ジグソーガール 一

 今あなたに打ち明ける事はごく個人的な事で、もしかするとあなたにとってなんでもない事なのかも知れません。けれど、私にとってはこの問題を解決して生きていくか、それとも解決できないまま死ぬか、その瀬戸際まできているんです。


 初めからお話しすると、私が県立××高校に入った四月からです。その頃からの事を断片的に……あるいは詳しくお話ししないと、私の今の心境もお分かりにならない事かと思われます。


 高校に入ってすぐ、私は日記をつけ始めました。細かい所はその日記から引用します。私は彼女との関係を細かく日記に書いていたので……何か新しい事を始めたいと思って日記をつけ始めて、三日坊主になって、やがて書くようになったのはほとんどが彼女の事です。最初に彼女が日記に出てくるようになったのは……自己紹介があった日です。


 その時はただクラスメイトの名前を列記していただけで、私――青路渚のすぐ後ろの席に彼女、赤座灯花がいたので、日記でも真っ先に名前が出てきます。見た目明るそうな実際に明るい子、将来の夢を明確にしていて、私にない何かとてもいい素質を持っているように思えます。贔屓目でしょうか。けれど彼女と話していると、何故だか無性に楽しくなってくるのは、私が彼女に恋しているからという一事を抜いても確かな事です。


 私達の高校は県内では進学校として通っています。もっとも、昔は相当成績がよかったようですけれど、今では他の学校に負けて緩やかな校風になっています。一階に図書室があって、よく観察してみるとそこで本を読んでいる人はあまりいません。みんな自習に使っています。


 私がまだ灯花の事を赤座さん、と呼んでいた頃の事です。お昼休みに図書室で何が入っているのか探していると「よっ」と小さく声をかけられて、それが灯花でした。私はぺこりとお辞儀したように思います。灯花は本棚の中で何かの本を探しているようでした。


 ……日記にその時の事が書いてあるので、引用します。


『図書室で赤座さんと会った。気軽に声をかけてくれて、お辞儀した。赤座さんは本が並んだ中から一冊を取った……その細くて長い指先で背表紙をなぞって一冊を抜く何気ない動作が、とてもうつくしくていいなと思う。あんな風に本を取れる人は滅多にいないんじゃないか。赤座さんは私に目配せして、すぐに閲覧用のテーブルがある方にいった。なんの本を読むんだろう。調理部に入るなんて言ってたけれど、そういう本かな……でも、その棚を見てみると外国文学の有名どころが並んでいた。赤座さんが通った所を見てみると、ポオの小説全集の一冊が抜けている。意外だけど、そういう部分を知れたのはなんだか嬉しい』


 この時――この時、私は彼女が持つ一種の魔性に引き込まれていたに違いないんです。丁寧に本を取るその手つきがもしも自分に向いたら……なんて事を考えて、妙に変態的な事を考えもしました。あの綺麗な指を口に含んでみたい……舌の上で転ばしてみたい……なんて事を日記に書いて消したように思います。現に、消し跡が残っていたりするのはその痕跡でしょう。


 その出来事があったのはまだ四月で、桜も咲き残っていた頃でした。私達の学校では四月の終わりに部活が決まって、最初の集まりがあります。灯花は調理部に入ると事あるごとに友達にいっていて、けれどその頃の私はまだそこまで灯花に入れ込んでいませんでしたから、同じ部活に入ろうとは思いませんでした。美術部に入って、まあまあ気楽に絵なんて描いていこうと思っていました。


 なんの部活に入るのかという話は四月が進むにつれて増えていきました。私は――やっぱり無意識に灯花を好いていたのか、その頃の会話を日記に記憶する限り残しておきました(この先、人との会話が出てきたらそれは日記の引用だと思ってください)。


「青路さんってなんの部活にすんの?」


 少し乱暴な語り口はまろやかな声でかえって気安い感じに聞こえて、私は美術部にすると答えました。


「あー、選択科目美術にしてるもんな」


「赤座さんもでしょ。赤座さんは調理部なんだよね?」


「うん。学校で料理の練習できる所他にないし」


「料理、か。私できないからなあ」


「最初はそうだって。ってかそれ言ったら私も絵とか全然描けないし。今度ペア組んでデッサンやるって先生言ってたじゃん。教えてよ」


「いいよ」


 教えてよ、そんな風に要求されるとすぐに頷いてしまうような独特の響きが灯花の声にはあります。文章では決してお伝えできないのですが、気安い言葉がねだるような調子でもなく、ただただ友好的に丸みを帯びた音で響くのが灯花の声です。その時の会話はそれっきりでしたが、けれど私は灯花に何かを教えるというのがなんだか特別な事に思えました。


 その後、美術の授業の時間に私は灯花と向かい合ってデッサンに励んで、灯花に教える事を教えながら、内心では灯花の顔かたちをしっかり記憶していました。何か……自分でも病的だと思うのですが、ほとんど研究するようにその日の日記に細かく書いていました。


『赤座さんの顔は何度も描きたくなる。


 中央で分けた黒髪を二つ結びにした髪型は左右対称で、顔立ちは全体に均整がとれているけれど、頬のラインがぷにっと丸い。けれど太っている風ではなくて、パチッとした黒い瞳を持つ目から長い睫毛、その目じりから頬の丸を経由して顎に流れるラインは綺麗だ。眉毛の形もいい。額を出す髪型だけど、目が髪の毛で隠れる事もない。


 デッサンは色まで入れないけれど、もしもその肌や瞳に色を塗るならどんなだろう。黒い瞳はただ黒の絵の具を使えばいいだけじゃない。その黒さは明るみを持っていて、別の色を入れたくなる。肌は健康的だけど、特に白いわけじゃない。日に焼けてもいない。この肌の色、いつも私を悩ませる色、これを絵の具で再現するのにどうすればいいか。


 鼻梁は整っていて、唇は艶っぽい。耳の形がよくて、福耳だと思う。その造形はどこまで見ても飽きる事がない。表情がいつも明るいからあんまりそんな印象がないけれど、髪型を変えてしなを作れば絶世の美女にもなる顔立ちだと思う』


 もうお分かりかと思いますが、この頃の私は既に灯花に頭の深い所を焼かれていました。いちいち書き残していませんが、灯花の肌の質感はどんなだろうとか、あの耳たぶに触れてみたいとか、一人の時はそんな事ばかり考えていて、自分自身私はどうしたんだろうなんて時々不安になりました。


 その時のデッサンはバストアップでしたが、やがて五月になって半袖の運動着を着るような暑さがくると、灯花のスタイルのよさも分かってきて、私の病はいよいよ濃くなりました。その頃には部活も始まって美術部はモデルの方を呼んでデッサンをしたりしていました。


 けれど、私はやはり灯花の美しさに魅入られていて、モデルの方がポーズを取っても、それを描き写す事はできてもしんから美しいと思えないのです。勿論、綺麗な方がきています。けれど、灯花のあの表情次第でどんな肩書にでもなれそうな独特の人相を考えて、それが物憂げに沈んでいる様など想像すると筆が進まなくなる……そんな事が度々ありました。


 美術部で絵を見せ合う時、私の絵はどうもモデルの方に似ていないと言われました。体つきは再現できているけれど、顔が別人だと。それは描いている間に灯花が脳裏をよぎって、体がその脳に隷属した結果に他なりません。その場ではすみませんと謝っていましたが、私は内心、灯花をモデルにしてしっかりした絵を描いてみたいと考えるようになっていました。


 けれど絵のモデルなんて頼めるかな……そんな風に考えると、そもそも私はあまり人にモデルをお願いした事がありません。中学から美術をやっていますが、友達にお願いするというのはなんだか面倒そうな気持がしてできていませんでした。


 そんな風に私がもんもんとしている中で、灯花はクラスの中では人気者になっていました。誰と話しても人当りがよく、愛嬌があるタイプなので、男女問わず灯花と話している人は多いです。


 私も灯花と話す中の一人で、恐らくその頃の灯花からすればなんでもない相手だったと思います。「昨日の調理部で作ったから」なんて言って渡してくるクッキーはクラス全員に渡されていました。


 ナッツとチョコレートのクッキーに涙の塩気を混じらせて私があれこれ思案しているのも、きっと灯花には関係ない誰かの悩みなのだろうと思うにつけ悲しさはいや増します。この頃の私は、ただ灯花を思う心で頭がいっぱいになっていて、友達の遊びの誘いにも乗らずに毎日家と学校を往復していました。


 灯花の前の席に座っていながら近くなれないもどかしさを解消する事ができたのは、図書室の一件に連なる一つの事でした。


 その時の日記にはこうあります。


『灯花が何かの本を読んでいたから声をかけた。


「何読んでるの?」


 私が声をかけると、灯花は不満そうでもなく顔を上げて、お道化たように表紙を見せてくる。エドガー・アラン・ポオ全集。


「四月からちょっとずつ読んでるんだけど、読み終わる気配がない」


 なんてお調子者っぽく言うけれど、どうして灯花がそういう本を読んでいるのか気になった。


「好きなの? そういうの」


「いや、なんか古い推理小説みたいなのあるよなーと思って手を出したら沼った。なんだっけ。「瓶の中の手記」あれと似たようなの日本でもあるって聞いたけど」


 ポオの「瓶の中の手記」に似た日本の作品は多分色々あると思う。けど、有名なので言えば……。


「夢野久作の「瓶詰の地獄」かな」


「あ、それ。図書室にはなかったっぽいけど」


「本屋にあるよ」


「そうなの?」


「うん。駅前……かな、ここらへんだと」


「じゃあ今度一緒にいこうぜ。渚と遊んだことなかったし」


 急なお誘い、けどこんな機会滅多にないと思って。


「うん。……いつにする??」


 多分、その時の私の顔は喜色満面だったと思う』


 実際、この約束は問題なく叶うのですが、考えてみれば私と灯花の仲が本格的に動き出したのはこれが切っ掛けだったと思います。


 私は灯花と約束して、本を買うついでに映画でも見ようかなんて言って、胸を弾ませていました。


 きっと、彼氏と初めてデートするのが決まった人ってこういう気持ちだったんだななんて思って……勿論、自分のその気持ちが生物としておかしな事だって分かっています。灯花は友達を誘うつもりで言っているだけだっていう事も分かっているんです。けれど、異性には決して感じないトキメキというものを、私は灯花から誰よりも強く感じるんです。


 その日家に帰ると私は着ていく服を選んで、できる事なら手を繋いで歩きたい……そんな風に考えて、なかなか寝付けませんでした。



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