第0話【破】宿穢

第0話【破】宿穢 ep.1

◆◆◆


 夜。

 唸り声に扉を開けると、辰次が布団の中でうめき声を上げていた。

 部屋の中ではおとが辰次の額にある濡れタオルを手に取り、水が入ったタライの中で軽く冷やす。

 乾いているタオルで辰次の汗を拭くと、タライの中のタオルを取り、絞ってまた額に乗せる。

「あの神童と賞賛された油瀬辰次くんが命からがらとは。伊吹童子とはそれほどだったのだね」

 丸い眼鏡をかけた四十代ほどの細身の男が隣にいる有一郎を見ながら言った。

 扉を開けて廊下から辰次の様子を覗っていた土田甚平つちだじんぺいである。有一郎は無言でそれに頷いた。

 土田家は宇部家の親戚であり、奈良県五條市にその居を構えている。

 日も落ちきって辺りがすっかり暗くなり始めた時刻に三人は土田家の屋敷に辿り着いた。

 死闘の末に逃げ延びた辰次は、一睡もせずにそのまま車を運転しており、屋敷に着くやいなや倒れるように意識を失った。

 そんな辰次を有一郎と甚平が客間に敷いた布団に寝かしつけはしたものの、悪夢にうなされて汗をかいている。それを見かねたおとが辰次を看病して今に至る。

「ところで有一郎くんも疲れたろう? ハチミツ酒を用意しているから少し喉を潤すといい」

 甚平に案内されて廊下を歩いた先、二人の女性の召使いが待機していた襖を恭しく開ける。

 そこにはたくさんの料理が用意されたテーブルと、上座には一人の老人が胡坐で座って酌をしていた。

 その老人は深緑色の道士服を着ており、腹まで届く銀色の顎髭を胸の辺りで蝶結びにしている。

 頭髪はオールバックにしており、皺が深く掘られた顔に反して見た目は少し若く見える。

 ……あくまでも見た目は、だが。

「おじい様、有一郎くんを連れてきました」

「おう、よく来た。二人ともまず座れ。こんな暑い夜は酒を呑むに限るわ」

 有一郎は手招きしてくる老人を見ながら冷や汗を流した。


 ――――彼こそ陰陽寮における現在の最長にして最強の陰陽師、土田秋陽つちだあきはる。甚平の祖父であり、有一郎の曾祖父である。


 有一郎は七十年以上も現役最強を貫く陰陽師を前にして緊張から息も忘れていたが、甚平がそんな有一郎の肩を叩いて席を勧める。

「それではおじい様、正面に失礼しますね。有一郎くんは隣においで。……あ、おじい様には私がぐから、君たちは有一郎くんにハチミツ酒を頼むよ」

 甚平自身は秋陽の正面に座り、召使いに目くばせした。

 有一郎も甚平の声に応じて座布団に正座するが、体の強張りはそれでも取れない。

「はっはっはっ。取って食う訳でなし。そう緊張するな。まずは呑もう」

「そうですね。私はお酒が駄目なので緑茶で失礼します。では、乾杯」

 コン、とコップを軽く当てて、三者三様に飲み物を口にする。

 秋陽はコップを置いて目を細めると、有一郎の顔をまじまじと覗き込む。

「……なるほどの、正一しょういちの面影がある。目つきや鼻の形がそっくりだ」

「正一おじさんは父様の弟でしたね。宇部家に婿入りして息子の有礼ありのりさんが家督を継いだときは脅威でしたよ。アレは別次元でしたから」

「甚平よ、有一郎の前でそういう言い方はよせ」

「いえ、父の、――――有礼のしでかしたことはよく存じております。お心遣いは痛み入りますが、甚平さんの言はご尤もかと……」

 有一郎が目を少し伏せながら苦笑いする。あれを父と呼ぶのは些か憚られたからだ。

 そんな心情を察してか、秋陽がコップを一口呷ってから皿に盛られたほっけの塩焼きを口にする。

「大事なのは家柄や功績ではない。儂ら陰陽師は護国の刀であり、その使命を志すのであれば出自など問うたところではない」

「はい、ありがとうございます」

「私も申し訳ありません。要らぬことを言いました」

「構わん。確かにお前たちの世代では儂が満州に行っておった間に色々と負担をかけてしまったのも事実。これ以上の問答は無用だ。それよりも今の話をせねばならん」

「そうですね、関東御三家のゴタゴタや陰陽寮の財政難、いくつかの陰陽師の家が取り壊され、私の家にも援助依頼の話が複数来ております」

「うむ、弱ったもんだ。妖が暴れまわっておる程度なら儂がちょっくら行って殴り潰せば良いが、ことさら内輪の揉め事となると儂にはちと荷が重い」

 頬をぽりぽりと掻きながら秋陽は嘆息を吐く。その様子に甚平はくすりと笑った。

「御年百歳のおじい様にそんな気苦労はさせませんよ、それはこちらで何とかします」

「ぬかせ、まだ九十七だ」

「はいはい、それよりも彼らの話を有一郎くんに」

「そうだったな……。有一郎よ、お前さんが連れてきた中に、宿陽士がおるな?」

「――ッ!!」

 秋陽の鋭い眼光に有一郎が息を飲む。そう、最強の陰陽師であり、陰陽寮における超実践主義の曾祖父が、妖をただ放っておくわけがない。

 身震いがした。それはあの山で伊吹童子に対峙したときよりも遥かに恐ろしい寒気だった。

「「それは、」まあ、待て」

 有一郎が何か言おうとするのを秋陽が手で止める。有一郎は咄嗟に口を閉ざした。

「儂もボケ老人ではない。有一郎と会うのはこれが初めてだが、孫の甚平とは頻繁にやり取りをしておるし、辰次にも式神の指導を施したから奴の性分は十二分に知ってる。そのうえで二人が手出ししないのであればそこにはそれなりの事情があるんだろう。儂はまずそれを聞きたい」

 真剣な、とても真面目な眼差し。

 有一郎は汗を流しつつ、紡ぐ言葉を考える。下手な説明であればこの陰陽師の琴線に触れかねない。それを理解させるためにこの陰陽師は出鼻を挫いたのであろう。

「二十二にもなって、初めて女子を美しいと思いました。いかなる処分も甘んじて受ける所存です」

「妖に魅了されたか」

「……妖、なのでしょうか。こなたには分かりませぬ。三日間一緒にいて、あの娘はいつも震えていた。あの娘は内側にある恐怖と独り闘っていた。その魂を美しいと思ってしまったことが間違いだとは思いませぬ」

 瞬間、テーブルが跳ねのけられ、有一郎の喉ぼとけの皮一枚に刃の切っ先が触れていた。

 刀を握る秋陽が胡坐のまま有一郎の目を冷徹に見据えた。

「己の選択肢に間違いはないと、そうのたまうのだな? その結果お前が死のうとも構わんと?」

「男に二言はありませぬ」

 有一郎の即答にぴくり、と動いた切っ先が横一線に薙ぐ。

 チキッと音を鳴らして刃は鞘に納められ、秋陽は跳ねのけられたテーブルを立ち上がって瞬時に受け止めていた甚平を見上げた。

「甚平、少し席を外せ。有一郎と二人で話をしたい」

「おじい様、食糧難のご時世ですから食べ物は粗末にしないでくださいね」

 召使いと共にゆっくりとテーブルを戻した甚平は秋陽に注意をすると召使いに退席するように促した。

 未だにドクンドクンと心音の鼓動が鳴りやまない有一郎は恐る恐る喉を触り、傷一つない自身の体を確認する。

 そんな有一郎を見ながら秋陽が笑った。

「男になったな有一郎。これから儂の知る宿陽士との闘いの歴史と宿穢の復活についての情報を話そう」

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