ジグソーガール 四

 灯花が家にきてくれた翌日の事は、日記にこう書いてあります。


『朝、灯花は全然いつも通りに「おはよう」って言ってきた。


 私は、莫迦みたいにおはようって返して、この間はごめんって続けた。それ以上会話する気になれなかった。もう、灯花は私がどんな目で灯花を見ているか知っている。それに対して灯花は何も言わない。


 言って欲しい? 何か。


 好きだって言うのは望み過ぎだとして、嫌いだとか、ごめんとか、そういうの。けれど、言われたら私は自分の悪行を棚に上げて悲嘆にくれる自信がある。でも、放っておかれるのはもっとつらい。


 私の方から聞く事も考えたけれど、できなかった。そんな話、クラスメイトの前でできない。二人きりになれる場所は学校の中になかった。


 このまま何もかも終わって、その後どうなるのか……考えると世界が終わるような気持ちになる』


 私にとっては灯花がそのまま世界でした。


 それから……期末考査も終わって夏休みを待つ間、私と灯花の間には気まずい沈黙と、気休めみたいな日常会話があるだけでした。灯花は私に遠慮しているのか、それとも距離をつかみかねているのか、普段通りに話しかけてくるのですが、けれど深く関わる事はなくて……つまるところ、元の通りの関係に戻っています。


 私は毎日日記帳にクラスで聞いた灯花の言葉を書き留めて、灯花になんて話しかけようか下書きじみた物を書いて、どれもしっくりこなくてかむりを振るのです。


 もう、一学期も残っていない。二学期に入ればその時には席替えがあって、灯花が遠くにいってしまうような気持ちがしていました。


 終業式の日、一学期最後のホームルームで夏休みの諸注意を話す先生の言葉を上の空で聞いていると、後ろの席から私に小さな紙片が渡されました。


 先生に気づかれないように開くと、『この後、ちょっといい?』と灯花の字で書いてあります。私は「いいよ」と書いて紙片を返しました。


 そしてホームルームが終わると、灯花は私が立ち上がるや否や、左手を取って歩き出しました。


 驚いてしまって、私は声も出ませんでした。「どこにいくの」そんな事を聞いても、灯花は「いいから」聞いてもくれません。ずんずん階段を上がっていく灯花の後に引っ張られていくと、屋上に向かう階段まで上がって、その階の隅っこにきて、灯花はようやく止まりました。


「ここなら人こないって気づいた」


「え……」


 まさか、ここで私の気持ちに答えを出そうとしている……なんて、荒唐無稽な読み物に毒された考えが出てきました。けれど、灯花はスマホを取り出して、何か言おうとしては躊躇しています。


「……この間の事?」


 私は言葉に迷いながら、以前の話を出しました。


「うん。でも、それへの答えではない」


 灯花がスマホをトントンと叩くので、私は自分のスマホを取り出して見てみました。灯花から、一つの住所への地図が届いていました。


「渚に対してどうしようってのあるんだけど……なんか招かれてそれっきりって悪いし、今度うちこないかなって」


 それは思ってもみない話で、私は目を丸くして灯花を見ました。彼女は少し恥ずかしそうな顔をしていて、こんな事で照れるわけないのに、そんな風に見えるのはきっと私が言った事とした事の所為だと思えます。


「……うん。いく」


「いつがいい? 今日はなんも準備してないから別の日で」


 そんな風に真面目に予定を決めるような顔をされると、かえって吹き出しそうになってしまいました。だって、私は隙あらば灯花を狙っている猛獣みたいや存在なのに、そんな奴に警戒心の欠片も見せないんですから。それに、夏休みなんだからいつだっていいに決まっています。


「いつでもいい……って美術部の活動とかもないし、割と暇だから……」


 具体的にいつと言えない事は残念で……ただ、本当にいつでもいく準備ができると思ったからそんな風に答えたんです。灯花は「じゃあ明後日は?」と言って、腕を組みました。


 ともすると、私が灯花に恫喝されているような絵面かも知れません。けれど、害があるのは寧ろ私の方です。


「いいよ……」


 制服に隠れた灯花の綺麗な肌を、今度こそと思ってしまうのは、押さえられない獣のような肉欲でした。


「じゃあそこで……あ、アレルギーとかあるか?」


「え……ないけど……」


「おっけ。じゃ、またな」


 一方的に言って、灯花は階段を下りていきます。恐ろしい物から逃げるような、けれど見つかってはいけない場面であるかのような足取りで、灯花はすぐに見えなくなりました。


 密かな約束……とも思えませんが、灯花は明らかに人にこの話を聞かれるのを避けていました。私は密約、と唇を動かして、ゆっくり階段を下りていきました。


 灯花の家にいけるという事は嬉しいのですが、けれどそれはどこか現実離れした幸福で、私は何故だか悲しくなりました。


 夏の日差しが厳しい中にそよぐ橘の樹を見て校門を出て、家までの帰り道、私の中にあるのはわけもなく泣きたくなる気持ちばかりでした。灯花は精一杯彼女にできる事をしてくれているのに、私は自分の事ばかりで、醜い。


 灯花にもっと、正直な気持ちを打ち明けたい……そしてきっぱり断って貰えたなら、それで私の思いは終わる筈です。恋を思い出にするのに時間がかかるとして、恋した相手と友達としての時間を過ごせるならばそれで傷はふさがるでしょう。


 そんな風に考えて、また言葉をやりくりやりくりしました。


 けれど、ここから私の片思いは妙な方向に転んでいくのでした。


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