第0話【破】宿穢 ep.3
◇◇◆
ズズズ、と片足を引きずりながら山道を歩く黒い化け物。何本もの束ねられた青い髪は、先が赤い目と舌を伸ばしている蛇の髪であり、口は鮫と同じく幾重ものギザギザの歯。
鼻は削ぎ落されており、目もフクロウのように黄色い目に真っ黒で真っ暗な瞳がまん丸に浮かんでいる。
肩甲骨は不自然に大きく盛り上がっており、見ようによっては両肩から角が生えているようにも見える。
腕はよくしなる鞭のような形をしている。それをだらんと膝下まで垂らしているが、時折ひゅん、という風切り音とともに目にも止まらぬ速さで振るっては、目の前の木を横真っ二つに切って新たな道を作る。
「有礼様、おとの居場所がようやくわかりました」
暗闇に突如として響く女の声。その声の主は空中から赤い翼をはためかせながらゆっくりと有礼と呼ばれた化け物の目の前に下りて、恭しく
暗闇で陰になってはいるものの、女の美貌はそれでも麗しかった。怪しいほどに。
ブロンドの髪をサイドテールにしており、翡翠の垂れ目は少しの母性を漂わせているが、首についた艶めかしい首輪やピンク色の潤った唇が女の色香を周囲に発散していた。
「おとは有一郎様に保護されて奈良の土田家の屋敷におりました。早速向かわれますか?」
女が尋ねるも、化け物は片足を引きずりながら構わず前に進み、のっそりと女に覆いかぶさり、その肩を、顔を、喉を、胸を、腹を、鼠蹊部を満遍なく触った後に一歩退いた。
その間、女は恍惚とした表情で化け物を愛おしそうに抱きしめていた。そして、化け物が離れる瞬間には一抹の寂しさが表情に現れた。
「アリアか。済まぬな、この体で。今ユトゥーダに我が身を食わせてやってた故、目も鼻も耳もろくに利かぬのだ。しばし待ってくれぬか」
「ええ、ええ。主様のご命令のままに」
アリアは嬉しそうに化け物に寄り添い、少し顔を傾ければ頬ずりできるほど近づく。化け物はメキミシ、ゴキリッと骨が折れてグジュっと肉が膨れ上がる音を出しながら徐々に人の形を取り戻し、やがて半裸の二十代ほどの美青年がアリアの肩を抱いていた。
アリアはカバンに入れていたシャツを取り出し、有礼はそれを手に取って着た。そうしてアリアが嬉しそうに有礼を見上げる。
「あああ、アタシの主様! 初めてお会いしたときからずっと、ずっと! アタシは主様にすべてを捧げたいと望んでおりました!!」
「アリアよ、そなたは二十年前に会った頃から変わらぬな。その盲信、盲愛、盲目、初々しさ、何も変わらぬ。その愛らしさだけは私が
ぐいっと首輪の紐を力強く引き、アリアの顔を近づける。アリアは喉や唇に溢れる突然の痛みに感動し、興奮し、そして幸福から上半身を震わせる。
「……ふふ、そなたの唇を嚙み切って真っ赤に染めると、やはり美しいなアリア」
「ああ、主様。主様に与えられるすべては至上の幸福ですから。この地上で最も幸福なアタシが最も美しく、最も主様に相応しい奴隷に間違いありません」
「うむ、そなたほどの働き者は他におらぬ。ゆえにもう一働きしてほしいのだが、よいか?」
「主様の御心のままに」
有礼が満足そうに頷く。
「
「仰せのままに、主様」
言うやいなや、さっと翼をはためかせて飛び去る。
アリアの迅速な行動に感心しつつ、有礼はその端正な顔立ちを歪つに曲げて奇妙な笑い顔を作る。
それはピカソのゲルニカの如く人の形こそ保ってはいるが、不自然な形の顔だった。
「……襲ってこぬのか? 小鬼よ」
目線の先、木々の間に赤黒い体の鬼、伊吹童子が立っていた。
伊吹童子は口角を上げると肩を竦めた。
「まさか。俺は力の差がわからねーほどバカじゃねえよ。それにしてもお前、その体は異常だな。何体食ったんだそれ?」
伊吹童子は有礼の腹の部分を指さした。
「異常とな? おかしなことを言う小鬼だな。弱肉強食はむしろそなたら鬼の論だと思うが……」
「あー、なるほどなるほど。俺たちが人間を食らうのと、お前が鬼を食らうのは確かに同義だ。ザコが強者に食われる。参ったな、お前の方が正しいじゃねーか」
「先ほど自食をしたばかりでな……それほど腹は空いておらんのだが、来るならば一切構わぬ」
おもむろに有礼が体を向けた瞬間、伊吹童子は大地を蹴って後ろに走り出していた。
全力で逃げ出したのだ。
「――――、弱い割りに足は速いではないか。おいかけっこは
残念そうに呟いて、再び道なき山道を真っすぐに進み始める。目的地の奈良に向かって。
ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなっっっ!
心中で伊吹童子は叫び、寝床にしている洞窟まで辿り着くと瓢箪を手に取って中の酒を一気に呷る。
全力で走った後の汗をかいた体からは湯気が立ち込めており、髪が逆立ってそれは燃えているようにも見えた。
「だあああ! あのクソッ!! クソクソクソっ!!!!」
怒りに任せて左腕を洞窟の壁にぶつける。ドシン、と洞窟全体が揺れ、壁に蜘蛛の巣状のヒビが入った。
「あんな化け物がいたら安心して暮らせねえ。絶対にいつか殺す、あのクソヤロオ……」
金の目を憎悪に血走らせながら、憎々しげに呟いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます