第0話【序】宿 ep.4

◇◇◇


 市街地に入ると、朝日は完全に昇り切っていた。

 式神を解いて徒歩で町を進み、人目が少ない路地の空地でレジャーシートを敷くと、有一郎はおとを横に寝かせていた。

 伊吹山に残った二人の安全を祈りつつ、腰袋から干し飯を取り出して齧った。乾燥した米を唾液で柔らかくしながら何度も咀嚼してゆっくりと飲み込む。そうして軽食を済ませると、疲労のせいか有一郎も瞼が重くなりうとうとし始める。

「いかん、こなたがおとを護らねば……」

 ――まだ眠ってはならぬと、安らかに眠るおとを見つめながら、自らの頬を強くつねって眠気を振り払う。

 じゃり、と後ろで引きずるような音がした。有一郎が音に気が付いて振り向く。

「迎えが遅れてスマンな。有一郎、奈良に向かうぞ」

 音の正体は辰次だった。

 辰次は刀の柄を松葉づえ代わりにして体を支えており、左足に赤く滲んだ包帯を巻いていた。

 有一郎はその姿に罪悪感を覚えながらも辺りに権七の気配が見つからず戸惑った。

「権七はどこに?」

「……話せば長くなる。すぐ近くの神社に車を停めてあるから、先に車を取りにいくぞ」

 ひょこひょこと歩き始める辰次に、慌てて有一郎がおとを抱きかかえてついていく。

「――――え、有一郎様!? あ、……」

 おともそこでようやく気が付いたらしく、目を覚ますと申し訳なさそうに自立し、辰次に肩をかそうと駆け寄った。

「要らぬ。俺よりも、今は有一郎の傍にいてやれ」

「――はい」

 辰次の言葉に頷くと、おとはフラフラと歩く有一郎を支えて歩き出した。




 ――――有一郎とおとが離脱した後、それを追おうとする麒麟と防ぐ白虎が激しくぶつかり合った。

 辰次は伊吹童子の巨腕を刀で捌きながら、右足で地面に文字を書き、小さいネズミを召喚した。

(有一郎の後を追ってくれ)

 ネズミに念じると、それに呼応してネズミが走り出す。そのネズミを踏みつけようとした伊吹童子の左足を、辰次は刀で切り上げた。

「だーっははは! なかなかどうして、良い刀じゃないか。気に入ったぞ、そいつで手を打とう」

 伊吹童子が後ろに跳びずさりながら、辰次の刀を指さした。その様子に辰次は怪訝な顔をしたが、構わず追い打ちをしようと右手に持つ刀を構えた。

 だが、いつの間にか手に持つ刀の感触は消えていた。

「――なにっ!?」

「ほほうっ! やはり良い刀だ」

 目の前の伊吹童子が右手に刀を持っており、食い入るようにその刀身を眺めている。何が起きたのかわからないまま、辰次は慌てて懐から呪符を取り出す。

「俺の血がついているものは俺の鬼術で奪うことができるんだ。一日に一回しか使えねえ技だが、こういうときには役に立つ」

 言いざま、一歩踏み込んだ伊吹童子の斬撃が辰次の左足の太ももを抉った。

「ぅぐあああああああっ!?」

 辰次が悲鳴を上げながらその場に倒れこむ。

 伊吹童子は満面の笑みで辰次にトドメを刺そうと刀を振りかぶったが、そこでようやく自分を囲むように地面に置かれた五個の黄土色の石に気が付いた。

 石は白く光ったかと思うと、五芒星を描くように赤い線が石と石を結んだ。

「ちいぃっ!」

 伊吹童子が異常に気が付いて、振り上げた刀を目の前にある石に向かって振り下ろそうとしたが、石の内側から伸びてきた赤い五匹の蛇が刀の穂先を食い破り、勢いそのままに伊吹童子の首と四肢を拘束して身動きができないようにする。

 倒れこむ辰次の傍に権七がゆっくりと姿を現し、懐から包帯を取り出して辰次の左足に巻いていく。

「とりあえずの止血にはなるがや」

「ぅぅ、あれは――?」

「安食家に代々伝わる殺生石のカケラを磨いたものやわ。結界術の効果を九尾の力で大幅に増幅させておる」

 辰次の左足に包帯を巻き終えた権七が立ち上がって伊吹童子と向かい合う。

「安食家の一子相伝の秘術だがや。伊吹童子よ、このまま絞め殺してくれよう」

 権七が両手の指を繋ぎ合わせ、人の首を締めるように徐々に手のひら同士を近づけていく。

 赤い蛇が権七の手の動きに合わせてその長い胴体をゆっくりゆっくりと縮める。伊吹童子を絞め殺さんと権七はぐっと両手に力を入れた。

「ジジイ、お前の名は何という? この俺をここまで苦しめたのは生涯でお前が初めてだ。最後に名前を聞いておいてやろう」

「安食権七。陰陽寮における最古にして最後の結界術師やわ」

「そうか。――その名前、絶対に忘れねーよ」

「さらばだがや、伊吹童子ッ!!」

 権七が目を見開いて叫ぶ。掌がくっつく。

 ゴキっと、鈍い音がした。


 一秒の静寂。

 ――――だが、伊吹童子の首は折れなかった。否、折れたのは権七の手首だった。

 伊吹童子の肌が赤く膨れ上がっており、その膨張に耐え切れず赤い蛇は不自然に折れ曲がり、おもむろにその輪が緩んで地面に落っこちた。

「悪かったな、今までは本気を出してやれなくて。こっからは本気だ」

 ミシリ、と地面が唸った。伊吹童子に蹴られた地面が小さいクレーターを作って抉れた。

 風切り音と共に飛び込んできた伊吹童子が権七の結界を突き破り、その老いた体を枯れ枝のように空中へ軽々と殴り飛ばした。

 赤い血が空から降り、数秒の後に権七がぐしゃりと地面にたたき落とされた。

 ぅぅぅ、と蚊が鳴くような小さい悲鳴が聞こえてくる。

「四百年ぶりに本気を出したからなぁ。加減がわかんねー」

 困ったように頭を掻く。そんな伊吹童子の足首を、震える手で権七が掴んだ。

「爺さん、根性は大したもんだが、もう力が入ってねーな」

「――――――――――!!」

 言葉にならぬ声が。空気を震わせた。

 権七の腕が赤く染まった。

 折れた腕の肘からは白い骨が飛び出しており、地面にぼたぼたと赤黒い血を垂れ流す。

 辰次は怒りに震え立ち上がると、先ほど伊吹童子が落とした刀に駆け寄る。権七に加勢しようと伊吹童子を睨むが、その行動は権七の右手によって制止された。

「く"る"な"あ"っ!」

 押し留めるように右手を辰次に向けて、権七は叫んだ。

 その顔は苦悶に歪み、血まみれの歯をむき出しにして鬼のような形相で辰次を睨んでいた。

「――来るな、っっ、…………疾く、ゆけぃっ!!!」

 権七の絶叫と共に、辰次は弾かれたように立ち上がって白虎を召喚していた。

「クソッ」

 権七の姿を目に焼き付け、肺が潰れて過呼吸になりながら、それでも辰次は町に向かって白虎を走らせていた。

 己の無力さ、仲間を救えない悔しさに歯を食い縛らせる。

 その後ろを追おうとする伊吹童子の足を、もはや瀕死の重体である権七の腕が引き留めた。

「おいおいおいっ。死に際だってのにすげえじゃねーか、爺さん。まさかお前に出し抜かれるなんてなぁ……」

 愉しそうに笑った伊吹童子の手刀が権七の背中を刺し貫いた。

 その最期、権七の頬に雫が一筋伝う。

「…………赦せ、ゅぅぃ――おぅ――――」




 奈良に向かう道すがら、権七の最期を辰次から聞いておとは泣いていた。

 車の中では泣きはらして赤くなったおとの目が、窓から伊吹山の方角を見つめていた。

 有一郎は静かに両手を合わせ、権七の冥福を祈って黙とうしていた。

「もうすぐ奈良だ」

 運転していた辰次が二人に向かって告げた。

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