3話 地獄の道も

 時は昼。王都へ帰る幌馬車の荷台で、エドガーと私は二つの棺桶の脇にそれぞれ膝を抱えて向かい合っていた。幌馬車は馬の歩行音が規則正しく響き、時折大きな揺れが体を突き上げる。

 今まで膝に頬杖をついて座って遠くを見ていたエドガーと視線があった。彼は躊躇うように呟いた。

「私には双子の弟がいました」

 ぽつぽつと彼は言葉を並べていく。

「私が軍の寄宿学校へ入った頃に、弟は失踪し行方不明になったのです。あれから九年……もう九年」


 エドガーは片手で額の髪を根本からぐしゃっと握った。


「生きてたかと思えば、どうも良い仲間には恵まれなかったようですね……」

 まあ、どうしてそうなったかは、想像がつきますが、と彼は付け加えた。エドガーは手を額から私へと差し出した。

「海から引き上げた彼女の記憶です。観ますか?」

 私は観たいのか観たくないのかわからないのに好奇心で頷いていた。

 エドガーの手のひらに私は額を当てる。触れたところから冷たい感覚が水のように流れ込んできた。


 これは海から引き上げた女性の記憶だ。


 荒れ狂う風が体の周りを吹き荒び、顔に髪が当たって痛い。どうもマーロウの森の海岸沿いの崖だった。私の口は動いた。

「エドガー、どうしてなの! あなた、あの人に合わせてくれるって言ったじゃない!」

 心の中に焼けるような裏切られた痛みが溢れ出していた。すると暗闇から月明かりへ、一人の男がふふふ、と笑いながら進み出てきた。

 その顔は確かにエドガーに似ていたが、エドガーと決定的に何かが違っていた。少し日に焼けているから? 瞳の色がエドガーとは違って明るい灰色だから? 彼は丁寧で親切な所作で後ろを示した。

「合わせてあげますよ、ほら」

 そういった彼の影から俯いた男性が押し出されるようにして現れた。私はその男性に駆け寄りこう言った。

「……ああ、ああ、無事でよかった」

 その瞬間、私の後ろからじゃらりと体に重い鎖が巻かれた。


 え?


 続いて錠が嫌なガチャリ、と音を立ててかけられた。顔を上げるとエドガーが表情にありありと残忍さと冷酷さを浮かべた。

「幻と本物の区別もつかないのか……実に滑稽だな」

 ふはははは、と彼はさぞ愉快そうに残忍な高笑いをした。私はふと自分の腕の中の男性を見た。するとその顔は目鼻口のない人形のよう。その時初めて私は恐怖に駆られた。全てはこの人を取り戻すためだったのに!


「俺はエドガーじゃない。アーサー。本物のエドガーならお前なんて目の端にも映ってないさ」

 それだけ言うと彼は私の胸ぐらを掴んだ。私はすかさずアーサーの顔めがけて手を振り回して引っ掻いた。手が相手の首にあたり、手が銀の首飾りをむしり取る。アーサーは首の痛みに不快な表情を浮かべた。彼の、おい、という呼びかけに森の暗がりから二人の男が出てきて彼女を荷物のように何の迷いもなく崖の下に投げ入れる。突然の浮遊感に目を見開く。


 そんな!


 優越感と満足感が混ざったアーサーの冷笑を最後に、私は恐怖と絶望に悲鳴すらあげられずに海の中へと落ちていった。ゾッとするような冷たさが体を包みこみ、肺から空気が逃げようと溢れ出す。鎖の重さで体が水の中へと沈んで……。


 私は体を震わせた。


 視界がいつの間にか幌馬車の中に戻る。エドガーが向かい側でこちらを無表情に見ていた。

「ね。厄介でしょう」

 淡々とした口調に私は疑問に思う。

 厄介というのはアーサーの使った幻についてだろうか? それともエドガーと似た顔を利用してエドガーを名乗っていること? それとも他に何か? いやそれよりもどうして今の記憶を見てただ淡々と厄介とだけ言えるのか?


「弟さんのこと、心配じゃないんですか?」

 私の言葉にエドガーの黒い瞳は微動だにしない。彼はただ、ええ、と言った。

「私は国王に使える軍師ですから、自分で海賊の手先になるような弟にかける情はないです」


 エドガーは表情ひとつ崩さないでいた。私は? 私はどんな表情をしているのだろうか。


「そもそも魔法の血筋であるのに違法魔法に手を出せるなんて、正気ではないですし、どうやら倫理観もない。よって、あいつはもう人ではありません」


……心の欠落した知性ある獣です。


 その言葉には苦々しい響きがあった。

 

「サニー、もしもですが、確実にあなたが敵を仕留める方法があります。相手の肺でも心臓でもいいですから爆発させてください」


 私は狼狽えた。視界で自分の手が小刻みに震えているのがわかる。


 私が反論しようとすると、軍師は遮った。


「サニー、あなたという戦力がなければ勝てない。だからあなたが死んではいけない」


 手の震えが止まらない。


 この国の平安を守るために、もしもの時には私に殺人を行えと。


 瞬時に腐葉土の中に横たわるジョンが思い浮かんだ。


 私の記憶に、心に、あのような重すぎるおもりを、増やせとエドガーはいうのだ。

「サニー。これはとても重い選択です。でもあなたがそれをしないことで犠牲になるのは、あなただけではすまない」


 私はエドガーから視線を逸らした。


「そうならないように、私が策を練りますから」


 今は、少し休んでください……とエドガーはそれっきり黙った。




 目が覚めたのは、エドガーが私の肩をそっとゆすってくれたからだった。あたりは日が暮れ始めていて、私には毛布がいつの間にかかけられている。


 馬車の荷台の中で立ち上がると、体がところどころ痛かった。荷台から降りようとすると、エドガーが手を差し伸べてくる。私は手を伸ばしてその手を取ろうとしたけれどできなかった。


 サニー?


 エドガーの声が囁く。


「エドガー。私がジョンを殺めたのは事故みたいなものだと思って、あまり深く考えないようにしていたんです。……無責任ですよね」


 私は深く息を吸った。


「でも、私が意図的に人の命をうばってしまったら、もう、私は、戻れないです」


 エドガーは、差し出した手を下ろした。黒の瞳が私の心の中を覗き込もうとしているようだった。


「……私が初めて人を手にかけたのは、まだ寄宿生で現国王と湖で本の感想を語らっていたときでした」


 湖の傍の森から、暗殺者に囲まれて。何故か、彼らがいるのに気がついたんですよね。私は毒針を氷の盾で防ぎ、水で暗殺者たちの額を打ち抜いたのです、とエドガーは告げた。


「その日の夜は罪悪感に焼かれて眠れませんでした」


 エドガーは視線を地面に落とした。


「私は、あなたを失うくらいなら、あなたの手が汚れてもいい。そしてあなたの手が汚れていても、私はあなたのそばにいたい」


 あなたはむやみやたらに残虐なことをしないでしょう? わかってますよ……と、エドガーは苦々しげに言う。


「あなたの罪も一緒に背負う覚悟です」


 エドガーの言葉に私の心は震えた。


 彼は再び手を差し伸べた。


「でもそうならないように、最善を尽くすことをお約束します」


 エドガーの真面目な言葉に、私はその手を取った。


「約束、ですよ」

「ええ、お任せください」




 クリアアイズ邸にジャスミンの眠る棺が運び込まれ、もうひとつの棺は幌馬車で宮廷のほうへと運ばれていった。


 私たちがクリアアイズの家に入ると、若き国王様と将軍が暖炉の部屋のソファでくつろいでいた。


 国王様は読んでいた本を閉じると眼鏡を外し、その肩までの黒髪を耳にかけて、不思議な深緑の眼差しを向けてきた。

「サニー・ポーター。あなたの奇跡のような力は、まさに我々が求めていたもの。これで軍師の睡眠時間も長くなろう」


 冗談はさておき、と国王は私たちをソファに座るように招いた。


 私は暖炉脇の一人がけ用ソファに座り、その横にエドガーが腕を組んで立っていた。暖炉では火が爆ぜている。もう、十分に寒かった。


「エドガー、もう何か案があるのだろう?」


「ええ、国内の違法契約者を全て拘束し、魔封じの牢にいれます」


「ほう? それで?」


「将軍は違法契約者から契約解除方法を聞き出すようにしてください。国内の安全を保てたら海賊を潰しにサニーと私がおもむきます」


 国王はその知性の宿った眼差しをエドガーに投げかけた。


「サニー・ポーターを前線に出すのに私は良い顔をしない。例えお前の弟子で軍に所属しておろうがなんであろうが、彼女は女性だ。古い考えと思うかもしれないが、女性は大切にされるべき存在だ。と、同時に彼女が危うい時お前は迷わず彼女を切り捨てられるのか?」


 国王の指摘は私にも理解できた。エドガーの案は無茶苦茶な提案に思えた。私が他人に手をかけたくないと言ったのをこの人忘れてしまったんだろうか?


 エドガーの反応は至って冷静だった。


「切り捨てられないからこそ、そばで護るのです」


 その言葉に今まで黙って聞いていたユウマ将軍が顔をあげた。その顔は、お前正気か? とでも言うような驚きようだった。


 国王は首を傾けた。彼の髪がさらり、とゆれる。


「ほう、ではお前は命に変えてでも彼女を護り、ついでに国も救えると?」


 暖炉の薪が大きな音を立てて崩れた。

 皮肉を交えた国王の感情の無い言葉。だがその内容を考えると、国王は怒っている。

 

 恐ろしいくらいとても静かに。


「国王。私がサニーをそばに置いておきたいのは、今回の戦いで海賊を最後の一人まで殲滅するためです」


 エドガーの言葉に国王はまた反対側に首をかしげた。


「彼女の力についてはご報告したとおり、相手の居場所、顔を知ることができる。また、彼女は天候も変えられましょう。その上、空気を圧縮することで船を籾殻のようにすり潰すことも可能なのです」


……そんなのやったことない。


 ふと、国王の視線を私は感じた。


「サニー・ポーター。あなたはこの男に最強の兵器のように紹介されたが、あなたは自分がそれを私たち国のために行うことができるか? 真心から?」


 私は国王様の不思議な瞳を見て視線をそらした。


「……わかり、ません」


 その言葉に国王の表情にそれ見ろ、と言わんばかりの冷たさが浮かぶ。


「……でも、私の大切な人たちの大切な人を護るためだと思えば、気持ちが強くなれる……最後までやり遂げられる気がします」


 国王は、ほう、と呟いた。


「この前ミリアム・ホークスの死体を海の中に見た時、あなたの心は膝をつかなかったか。軍に仕えるということは死はもちろん、潤沢すぎる種類の残酷非道な記憶をその頭脳に刻むことでもあるのだよ」


 国王はため息をついた。


「そこの軍師はあなたのことになると国を滅ぼしかねない。私個人も、あなたに滅びたり壊れて欲しいとは思わない。だからあなたの活躍をとめたかった」


 ユウマ将軍がまた意外そうな表情で顔を上げて国王を見た。


「将軍」


 国王の呼びかけに、ユウマさんは姿勢を正した。


「はい、陛下」


「軍師の策で進めよう。サニー・ポーターの自信のなさと底知れなさを信じてみたい」


 国王様も無茶苦茶なことを言っている気がする。言われた将軍も束の間口をぽっかりと開けていた。


「……仰せの、ままに」


 国王は立ち上がると音もなく玄関から出ていった。部屋の中に重苦しい空気がのしかかり、火の爆ぜる音が異様に大きく聞こえていた。


「……陛下も軍師も狂ってる。俺がいちばんまともに思えるのが不思議だぜ」


 将軍の言葉がぽつりと響いた。




 将軍も去り、クリアアイズ邸を沈黙が支配した。


 私の手を汚さないために、私を前線に送ろうとするエドガーの考えがわからなかった。エドガーは、私の意思を尊重してくれる人だと思っていた。でも今は彼の独善的な判断が彼の基準によるもので、私の為ではないような気さえする。


 ソファで思考する私の横でエドガーは腕を組んで、ただ立っていた。見上げると、彼自身もどこかぼーっとしている気がする。


 そこへディラティがお盆に皿をのせてやってきた。


「……サニー様、顔色が優れませんね……こちらのお食事を食べて元気をお出しくださいませ」


 それは私の好きなオートミール入りのスープだった。ディラティはそこまで優しい態度を示したかと思えば、眉間に皺を寄せてエドガーにつっかかった。


「エドガー様、サニー様がこんなにへとへとになるまで連れ出して、ご飯もろくに与えずにいるなんてひどすぎます。それに……わたくしは身分の低いただの家政婦でしかございませんが、サニー様を兵器のようにご紹介するだなんて、あなた様の中で何がどう狂ったのか理解に苦しみますわ」


 そう言いながらディラティはエドガーに彼の好物であるチョコレート入りのクッキーを押し付けるように差し出して去った。


 エドガーはその皿を受け取ると、先ほどの傲慢とも受け取れるような威圧感はどこへ、暖炉前のソファに座った。


「……確かに、なんであんなことを言ったのか……」


 毒気のない穏やかな彼の態度に私も驚く。


「エドガー、もしかして、本当に正気じゃなかったってことですか?」


 ソファに浅く座りお皿のクッキーを眺める彼に私は恐る恐るきく。エドガーは片目をこすった。


「作戦自体に破綻はありません。ですが、今思えばあなたを護る為に前線へあなたを連れていく理由がわからない……私も疲弊しているのかもしれません」


 もちろん、船をすり潰してみたいなら止めませんが、と彼は目元を綻ばせた。


 私はその様子を見てちょっとホッとした。


「……弟さんのことで動揺していらっしゃいましたし。そこから国を護ることと、私の手を汚さない方法を全て叶えようとしたからかもしれません。目的地を外さない天才であるあなたにとって、必死に出した答えだったんですね……」


 私はスプーンでスープをすくいながらふと呟いた。


「あなたが私でそこまでおかしくなるなら、私は手を汚してもいい気がします」


 エドガーは一度持ち上げたクッキーを皿に置いた。


「サニー。お気持ちは嬉しいですが、あなたまで人生を地獄にする必要はない」


 あなたまで、と言うことはエドガーは自分の人生が地獄であることを否定しないのだ。


 私は心の中で覚悟を決めた。


 その覚悟は、私の予想よりも重い意味を持っていることを私は知っている。


「……私にもあなたの地獄を歩かせてください。あなたとなら、例え地獄でも笑って歩き通せる気がします」


「……私もそれは安易に想像できます」


 エドガーは顔を背けた。


「サニーのせいで水が目に入りました」


 水が目に入る? エドガーは、目を擦った……まさか、泣いている?


「やはりサニーは私の苦しさを、理解しようとしてくれる、たったひとりのひとなんです」


 私はおおげさだなぁ、と思う。


「あなたが理解されたいと思って相手も理解する気があるなら、私一人に限ったことじゃないですよ」

「いえ、私はあなたがいいんです」

 拗ねたように告げる彼に、私はただ微笑んだ。


 食事が終わると私たちはテーブルに地図を広げた。その横にはピンの入った小さな箱を置いて。


 エドガーは地図を見下ろすと、いつもの淡々とした態度でこう告げた。


「では、作戦の下ごしらえといきましょうか」


Closed.

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