閑話
追跡
日曜日。今日はエドガーの休暇最終日だ。今日が過ぎれば彼は日常に戻る。そして私の新しい生活が本格的に始まる。
ここ最近では珍しく早く自力で目が覚めた私は、マーロウで着ていた麻布の緑のドレスに袖を通すと、部屋の外に出た。扉の並んだ廊下を見渡すと、ふとひとつの思いつきが浮かんだ。目を閉じて、魔法を見せてと心の中でつぶやく。そして再び目を開けば、そこには魔法が溢れていた。
主に私の足元に鮮やかな緑の粒子が砂のように転がっている。私は廊下を目で凝らして見た。すると緑の粒子の下に淡い水色の痕跡を見つけた。
エドガーが私より先に起きて自分の部屋から出ていったのだ。これでも早起きしたつもりだったのに。私はその水色の淡い跡を辿って階段をこっそりと降りる。彼の魔法の足跡は暖炉の部屋に続いていて、いつも彼が座っているソファのあたりに跡が集中して残っているのを見た。おそらく彼はここにしばらくいたのだろう。そして痕跡はそのままガラス戸の方へと続いていた。
私はガラス戸から庭へ出ると扉を閉めた。冷たさを運ぶ風。思わず冬の吐息に自分で自分の腕を抱きしめた。これが日常化する冬は私にとって辛いだろう。そろそろ防寒具を用意するか、自分用にまたマフラーでも編もうかな。
そんなことを考えながら、私は枯れた芝生の上に落ちている水色の粒子を辿る。私の緑の粒子が邪魔で苛立つ。
なんで私はこんなに魔力量が多いんだろうか。以前エドガーが魔力量は魔法をくれた魔法使いの子供の期待値だと言った。しかし何をそんなに期待されているのか、私には全く見当がつかない。だが私の魔法は風の魔法だ。エドガーの魔法みたいに万能ではない。もちろん私にしかできないこともあるけれど。ふと、ない物ねだりなのかな、と思う。
水色の跡を辿ると傾斜の方に続いていた。ここを真っ直ぐ進めば両親の家がある。しかし彼の魔法の粒子は傾斜の左へと進んでいて、そのまま進めば大きい森に入ってしまうのだ。私はクリアアイズの家からあまり離れたことがないけれど、この森が大きいことはなんとなくわかる。たぶん初めて王都にきた時に見えた森なんだろう。マーロウの森よりも大きそうだと思ったのを覚えている。
私は迷った。このままこの魔法の粒子を追いかけて森に入るか、入らざるか。おそらく辿ればエドガーがいる。きっと彼は時間が経てば帰ってくる。別に今会わなきゃいけない理由もない。でも私が突然現れたら彼が驚くだろうことは想像できる。
しばし迷っていると、足元の水色の光が薄くなっていくのに気がつき、私は慌ててその粒子を辿ることにした。
森の中は静かだった。
エドガーは何をしにこの森へと足を運んだのだろう? ふと以前彼がネリダの森で落とし穴を掘った話を思い出して、自分の口角が自然と上がるのを感じた。
腐葉土の上に散らばった粒子を辿ると、前方に地に跪いている白金髪の頭が見えてきた。彼は緑のマフラーを首に白いシャツと黒いスラックスを着ている。私は疑問に思った。森の中で何故膝をついているのだろうか。衣類が土で汚れても気に留めないような人じゃないと思うけどなぁ?
私は足を止め、しばらくその後ろ姿を黙して眺めていた。柔らかな風がたんぽぽの綿毛のような髪を撫でていく。改めて私はこの人のことをよく知らないのだと痛感する。こうやって目の前にいるのを後ろから眺めていても、何をしているのかすらわからない。そしてこの人が何故私にそこまで恋をしたのかも。謎すぎる。
なんの前触れもなくエドガーは立ち上がると、こちらを振り返り視線を上げた瞬間に、おお、といつも以上に感情の落ちた声で感嘆した。
「驚きました」
エドガーが率直な感想を投げてくる。私は首を傾げた。
「後ろから人が来たのにも気づかないくらい熱心に何をしていたんですか?」
私の好奇心を感じとった彼は、表情を和らげて微弱に笑みを浮かべた。
「知りたいですか?」
「ええ」
私の淡泊な反応に彼は何を思ったのだろうか、普段通りの真面目な顔になった。
「感謝の祈りを捧げていました」
今日は日曜日ですし、と彼は付け加える。
祈り?
「てっきり、あなたは無神論者だと思っていました」
私の感想に彼は、ええ、よく仕事仲間に言われます、なんでですかね、と淡泊な調子で答えた。
おそらく、その恐ろしいばかりに美しい造形と無関心、無慈悲に見える冷淡な態度を仕事場で披露しているからだと私は思う。だが私が彼を無神論者だと思ったのは何故だろうか。自分でも納得のいく説明が思いつかない。
彼は私の名前をそっと呼んだ。私が視線を彼にやるとエドガーは両腕を広げた。
「今この場でも不思議に思いませんか。この世界に存在しているものは私たちの魔法と同じ、粒子でできているんですよ。その粒子の種類や並びが違うだけで私ができていて、同じようにそこの木が存在している。では私の体を構成している粒子には、私と同じように意思があるでしょうか? つまり、私が私の肌を切り取ったらそれは自分で動きますか? 動きませんよね。では何故私を構成する粒子は私という形になったのでしょうか」
私は首を傾げた。突然エドガーが語り出した内容にも驚いたけれど、確かに何故粒子が人という形になったのか疑問が残る。
「もちろん、粒子の性質上くっつきやすいためにその形になったものもあるかもしれません。でもこの世界を眺めていて、粒子の性質だけでここまで均整の取れた姿形を、粒子という物質が自分から取るとは思えないのです。これは私の個人的な意見ですが、物質がそれぞれ形をとったところに、それを創った者の意図的な意思があるように思えてならないんです」
私は彼が口にした言葉を急いで心の中で咀嚼する。咀嚼するものの、彼の言いたいことの本質が私の頭で理解できているか自信がない。私はふと、エドガーの静かな視線に気がついて考えるのをやめた。すると彼は目元を綻ばせた。私が考えていたのが視覚でわかったのかと思うと、やはりこの人は私のことをよく観ているのだと思う。
「まぁ、魔法の扱える私が、神様の存在を信じているということが、世の中的に思いつかないのは理解できますよ」
彼はそれだけ言うと、穏やかな雰囲気を纏ったまま、私の横を通り過ぎて行った。
私はその後ろ姿をしばらく見つめた。でも湧き上がった気持ちに名前をつけられなくて、仕方がないから彼の後を追った。
Closed.
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