第0話【序】宿 ep.2
◇◆◆
有一郎が権七の家に来て二日が経った。その間、女は特に何をするでもなく廊下の奥の板敷に座って外を眺めていた。
その横顔を見ては、有一郎は言い知れぬ思いを抱いていたが、その気持ちの正体を図りかねていた。
「権七、こなたは退魔を
昼食の最中、箸を茶碗に置くと有一郎は重い面持ちで呟いた。
「おみゃーさんが思い煩うことじゃあーないがや。ワシは陰陽寮を退いて久しいが、あの頃ワシが妖を退治して助かった命もある。それだけのことやわ」
「陰陽寮において、妖とは呪いだと教えられた。人が人を呪った結果生まれるものもあれば、自然の摂理として生まれるものもある。どちらにせよ人に害を為す存在だと。だが、あの娘はそうではない」
「うんにゃ、間違ってはおらんよ。あれもまた害となり得る、本人が望まずとも。あれは単なる妖ではないんやわ」
「単なる妖ではない?」
有一郎が訝しげに目を細める。
権七は少し廊下の奥の方を見やり、そして大きく息を吐いた。
「徳川家が江戸に幕府を開き、陰陽寮もその機能の一部を江戸に移す必要性があったがや。その際に派遣されたある一派が独自の陰陽術を会得し、呪いの在り方を変えてしまったんやわ」
「呪いの在り方?」
「そうじゃ、奴ら
権七が言いかけた瞬間、居間の障子に青白い光が灯ったかと思うと、ゴウッと音を立てて障子を浸食する。
十秒とかからずに障子を浸食する灯りは人の手の形を成した。
「有一郎殿!」
権七が叫びながら懐から呪符を取り出す。それを有一郎に投げると、権七は居間の板を蹴り上げて、床下に隠してある日本刀を腰に差して構えた。
一方の有一郎は自らの指を噛んで血を滲ませると、受け取った呪符に文字を書く。
「こなたの呪は
呪符が紫色に燃え、その炎が犬の形を作り出す。瞬時に飛び上がった紫の犬が大きく口を開き、障子に現れた青白い手を噛むと、つんざくような甲高い悲鳴が家に響く。
「おのれ、陰陽師ぃ……」
ぎりり、と歯ぎしりをしながら呻く声が手から漏れ出る。
紫の犬が噛んだ手の平とは逆、手の甲側に赤い唇と黒い歯があり、声はそこから発せられていた。
「どこだどこだどこだどこだ! どこに隠したっ!! わたしたちの姫をどこに隠したのだ!!!」
叫ぶように怒鳴り、唇の真上に小さい目が生えて有一郎を睨みつける。有一郎は油断なく周囲を警戒しながら権七に目線を投げる。
「ワシら
「うううぅぅぅうるさいうるさいっ! 姫を、姫が、姫はああああああ」
手が更に青白く発光し、紫の犬を振りほどこうと激しく暴れ出した。
権七は刀を鞘から抜き打ちざま、すかさず手の親指以外の指を切り落とす。
「ぁぁあぁあああああああ、邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔!」
「燃えろ
有一郎の声に反応して紫の犬が更に激しく燃え上がり、手を平全体を包み込む。
「あああああああああああああああああああああああああああああ!」
響き渡る絶叫。
声が止むのと同時に、権七は青白い手が消えた障子を蹴破って廊下に出た。
有一郎は静かに後に続く。
「おと様、奴らにこの場所が知れたがや。出立のご準備を」
「……はい」
おとは頷くと、その碧眼を権七から後ろの有一郎に向ける。
「あたしのせいでご面倒をおかけしてしまい申し訳ありません。どうかあなた様もご無事でおられ――」
「待たれよ。こなたはこの二日間そなたを見ては見とれていた。ずっと見とれていた。だからこそ尋ねたい。なぜいつもその美しい面を憂いた表情で翳らせる。なぜ毎夜苦しみ悶えられておる」
有一郎の真剣な眼差しにおとは少し目を伏せた。
権七が有一郎とおとの間に割って入ろうとするのを、おとの手が制止した。
「…………陰陽師から枝分かれした一派として宿陽士という方たちがおります。その方たちの目的は
「元は陰陽師なのだろう? なぜ日本を滅ぼそうとする?」
「有一郎殿、それはワシから説明した方がいいやわ。明治以降、この国は西洋の人や思想を多く取り入れてきたがよ。それが結果として宿陽士と西方教会との結びつきを強くしたんやわ」
「つまり、異教徒のために日本国内を滅ぼそうとしているのか!?」
「日本を破壊した後は、土地と捕虜の日本人を西方教会に渡して対価を得るんやわ。当然対価は――」
「富と権力、か……」
権七が頷く。
有一郎はおとに視線を戻す。
「連中がそなたを狙っている理由はそなたが宿穢の復活の鍵であるからか……。なるほど、確かに自分がこの世の命運を握るとなれば気持ちが沈むのも無理からぬことだ。――であればこそ、」
有一郎がおとに歩み寄り、その手を握る。
「決してそなたを連中に渡すわけにはゆかぬ。この国を護る陰陽師の一員としてそなたを護る刀となろう」
おとの白く細い指はとても冷たかった。
僅かに首を振ったおとは、その手をするりと有一郎の手から離した。
「あなた様を巻き込むわけにはゆきません。あたしのような化け物のことはどうか捨ておいてください」
「ならば勝手についてゆく! それならば問題あるまい」
「どうして……」
「そなたが気になるからだ」
真顔で言う有一郎に、おとは少し赤面し俯いた。
「――――、あたしは、化け物です……」
「そうか。そなたが自身をそう思うことは否定しない。だからこなたがそなたを護りたいと思うこともどうか否定しないでほしい」
有一郎の言葉におとは俯いたまま微かに頷いた。
有一郎がその様を見て微笑む。
ただ一人、権七だけが困り顔で有一郎を見つめていた。
「運命とは皮肉なものがや」
誰にも聞こえない小さい声で呟いた。
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