込まれていた。
どれもこれも、ユリシアを気遣い、賛美し、思いのたけをつづった言葉ばかりだった。
つまり、罰ゲームで書いたものでないのなら、それは。
(本心なのだわ。きっと、照れていらしたのね)
そうと分かれば、ユリシアに遠慮する理由なんてなかった。
「ねえ、旦那様。わたくしとお話ししてくださらないの?」
甘えた声で再度ねだれば、ヴァルハイトは顔を背けて、ゆらりと立ち上がった。そして、遠慮がちに一人分の間をあけてゆっくりと腰かける。
(もう!)
淑女に対する気遣いはうれしいけれど、もどかしくもある。ユリシアはもう、彼の妻なのだ。
彼女は遠慮なく、距離を詰めてくっついた。
びくっと硬直した大きな体は、しかし、離れていくことはなく、ユリシアは内心安堵する。
「旦那様、素敵なお手紙、ありがとうございます。とっても嬉しいですわ」
そう言うと、ヴァルハイトは膝の上に組んだ手に視線を落としたまま、小さくうなずいた。
「でも、わたくしのほうをなかなか見てくださらなくて、少し寂しいのです。どうして?」
鍛え上げられた腕にそっと手をかけ、上目遣いで聞くと、ちらりとユリシアを見ただけで、ヴァルハイトの顔はぐわっと憤怒の表情に変わり、赤く染まる。
そうして、彼女の手からパッと便箋をひったくると、二重線で消してある箇所……。
『きれいすぎて』
『まぶしい』
その二か所を指さし、ばしんとユリシアの手にたたきつけて頭を抱える。
「ふふ、うふふふ。旦那様ったら。わたくし、うれしくてどうにかなってしまいそう! 旦那様は、わたくしのこと、好きになってくださったのですね」
ぐう、と喉の奥で唸り声をあげたが、ヴァルハイトはこくりとうなずく。
「わたくしも、旦那様が大好きです。一目惚れなのです!」
「……は? 一目……?」
勢い込んで放った一言に、思わず上がったヴァルハイトの顔は唖然としていて、レアですわ! と彼女は身悶えた。
鋭い眼もとの印象が和らいで、ちょっと幼く見えるところも萌えるユリシアである。
「はい! 初めてお会いした夜会で、踊ってくださいましたね。その時から、ずっとお慕いしておりました。旦那様との縁談は、わたくしが父にどうしてもとお願いしたのですよ! こんな小娘が押し掛けるように嫁いできたものですから、旦那様にはご迷惑かと思っておりましたのですけれど」
「そんなわけがない!」
慌てて不機嫌な顔を背けて否定するヴァルハイトの腕に、ユリシアはそっと頭を寄せる。
「はい。このお手紙で、旦那様の気持ちを知ることができて、わたくしうれしいです! わたくしのほうこそ、旦那様の本当の妻にしてくださいませ」
「い、い、いいの、か?」
「もちろんですわ! というか、わたくし、旦那様以外の人とは絶対に嫌ですわよ? 旦那様がいいのです!」
すると、大きな手が、白く小さい指をぎゅうっと握った。
痛い、と感じる寸前、『すまんっ』と震える声で唸り、武骨な大きい手が、手のひらごと壊れ物のように包み込んだ。
ああ、なんてやさしい。それだけで、ユリシアの胸は高鳴る。
「ね、こっちを向いてくださいませ。お顔が見たいです」
ヴァルハイトがゆら、と不機嫌そうにしかめた顔を向けると、ぽうっと上気した顔で、ユリシアはふにゃりと幸せそうに笑った。
「旦那様のお顔、素敵。優しいところも、好き。照れ屋さんなところも、かわいい。旦那様の妻になれて、わたくし、すごくすごく幸せです」
「ユリ、シア」
憤怒の表情は、ユリシアにはもう照れているようにしか見えない。
広い胸にぎゅうっと抱き込まれて、少し苦しかったけれど、ヴァルハイトの激しく暴れる鼓動が直に伝わってきて、うれしくなる。
そっと体を離されて見上げた顔は、まだ怒っているような照れ顔だったけれど。
ユリシアが目を閉じれば、熱い唇が重なってきた。
探るような、ついばむようなキスが、深くなるのはすぐのことで。
舌を絡める淫らなキスに、ユリシアはもう何も考えられなくなって。
ゆっくりと体を横たえて、ヴァルハイトがのしかかってきて。
長い夜が、始まった。
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