ジグソーガール 五

 終業式の日の翌々日まで、私はうじうじと失恋した乙女のような心持で過ごしました。


 何故って、あれだけ大胆さを見せながら無防備に私を家に誘うという事は、もう灯花は私のアプローチを気にもしていないような物で、きっと友達としてやり直そうという灯花の善意に他ならないだけの事なんだと考えると胸が切り裂かれるような思いがして……。


 それでも私は飛び切りいい格好をして灯花の家に向かいました。夏の日差しはカンカン照りで、途中汗をかいてしまって、おめかしした服も台無しな気持ちになりました。


 灯花の家のインターホンを鳴らすと、すぐに灯花が出てきました。家にいるのに外に出るような、ダメージジーンズと黒いTシャツの合わせは活動的に見えて、大人しそうな服で汗まみれになっている私は果たしてどんなに滑稽に映るだろうと心配で仕方がありませんでした。


「疲れたろ。お茶……麦茶しかないけど飲むか?」


「うん……」


 好意に甘えるというよりも、本当に水分を必要としていました。


 灯花は私をダイニングに座らせて、麦茶のボトルとコップを取り出して、それを私に注いでくれました。私は恥も外聞もなく、ガブガブと飲みます。すぐに灯花は次の一杯を入れてくれて、そのままキッチンに向かって、エプロンをつけました。


「今料理してたとこだよ」


 何を言っているんだろう……そんな気持ちが私の中に湧きました。


 私が灯花を狙っているのはもう灯花にも分かる事実なのに、私に料理を振舞ってくれる? どうしてそんな都合のいい事があるでしょう。けれど、目の前の灯花は夏の白日夢でもなく厳然とフライパンを振っています。そして、肉の焼けるいい匂いが漂っていました。


「手伝おうか」


 冷房と冷たい麦茶で息を吹き返した私は、言って当然の事を言っていました。


「座っててくれよ。後で部屋に案内するから」


 私は灯花の考えが読めず、ただダイニングから見える部屋の光景を見て、記録と記憶に勤しんでいました。


 灯花の家はあまり物がなく、リビングにはソファーとテーブル、テレビがあるくらいで、あまり生活感がありませんでした。キッチンは灯花の趣味の為か、色々な調味料が並んでいます。ダイニングはその間にあって、調味料を乗せたお店みたいなお皿があるだけで閑散としています。


 なんだか、人が住んでいる感じがしない……確かに灯花はそこに住んでいる筈なのに、人がいるようでもないのです。


 もしかして、私がくるから片付けたのか……そんな事を考えながら、私は灯花の動きを見ていました。


「できた」


 すぐに、灯花は言って、私は運ぶのを手伝いました。カプレーゼに回鍋肉に、お味噌汁とご飯という多国籍料理が美味しそうに並んでいます。二人分しかなく、お昼時にそれは灯花の家族が今日はいない事を示していました。もっとも、私も家に帰れば一人ですから、そういう日なんだと考えました。


「渚」


 灯花は自分の所に箸を置くと、私の前に立ちました。その手には私の分のお箸があります。


「ありがと……う?」


 私が受け取ろうとすると、灯花はお箸を高く掲げて取れないようにします。


「渚はさ」


 その目はどこか愉悦に富んでいて、私はごくりと生唾を飲み込みました。


「私の事を『そういう目』で見てるじゃん……本当は、どうしたいんだ?」


 断罪されるような、救われるような奇妙な心持でした。


 けれど、この時の私は暑さの後に奇妙な体験をして、判断力が鈍っていました。ただ自分の欲望をそのまま言えば、それがなんでも叶う楽園にきたかのような、そんな心地になっていたのです。


「……灯花が舐ったお箸を使いたい」


 私が視線を背けて打ち明けると、灯花は音を立ててお箸を舐りました。そして、私にお箸を渡してきます。


「食べよう」


 なんと返したのか覚えていません。ただ、私はお行儀が悪いのにも構わず、灯花の唾液がついたお箸だけを舐って、その後ご飯を口にしました。その味は別に普段と変わらない筈なのに、とても美味しく思えて、一体灯花がどんな心変わりをしたのかも気にできませんでした。


 一通り食べ終わると、灯花と一緒に洗い物を済ませて、私達は二階の灯花の部屋に向かいました。


 色々な物が並んだ雑な部屋……ここには確かに生活の匂いと一緒に、灯花自身の匂いがありました。私は勧められるままクッションに座ります。


「考えたんだけど、渚なら悪くないなって」


 何を言われたのか……私なら、悪くない。ならば灯花なら、最高だろう。


「他の誰にも秘密で、つきあおうぜ」


 顔を近づけてくる灯花に私はなんと答えればいいか分かりませんでした。頷きたいけれど、以前の灯花と打って変わって真面目に私を恋するような情熱的な瞳に魅入られて、言葉も上手く出てきませんでした。


「どうして……」


 尋ねる私に、灯花は友達の接吻をします。それを吸い込み、味わう私……そして灯花が語った所だと。


 実は、男子から告白されたんだ。


 断ったんだけど、しつこくて。どうせつきあってる相手もいないんだろって言われて、いるって答えた。


 分かるよな。渚とつきあってるって答えたんだ。


 そしたらそいつは黙ってたけど、冗談だロッテ本気にしたくないような事を言った。


 だから、秘密にするなら私と渚がキスしてる所送ってやるって言ってさ。


 私も正直冗談交じりだったよ。でも、改めて考えると……。


 渚は私の事が好きだし、私も渚の事を悪く思ってない。この間は驚いたけど、あれはそういう目で見られてないと思ってたからな。


 いざそうなんだと思ったら、男子の硬そうな体より渚の柔らかそうな体の方が好みだなと思って……悪いか?


 そんな風に語って、挑発的に私を見る灯花の姿は蠱惑的で、私にとって抗いがたい誘惑を放っていました。


「灯花がいいなら、私はいいよ」


 そんな風に、恋が叶った事を密かに喜ぶと、灯花は自分のスマホを渡してきました。


「じゃあ、撮ろうぜ。二人のキス」


 私が、と尋ねると灯花は慣れてないからなんて言って、私も慣れていないのですが、それでもなんとか二人が唇を絡める所を撮りました。


 灯花の唇が私の唇に触れる柔らかい感触と共に、舌を入れられました。灯花はどうやら『本気』のようです。私は耳年増なだけで経験はありませんでしたから、されるがままでした。


 それから灯花は「見たがってたろ」と言って服を脱いで、秘密の撮影会が始まりました。


 灯花の健康的な肉体美を私が写真に収めていると、灯花はどこか挑発的に笑って、私の唇を奪って、そっと……押し倒しました。


 本当に結ばれたのだと感じて、私は悲しくもないのに涙が溢れていました。淫らな事をするのに距離もおかしいのに気づきもせず、私はただただ灯花を求めていました。


 事が済むと、ぼんやりする頭で私は以下の約束をさせられました。それは日記に残っています。


 一つ、二人の関係は件の男子に除いて秘密にする事。


 二つ、二人で会う時はいつでも灯花の側に合わせる事。


 三つ、学校で二人の関係には触れない事。


 四つ、身体的関係については常に灯花の側に合わせる事。


 一方的に灯花に都合がいい条件でしたが、私はそれを呑みました。


 何せ憧れの人と結ばれたのですから、そこで交わされた約束を蹴る必要などないのです。私は幸せに包まれながら灯花の家でシャワーを浴びて、服を直して帰りました。


 ……この時の灯花のどこか妖しく、けれど唐突な態度をどうしてもっと疑わなかったのか、恐らく私が灯花にそれだけ惚れ込んでいた証左だと思います。


 けれど、この時がまずかったのです。

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